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Channel: 宮部 龍彦 - 示現舎
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部落探訪(40)大阪府大阪市北区中崎西“舟場”

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部落と言えば「差別」ということが強調される一方、差別されなくなった部落がメディアでクローズアップされることはあまりない。「解放」された部落というのはどのようなところなのか、本当に部落差別を解消したいと思うのであれば、そのような事例は参考になるものであるし、本来は多くの人が興味を持って当然のことである。

そのような「解放」された部落の1つがかつての舟場ふなば地区、現在の大阪市北区中崎西である。

大阪市同和事業促進協議会10年の歩みによれば、北区舟場町、堂本町、葉村町のそれぞれ一部が「舟場地区」とされていた。この3町の場所は、現在の大阪市北区中崎西とほぼ一致する。

今でこそここは都市に飲み込まれているが、昭和初期までは大阪駅周辺の東海道線の北側は田畑が広がり、舟場地区も、まさに「村」だった。しかし終戦直後に田畑だった場所にバラックや闇市が立ち並び、今のような都市に変わっていった。

1935年の全國部落調査の記録では、世帯数91、人口469。「10年の歩み」が刊行された1963年には世帯数85、人口405とされる。

しかし、「10年の歩み」では全ての世帯が「部落民」ではないと述べている。当時でも5割以上が一般民であり、「部落民」は85世帯のうち、40世帯に満たないだろうとしている。このことから分かるのは、全國部落調査をはじめとする統計資料が必ずしも「部落民」の数を表したものではないということである。

最寄り駅は地下鉄中崎町駅だが、大阪駅からも歩いていくことが出来る。大阪のファッションの中心地、梅田のヘップファイブの方に出て、環状線沿いに歩けばよい。

このコンビニは比較的最近できた。この風景からは部落とは分からない。

しかし、さらに進むと、蔦に覆われた古民家が現れた。廃墟かと思ったら。

店舗が営業している。オーガニック食材の専門店のようだ。実は中崎西には、このような古民家をそのまま利用した店が多数ある、

ビルの間に、古民家が立ち並んでいる。これらのほとんどは、住居ではなく商店になっている。

古民家猫カフェなるものも。このように、古民家、町家を全面に出した店が多い。「10年の歩み」によれば、舟場は靴・履物商による部落だったという。かつての部落の佇まいを残したまま、このような形で発展している部落は珍しいだろう。

細い路地にある民家も店舗に改装されている。家が売られて、かなりの住民が入れ替わっているものと考えられる。

こちらは、葉村温泉という、かつての町名を冠した銭湯。料金は大阪府の標準的な公衆浴場の料金だ。昔は舟場温泉という部落改善事業で設置された浴場もあったのだが、既になくなっている。

済美せいび」というのは、この辺りの町内会の名前らしい。「10年の歩み」にも「斉美会館」という建物があったことが書かれている。

細い路地があり、普通の住宅があるが、こんなところにも住居と商店が入り混じっている。

この三叉路がかつての「村」の中心で、戦前はこの辺りに集落があって、周辺に田畑が広がっていた。

通行人は若者、特に女性が多い。地区内にはECCの語学、コンピューター、美容師等の専門学校があり、ヘップファイブやエストの延長線上のような場所にある。そのためか、若い女性向けの雑貨店、古着屋、カフェが集まっている。

2011年ごろまで「舟場フォトサービス」という、唯一「舟場」の名を留める物件があったが、今はもうなくなっている。写真は2009年のグーグルストリートビューのもの。

それでも、ここが、かつて同和地区として改善事業の対象だったことは間違いない。しかし、1969年の国の同和対策事業の対象にはならず、今日に至っている。「10年の歩み」には次の記述がある。

寝た子を起こしたくはないが、部落として同和事業の対象として、改善事業の助成は受けたい、と云う考えが非常に強い。かっては、熱烈な解放運動員を出した地区ながらも、現在は40年に亘る運動と実践により解放されんとしているのだ。今頃、差別差別だと云って、ヒステカルになる解放同盟には反撥を感じる、同盟には這入らない。大阪市同和事業促進協議会には、大阪市の同和事業の対象になるから加入すると公言する状態である。

要は住民の興味は行政から金が出るかどうかであって、差別といったことには興味がなくなっていったことが伺える。金は貰いたいけど、解放同盟の運動には協力したくない。そうはいかなかったので、同和地区指定が外されたといったところだろう。

しかし、その選択は正しかっただろう。同和事業の対象となっていれば、大阪市内の他の部落のように、公営住宅が立ち並ぶ、殺風景な住宅地になっていただろう。いやいや、舟場は梅田の近くだから特別だと思うかも知れない。しかし、駅近くの本来は一等地の場所なのに、未だに「同和地区」であり続けている部落はある。同和事業は問題もあったが成果もあった、必要だった、と申し訳のように言われることがあるが、この言説も全ての部落に当てはまるものではない。

大都市の中心駅の近くにある部落という同じような条件にありながら、同和地区指定されて未だに隔絶感を残している京都の崇仁、同和地区指定を外され「解放」された大阪の舟場。両者の違いから学ぶべきことは多いだろう。


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