同和会分裂の原因となった愛媛県庁占拠事件の記事を見た方から、全日本同和会が集団で役所に押しかけたのは1度きりではなくて、宮崎県でも同じような事をやっていたのではないかという情報を頂きました。
今回発掘されたのは1978年の宮崎日日新聞の記事です。
記事だけでは問題の全容は分かりませんが、事のあらましは全日本同和会の要求で高鍋町の岩村一郎町長が同和事業の実施を約束したものの、住民が猛反発。反対集会が開かれ、町長は約束を撤回。同和会と反対住民の板挟みになった町長は心労で体調を崩して辞職。
後任の渋谷清明町長も同じような事を繰り返し、同和会側は九州内の会員を動員して闘争、町側も徹底抗戦して町役場を封鎖、行政がストップするという異常事態になったということのようです。
全国部落調査によれば高鍋町には部落はありませんが、同和事業は建前上「属地主義」なので、町が同和事業をするためには、どこかを同和地区指定しないと国の予算は出ません。しかし、同和地区指定をしようとしたら当の住民から猛反発されてしまったわけです。
結局どうなったのか高鍋町に聞いたところ、「当時を知る職員がいないため、分からない」とのことでした。ただ、高鍋町は同和事業を行わなかったとのことなのでいずれにしても、同和会の要求は通らなかったものと考えられます。
当時は全国各地で同様なことが起こっており、もし同和会の要求が通っていれば、住民が「同和地区ではない」とする場所が同和地区指定されていたことになります。