部落問題と言えば西日本であって、関東ではほとんど聞かないと言われる。しかし、関東でも北関東には部落が多く、なおかつ同和行政も活発だった。隣保館の分布を見ると、そのことがよく分かる。ただ西日本に比べると大規模な部落は少なく、運動団体も1つにまとまらなかった自治体が多い。
そんな北関東でも比較的規模が大きな部落が、今回訪れた小山市の部落である。
部落はかつて「稲葉郷」と呼ばれた地域の東側にあり、「東町」と呼ばれた。現在はほとんどの場所が「城北」、「駅東通り」等に改称されている。
1935年当時の世帯数は121、人口は781であった。
ここが部落のメイン通りとも言える県道339号線。1980年代に作られた。ご覧の通り、飲食チェーン店やレンタルビデオ店、スーパーマーケット等が立ち並び、典型的な北関東の地方都市の様相である。とても部落には見えない。
ただ、道の脇に気になる住宅が見える。これは、非常に古いタイプの公営住宅で、関東の農村部に作られたものだ。
この地域は1980年代までは田園風景が広がっていた。城北はほとんどが田畑で民家はあまりなかった。駅東通りの辺りが部落の中心だった。
それが、90年代に急速に都市化。今のような風景になったのは、21世紀になってからである。
関東の部落にはよくある白山神社も駅東通りにある。神社の前の畑にはサトイモが育っている。
この白山神社は、社務所もある立派な神社だ。
1992年に発行された「栃木県部落解放運動の歩み」によれば、稲葉郷の起源は、平将門に仕えた者が藤原秀郷との戦いで負けて、捕らえられて連れてこられたとの伝承があるという。ただ、「史実かどうかは定かでない」とする。
こちらは、同和対策で作られた城北集会所。「いきいきふれたいセンターあじさい」という老人施設を兼ねている。もはや同和という雰囲気は見られないが、れっきとした同和対策集会所で、「同和問題の根本的な解決及び基本的人権が尊重される社会の構築に資するため、住民の教養の向上、健康の推進、生活文化の向上等を図る場及び人権教育、人権啓発、人権意識向上等の推進の場として」存在している。
集会所の近くには線路がある。これは東光高岳専用線という工場の製品・資材運搬用の線路で一応現在でも使われているようなのだが、草が伸び放題で線路脇は畑になっている。
さらに部落を散策すると、ここが最近まで農村だった形跡をあちこちで見ることが出来る。新しい住宅があちこちに立ち並んでいる一方で、農村にありがちな臭突のついた住宅が混ざっている。
古い公営住宅が非常に多く見られ、早くから同和事業が行われ公営住宅が建設されていたことが分かる。
一方で、立派な屋敷も多い。県道339号線沿いを注意して見ると、道路に面した大きな民家がいくつもある。その表札のほとんどは「松本」「松島」「松嶋」であり、古くからの住民の家であることが分かる。
部落とはいっても、小山駅のすぐ近くである。急速に都市化したことで、古くから土地を持っていた農家は、裕福になったことが伺える。
田畑をつぶしてアパートを建てれば、大いに収益が得られるだろう。
アパートに囲まれたプレハブが…これはもしや?
年季の入った全解連(全国部落解放運動連合会)の事務所だった。青いテープには「全国地域人権運動総連合 栃木県地域人権運動連合会「人権連栃木」」と、改称後の名前が書かれている。
残念ながら、訪れた日は休日だったためか、誰もいなかった。