加須市と言えば、今年の第99回全国高等学校野球選手権大会で同市の花咲徳栄高校が優勝したことが話題となった。
また、加須市は非常に同和と因縁の深い自治体として一部の業界では有名である。1976年の「埼玉県加須市長選挙無効事件」は、裁判で選挙の無効が確定した戦後唯一の実例だが、まさに同和に絡むものであったため、司法関係者には有名であってもあまり表立って語られることがない。
筆者はそんな加須市を訪れた。残念ながら選挙無効事件の関係者はとっくに鬼籍に入っている。しかし、加須市の同和地区は1962年に同和地区精密調査の対象となったため、以下の詳細な資料が残されている。
同和地区精密調査報告書(昭和37年及び昭和38年)埼玉県北埼玉郡騎西田ケ谷・中原地区
筆者が興味を持ったのが、この資料に掲載された「中原」という地区だ。中原は加須市西部の松林の中にある、別名「林の中」という部落で、旧志多見村の上原と下原の間にあるため「中原」と呼ばれた。
志多見交差点に着いたときには、既に黄昏が近づいていた。
ラーメン屋の近くのこの空き地。ここには最近まで「山崎屋食堂」があり、デカ盛りの店として有名だったが、残念ながら昨年店主の息子が放火して焼けてしまった。
同和地区精密調査報告書によれば、中原の世帯数は33で主な姓は、さきほどの食堂の名前と同じ「山崎」であるという。
山崎屋食堂のあった場所の角を曲がって住宅地に入ると、確かに「山崎」という表札の家が多い一角がある。国土地理院の地図でこの場所を調べてみると、小字名として「林之中」と書かれている。むしろ正式な地名は「林之中」で、中原が俗称のようだ。
現在では林に囲まれているというほどでもないが、あちこちに竹やぶや雑木林がある。
見たところは普通の住宅地で、建設業者や造園業者がある。
…と思ったら、普通の住宅に混じって、筆者には見慣れた形式の住宅が。
奥に進むと、同和地区に見られるニコイチ群が現れた。同和事業の初期作られた形式のもので、相当年数が経過しているようで、空き家も見受けられる。
ニコイチ群からさらに進んだところにあるのが、志多見集会所。これも同和事業で作られたものだという。ただ、解放同盟や法務省のポスターのようなものはない。今では普通の公民館のようになっているようだ。
さらに進むと、日枝神社が現れた。
神社の周囲には松林がある。同和地区精密調査報告書にある松林の一部かもしれない。
暗いため写真が超絶にボケてしまったが、「白山大神」と書かれている。ここには白山神社も合祀されているということだろう。
同和地区精密調査報告書には、昭和初期に「平長」という地区から川島姓が流入したとある。確かに、部落には川島建築をはじめ、川島という家がいくつかある。ただ、「平長」がどこなのか分からない。
地図で調べると、「平永」という地名があり、そこに白山神社がある。「平永」が部落かどうかは分からないが、そこに何か手がかりがあると思い、行ってみた。
この臭突のある家の近くに白山神社があるらしい。
ここがそれのようだ。2つの祠があり、もう日が暮れかかっているので明かりが点いている。
ここは同じ敷地内に白山神社と八坂神社が隣り合っている。そして、寄付者の名前を見ると、確かに川島という姓が見られる。
おそらく、「中原」の川島姓が平永から流入したことは間違いないのだろう。ただ、川島姓は加須市においては平永以外にも多く見られる地区があり、また平永には白山神社があるものの、部落であるという根拠はない。川島姓の流入は混住が進んだと解釈すべきだろう。
加須市には他にも見どころはあるのだが、日が暮れてきたので、今日はとりあえず終わりにした。