1962年から1963年にかけて、政府の同和対策審議会は「同和地区精密調査」を実施した。ここ、加増は調査対象の1つとして選ばれ、1963年に「同和地区実態調査報告書」が作成された。
報告書の作成から50年以上が経過しているので、報告書は著作権が消滅したパブリックドメインとなっている。
報告書には、荒堀の位置が地図で示してある(なぜか「堀」の字が消えている)。また、小諸市内の他の部落、「四ツ谷」「平原」の位置も示されている。
加増の産業は農業が主ではなく、草履製造、家畜商、皮革、精肉商等であったという。そして、この部落の産業で特徴的だったのがウサギの革だ。
「人間みな兄弟」にあったこのシーンは、ウサギの毛皮を干しているものと考えられる。
表通りには、肉屋と、革製品の製造会社がある。当時の産業が今も残っていることが分かる。
部落内にある荒堀薬師堂は、小諸市の重要無形文化財である。
毎年春になると「夜明かし念仏」という行事が行われる。以下はYoutubeに上げられている、その模様である。
薬師堂の横に畜魂碑を見つけた。この地で古くから畜産業が行われていたことが分かる。
部落内には公営住宅、保育所など福祉施設が多い。報告書によれば1955年に同和対策の隣保館が建設され、1963年に政府の「同和対策モデル地区事業」の対象となり、早くから同和事業が行われていた。公営住宅の建設、不良住宅の改修、道路の整備が行われた。
現在、道路は概ね整備され、自動車が入るのに支障はない程度になっているが、あちこちに細い路地の面影が残っている。また、部落は全般的に傾斜地にある。
また、家には臭突があることから、まだ下水道が整備されていないことが分かる。
報告書によれば、部落の行事は白山神社を中心に行われる一方、宗教は浄土真宗が多く、そして「最近創価学会の信者がこの地区に27世帯に及んでいるのに注目したい」と記されている。
そして、当時から課題だったのが過疎化だ。学校を卒業した若者は部落を出て、東京、名古屋方面に就職することが多かったという。部落の風景からも人口の減少が伺える、
ただ、賃貸住宅もいくつか見受けられる。
建て増しを繰り返したと思われる、比較的大きな民宿があったが、すでに廃墟となっていた。「民宿浅間」は電話帳には2002年まで掲載されており、地元の建設会社が経営していたようである。2002年の同和事業の終了と共に、営業を終えたということだろうか。
いつの間にか同和事業集結から14年、時の流れを感じさせる。
部落の中に城があった。この城はさきほどの民宿の別館である。無論、ここも既に使われている様子はない。
島崎藤村ゆかりの観光地として、加増が再び盛り返す日は来るのだろうか。