※示現舎はお盆休みのため、8月18日まで更新をお休みします。
今回は、訳あって兵庫県たつの市までやってきた。神戸以外の兵庫県は全国的には知られていないが、たつの市を知らない人は多くても、そうめんのブランド「揖保乃糸」を知らない人はいないだろう。
揖保乃糸は兵庫県の揖保川流域で作られるが、たつの市はその中でも中心地だ。「そうめんの里」にはレストランと販売所があり、本場の揖保乃糸を味わうことができる。
その、そうめんの里から北西に3キロメートルほど行ったところに部落がある。月刊「部落」1967年1月号「現地報告 兵庫県の部落―新宮町仙正部落」に、現在たつの市になっている旧新宮町の部落について解説されている。それによれば、当時の新宮町段ノ上部落の戸数は82,人口は414ということである。一方1935年の記録では戸数30,人口179となっているので、戦後になってからかなり人口が増えているということになる。
中国地方・近畿地方では北部と南部では気候も風土もかなり異なる。山陰、山陽とはよく言ったもので、北部は年中曇りが多くて湿度が高く、冬は雪がよく降るし夏は雨が多くてしかも蒸し暑い。一方、瀬戸内海側の南部は雪も雨も少なく、全般に気温は高いが晴れた日が多くてカラッとしている。それが人々の気質にも影響するのか、山陰の人はあまりあちこちに動きたがらずに一定の場所に留まるのに対して、山陽は人の動きが多くて商業が活発だ。筆者は山陰の出身だが、中国山地を越えて南に行くと、同じ田舎でも雰囲気が全く異なるのを肌で感じる。実際、地元の人に聞いてみると、山陽では田舎の村でもそれなりに人の入れ替わりがあるという。
これは段ノ上隣保館。1965年10月に作られたという、国の同和事業は1969年に始まったので、それよりもかなり前に作られたことになる。あまり知られてはいないが、兵庫県では同和事業がかなり早い時期に始められていた。隣保館は全国隣保館連絡協議会(全隣協)に加盟しており、「部落差別解消推進法が施行されました」という全隣協のポスターが掲示されている。このように、隣保館は部落の施設であって、そのことを隠していない。
教育集会所が隣保館に併設されており、これも同じ時期(1966年3月)に作られたものだ。
しかし、さすがに老朽化のためか昨年の3月に閉鎖された旨が張り出されていた。
隣保館の周囲には建材業者と鉄工所がある。「部落」の記事ても製材所や鉄工所のことが出てくるので、当時からこの部落の産業であったようだ。建材業者の倉庫は部落のあちこちにある。
隣保館から北に少し歩いたところに、白山神社がある。関東では白山神社は部落と密接な関わりがあるが、どうもここの白山神社は違うようだ。というのも「部落」の記事では段ノ上の部落は南部だけであって、部落でないところが部落対策事業を受けるのは差別であり部落に対する侮蔑とまで言い切っている。白山神社の場所は、位置的には明らかに段ノ上北部にある。
年季の入った井戸があるが、これも場所は北部だ。
ただ、南部も北部も風景はあまり変わらない。兵庫県の典型的な田舎といったたたずまいである。公平を期すために部落でない周囲の村と比較してみたが、段ノ上については特に違和感は感じなかった。隣保館さえなければ、部落と言われないと分からないだろう。
部落内の神社は、さきほどの白山神社ではなくて、この荒神社ということになるだろう。
この公園とコンクリートの住宅には、何となく昭和40年代の同和事業の痕跡を感じることができる。