以前、伊那市の“後藤の衆”を訪れたが、部落解放同盟長野県連合会が発行した「差別とのたたかい」によれば、その近くにはもう1つ部落がある。
それが、長野県伊那市手良沢岡下手良の「辻」あるいは「西幅」と呼ばれた部落である。1967年の記録では戸数29,1933年の記録では12戸だ。
さっそく訪れてみると、明らかに“後藤の衆”とは様相が異なる。
典型的な農村である“後藤の衆”に比べると、こちらは明らかに商工業の部落だ。
「辻」という名前のとおり、部落の中心には辻がある。バス停の名前も「辻」。石碑の「荒井先生」とは国文学者の荒井源司のことか。
伊那市史によれば昭和37年に共同井戸が、昭和52年に集会所が同和対策で設置されたという。
それらしき物がないか、しばらく探訪していると…
集会所らしき建物を見つけた。
地図には「辻第三公民館」とあるが、文字が消えかかった看板には「辻集会所」と書かれている。これが同和対策で作られた集会所であることは間違いない。
趣のある焼却炉。
そして石碑である。これは「西幅厚」という人物の功績を讃えたもののようである。「差別とのたたかい」に書かれた部落名と姓が同じであるところが興味深い。
周辺には廃墟もあるが、特に廃墟や空き地が目立つということはない。言われなければ部落とは分からない。
古井戸の残骸を見つけた。昭和37年に作られた共同井戸とは、おそらくこれのことだろう。