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鳥取ループ(取材・文)
前回に続いてのレポートです。
今日は前回に続いて証人尋問が行われました。
前回はWOWOW、スターチャンネル、スカパーJSATの各衛星放送事業者に対する尋問が行われましたが、今回は最後の衛星放送事業者である(一般社団法人デジタル放送推進協会)DPAの社員が尋問に立ちました。
DPAは難視対策衛星放送を運用しており、無料放送であるという点が他の事業者と違います。
検察、弁護士の双方から、難視対策衛星放送とは何なのかについて質問がされました。そこでDPA社員から最も多く出たのが「緊急避難的」という言葉です。その意味は、放送法に基づいて定められた基幹放送基本計画、電波法に基づいて定められた基幹放送用周波数使用計画により地上波の放送範囲が限定されており、難視対策衛星放送はその原則を破って本来は首都圏に限定された放送を衛星を使って全国に再放送しているということです。言い換えれば法律上の根拠がないということだと思われます。
難視対策衛星放送を受信できる視聴者の条件は4つあり
これらの条件はDPAが定めたもので、B-CAS社との契約は有料衛星放送事業者と同じです。つまり、B-CASとの契約上はDPAは誰にでも視聴をさせる権限があります。
ただし視聴には申請が必要で、視聴者は最小限にするという方針があり、視聴世帯数を総務省に報告しているということです。視聴者を最小限にしている背景には基幹放送基本計画で地上波の受信地域が放送局ごとに限定されていることがあります。しかし、その理由についてまでは「答えられる立場にない」ということでした。
前回の有料放送事業者の社員がかなりぶっちゃけて答えているのに比べると、DPAは少し奥歯に物が挟まったようなところがあるのが印象的でした。
ではB-CAS書き換え騒動でDPAがどのような損害を受けたかというと、金銭的な損害はなく、ただ総務省に正確な視聴世帯数を報告できなくなるということでした。
次に、休憩を挟んで多田被告への被告人質問が始まりました。まずは弁護士から、現在の被告の状況、逮捕されるまでの経緯が質問されました。
多田被告は今年の4月末に京都大学を退職。その理由は事件後に教員や学生との接触を禁じられ、隔離部屋で1人作業をさせられることになり、居づらくなったためでした。現在は、東京に引っ越してそこで別の職場に就職しています。
事件前は2011年ごろからオピニオンサイト「アゴラ」や「平成の龍馬 blog」で言論活動を開始。そこで難視対策衛星は誰もが見られるべきだといった主張をしていました。きっかけは、2010年10月に池田信夫が地デジ不要論を唱え、それに多田被告も共感したことでした。要は衛星放送で全国にあまねく放送できるのだから、高コストの地デジは無駄だというものです。
2011年6月にアナログ放送が停波された時に、DPAが停波により一時的に視聴できなくなる世帯のために、暫定的に難視対策衛星の視聴申請を受け付けており、多田被告は実際に申請して2012年1月に視聴期限が切れるまで難視対策衛星を見ていました。
そこまで難視対策衛星にこだわるのは「東京への憧れ」のためだと強調していました。
そして、2012年5月にB-CAS書き換え騒動があり、多田被告もカードを書き換えて、ブログに書き換え方法等を掲載し、6月に事件が起こるということになります。
ここで弁護側と多田被告が強調したのは、あくまで難視対策衛星を見るのが目的であったが有料放送を除外して難視対策衛星だけ見られるようにする方法がなかったということです。ただし、有料放送には関心がないとしながら、なぜ有料放送を録画したのか問われると、そこはよく覚えていないと返答につまる場面がありました。
検事もその点について、有料放送が見られるようになると分かって書き換えたのではないかと追求しました。しかし、多田被告の答えは、あくまで有料放送には関心がないということでした。
また、難視対策衛星の視聴を申請したことがあるのなら、視聴が限定されるというB-CASの仕組みをよく理解していたのではないかと問われると、それは知っているが、法律上犯罪にはならないし、倫理的にも見ることに問題はないと考えていると多田被告は答えました。
そして、無罪になればまたカードの書き換えをするのかという問いには、多田被告はしないと答えました。その理由は「今は東京にいるので東京のチャンネルが見られるので」ということでした。
最後に、裁判官からいくつか質問がありました。
裁判官が「2038年化とは何ですか?」と聞くと、多田被告は「それはカードの書き換えで2038年まで見られる状態になるから」と答えました。
裁判官も、なぜ有料放送を録画したのかに関心を持っていましたが、多田被告の答えは弁護士や検事に対するものと同じようなものでした。ただ、カードを書き換えた後に気が変わって有料放送を見たくなったということではないということでした。
そして「有罪になれば司法の判断を受け入れますか」という裁判官の問いに、多田被告は「有罪になれば書き換えはしません」と答えました。
また、B-CAS社からは損害賠償の請求をされていないことが明らかにされました。
次回公判は10月30日13時20分から、京都地裁209号法廷で行われます。そして、12月3日11時30分に同法廷で判決が言い渡されることになります。
私の予想ですが、第1審は執行猶予付きの有罪判決の可能性が高いと考えられます。というのも、無罪が予想されるなら、裁判官が「もし有罪だったらどうするか?」というような質問はしないと思います。まず、有罪ありきでその上で情状酌量の余地があるかどうかを探っているように感じました。あの場で「有罪になってもやる」と答えたら即実刑になるということなのかも知れません。
では、仮に有罪であるとしたら、B-CASカードを書き換えてDPAの難視対策衛星を視聴したことについても罪とされるのか、あるいはWOWOW等の有料放送を視聴したことに関してのみ罪とされるのかが注目されるところでしょう。なぜなら、後者の判決が確定すれば、2015年までのわずかの間ですが、B-CASカードを書き換える等の方法で堂々と難視対策衛星が視聴される現象が発生する可能性があるためです。
ここは非常に微妙な問題です。私電磁記録不正作出は私文書偽造の延長線上にある犯罪で、私文書偽造は文書の内容の真実性よりも、文書の作成者に文書を作成する権限があるかどうかが重視されるからです。そういう意味では、いくら放送法上は難視対策衛星を誰でも見てよいとは言ってもB-CASカードを書き換えるのはアウトと言えますが、そもそもDPAの業務に法的根拠がないため、DPAには視聴を制限する私電磁記録を作成する権限がないという考え方もあるためです。
検察が有料放送を視聴したことについて追及していたのは、その予防線の意味もあるように感じられました。
鳥取ループ(取材・文)
「殺されるかと思った、ここは天国や」と語るのは、井上麻里子(仮名)さん。彼は体じゅうが生傷だらけ、さらに約600万円の借金を抱えて自己破産の準備をしているところだ。なぜこんなことになってしまったのか。
「彼」と書いたのは、井上さんは実は性同一性障害(GID)である。特に女性のGIDのことを Female to male 略してFTMという。性転換こそしていないものの、見た目は男である。悪夢の発端は、一昨年FTMBOYRANKという、FTMが出会いを求める掲示板サイトで、伊崎茜という女性と知り合ったことだ。
2011年2月、彼は生まれて初めて自分がGIDであることを手紙で両親に告げた。しかし、両親は認知症の祖母への気遣いで手一杯の状況で、手紙の内容をしっかりと理解していなかった。また、本人から直接話をされていないため、大切な手紙は忘れられていた。
その年の6月、祖母の体調が落ち着くと同時に、彼は両親のもとを離れて、大阪府茨木市内のアパートで一人暮らしを始めた。
12月末、彼は両親にメールで「彼女」がいることを告げた。当然、両親は動揺し、父親は口にはしないが憔悴しきっており、それがもとで顔面麻痺で入院。一方、姉妹や周囲は「好きにさせれば」という立場。もっとも、彼は自分で服を選べるようになってからずっと短髪で男物の服といういでたちだったので、今さらGIDと判明したからと言って何かが大きく変わるというわけでもない。しかし、母親は彼に対して「相手の両親に正直に伝えなさい」と話をしたが、一方で「あんたは男っぽいけど女」と言われた彼は、理解してくれないと電話口で怒鳴り、母親も感情的になり言い返すなど、両親との仲は険悪になった。もっとも後で分かったことだが、彼が実家と電話する時は彼女が常にそばにいて何を話すかを指示されており、家族と対立するように仕向けられていたとも言える。
同じ頃、彼は彼女とアパートで同棲を始めていた。同居のきっかけは、彼女が福岡県北九州市の実家で家族と喧嘩をして、家出するような形で、犬2匹を連れて本来はペット禁止・同棲禁止の彼のアパートに転がり込んだという。その頃から様子がおかしくなり始め、介護の仕事を度々無断欠勤するようになった。翌年の元旦、彼は実家にも顔を見せなかった。
実はその頃から、彼女が彼のカードで買物をさせたり、まともな食事をさせず、眠らせない、といった異常な生活が始まっていた。彼女が彼に対して暴力をふるい、携帯電話で殴って病院で2針縫う怪我をさせたこともがあった。また、彼は連日夜中までレンタカーを運転し遠出させられて、その結果事故を起こしてしまった。彼女は事故の後で「後遺症で痛い」「お前のせいだ」と彼を責め立てた。
引越しの予兆があったため両親が2人の同居するアパートに何度か訪れていた。アパートには彼女が実家から衣類などを送った小包があり、そこに書かれていた彼女の実家の住所を両親が書き留めた。
そして、3月18日に両親がアパートに訪れた時はまさに引越しの最中だった。それもその場を取り仕切っているのは彼女で、何を聞いても彼は黙りだった。母親は「引っ越したら、今生の別れになるよ」と言うと彼は涙を浮かべた。また、「本物の男には負けるのよ」と目を覚まさせようと思って言った。この時から母親は、彼が彼女にマインドコントロールされているのではないかと感じるようになったという。
両親は引っ越す彼を車で追いかけたが、信号に阻まれて見失ってしまった。
どこに行くのか確認するために、引越しの荷物を運んでいた佐川急便のドライバーに聞いても、本人の希望で行き先は言えないというばかり。父親が「自分は父親でアパートの保証人やぞ」と凄んでも、答えられないの一点張りだった。
筆者が佐川急便の担当者に聞いてみると、個人情報保護の絡みで、最近はどこの引越し業者も親族であれ個人に関する事は言えないことになっている。言えるとすれば、警察や裁判所からの照会があった時くらいですかね、と語る。ここがポイントで、例えば「債権者」であれば裁判所を通して情報の開示を求めることは可能だ。だから、普通の引越し業者を「夜逃げ屋」として使えるわけではない。しかし、血の繋がりより金の繋がりの方が強いとは、世知辛い世の中だ。
その後、彼は職場にも出勤しなくなり、携帯電話でも連絡が取れなくなったことから両親は茨木署に捜索届けを提出。しかし、ほどなくして彼から警察に対して両親に居所を教えるなという申し出があり、警察も本人の希望があるから教えられないという態度になってしまったという。
しばらくして、ようやく本人から父親に電話がかかってきたが「沖縄にいる」「人工授精で子供ができた」「お金を送ってほしい」という内容で、どうも様子がおかしい。
ここから、父親による探偵顔負けの捜索が始まった。父親が茨木市の住所に郵便物を出し、ネットで見られる荷物の追跡サービスを利用したところ、引越し先の住所と思われる郵便局に転送されて、そこで荷物が留まった状態になった。そこで、GPS機能のついた携帯電話を小包で送って場所を突き止めるというアイデアも出たが、とりあえずは父親は郵便局に電話した。
郵便局に転送先を尋ねるも、当然教えてもらえなかった。しかし、詳しくは明かせないが特殊な交渉術を用いることにより配送先の郵便番号だけを聞き出すことに成功した。
その郵便番号に該当する大阪市中央区内の場所に直接出向き、現地を歩きまわって手がかりを探したところ、彼が昔から乗っており父親が何度も修理したことのある自転車を発見、ようやく居所を突き止めることができた。
しかし、無理に連れ戻そうとしたところで、また別の場所に引っ越されてしまうか、あるいは連れ戻しに成功したところで、家族との仲がこじれている状態では解決しないと思われた。そこで父親は、この時点ではとりあえず居所を突き止めたことは黙っておいて、何かあれば駆けつけるつもりだったという。
そうこうしているうちに、再び変化があった。父親が茨木市役所に出向いて、これまでの経緯を話して住民票が移されていないか聞いてみたところ、同情した担当者はすんなりと転居先を教えてくれた。しかし、本来であればこれは当然のことで、住民票は原則として公開であり、特にDV・ストーカー行為の被害者として閲覧の制限を申請しておかない限りは、家族の閲覧請求が拒まれることはない。
しかし、驚くべきことはその転居先が、以前アパートにあった小包に書かれていた福岡県北九州市にある彼女の実家になっていたことだ。大阪市からさらに引っ越していたのである。
それにしても、なぜわざわざ転居届が出されていたのか。これはある意味真面目なところがある彼が、仕事をするためには住民票が必要だということで、転居届を出していたのである。しかし、働こうとする彼に対し、彼女は就職が決まった矢先の相手の会社に勝手に断りの電話を入れるなどしてなぜか妨害した。彼の所持金はいつも0円だった。しかし、いざという時に公衆電話で助けを求められるように、お守りの中に買い物の時などのお釣りを貯めて隠し持っていた。
2012年7月7日の朝6時ごろ、彼の方から父親に電話で「助けてくれ」と救援要請があった。彼女はいつも夜更かしして午前4時頃に寝るので、彼女が寝ているすきを見て電話したのだ。
救援要請はとにかく慌ただしいものだった。彼が言うにはとにかく迎えに来て欲しいという。すぐに準備をした父親は新幹線で新大阪から小倉まで行き、さらに彼女の実家の近くまで電車を乗り継いだ。同時期に母親が地元の警察に連絡をしていたため、父親が現地につくと周辺にパトカーが停まって見張っている状態だった。
彼が父親に連絡したことを知った彼女は怒ってかなりの暴力を振るったが、その一方でこの機に父親から金を無心しようと考えたのか、実家の近くのマクドナルドを待ち合わせ場所に指定した。3人はマクドナルドで落ちあい、話し合いをしたが、彼女は彼を帰すことに同意せず、父親がトイレに行くために席を立っているすきに彼を連れてタクシーで逃げてしまった。
ここで彼女は自分の実家が父親に知られていることを知らずに、2人で実家である市営住宅に戻った。しかし、しばらくして父親はそこに押しかけた。
彼女が彼にしがみついて泣いて引き止めるなどそこでも一悶着あったが、彼が帰るという意思を示したため、父親と共に大阪へと戻った。
そして、彼の口から今までの経緯が明らかにされた。彼によればずっと彼女に脅され、暴行されていたという。彼は後で大阪地裁に保護命令申立書を提出しており、そこには医師の診断書と共に脅迫と暴行の内容が生々しく書かれている。例えば「携帯の角で頭や首筋を10発程殴打された」「殺してやる、お前の家族も全員殺してやる、と言われ続けていました」「自分の兄はヤクザだ」といった内容である。一方、彼女もそれに対して反論する書面を提出しており、こちらは逆に「自分が暴行された」「ペニスバンドで責められた」といったものだ。
また、冒頭で述べた約600万円の借金は、彼女に脅されてカードなどで借りさせられたものだ。一時期沖縄にいたのは本当で、彼の個人年金を解約して得た約110万円がホテル代等の旅行費用にあてられた。
父親は、彼女のことだけでなく、警察に対しても憤る。
「麻里子が戻ってきた後で警察に行ったら、やっぱり自分らのせいでこんなことになったという負い目があるのか、すぐに北九州の警察にも連絡してくれましたよ。地元の警察からは札付きの人物として知られているみたいですね。警察はどうして居所が分かったのか不思議がっていましたが、どうやって調べたのかは教えてやりませんでした」
その後、彼女は暴行の疑いで警察に逮捕され、大阪簡裁に略式起訴、30万円の罰金の判決が確定して、現在は釈放されている。
なお、彼女の被害者は他にもおり、「FTMを理解している、そのような友人もいる」と言って信頼させてFTMに近づき、食い物にすることを繰り返してきたという。
ちなみに、彼女の実家の場所は北九州市小倉南区長行東、小字では彼女の苗字そのまんまの「伊崎」と呼ばれる地域だ。彼女の実家はそこにある市営住宅の一室だ。筆者はそのことに何か感じるものがあったので、特に北九州市の部落事情に詳しいという同和マニアに聞いてみた。
「この地区の部落姓は、伊崎と考えられます。昭和51年の住宅地図によれば同和対策の集会所があります。その隣に伊崎さんがいます。しかも、この地区にダントツ多い姓です。他にもこの地域には、北九州に多い部落姓が共存しています。これは被差別部落固有の現象であり単なる偶然とは考えにくいです」
ただし、現地に行ってみると、ごくありふれた住宅地という感じであり、同和地区という雰囲気はない。
GIDというのは同和とともに人権に関する課題として語られることが多い。本人の主張は大々的に取り上げられるが、家族の苦悩や、ましてや今回のようなどうしようもない話は、まずメディアに取り上げられることはない。また、個人情報保護はDV・ストーカーからの保護とからめて語られることがあるが、本人が脅されて誘拐されてしまった場合は、捜索を難しくするということは盲点ではないだろうか。
そして、何より興味深いのは、今回の事件の舞台である北九州市小倉南区に程近い北九州市小倉北区で、2002年に北九州監禁殺人事件があったことだ。家族を対立させ、破滅に追い込もうとする点で今回の事件と北九州監禁殺人事件は共通点がある。奇しくも2011年に発覚した尼崎事件も同様の構図があったことから、再び北九州監禁殺人事件は注目されている。
今回の「伊崎事件」も、一歩間違えば北九州監禁殺人事件あるいは尼崎事件の再来となっていたのかも知れない。
その後、井上さんは自己破産が認められ、介護の仕事に戻っている。母親は実のところ熱心な仏教者であり「麻里子が五体満足で帰ってきたのは信心のおかげ」と感謝している。(鳥)
三品純(取材・文)
90年代半ばのことだ。著者の母校の正門前で中核派による奇っ怪なビラが配布された。ビラにはこのような趣旨のことが書かれていた。自民党元国対委員長・金丸信(故人)が全盛の頃、革マル派の幹部と密会しこう話したという。
「金丸(カネマル)も革マル(カクマル)も一字違いだ。仲良くやろうじゃないか」
長らく金権政治、反動、権力の権化のようにまつりあげられた金丸信との癒着を中核派は指弾したわけだ。この密会の真偽はともかくとして、案外まんざらでもない話だと思った。旧国鉄が分離分割民営化する際に主要な労働組合が反対の立場をとったのに対して、革マル派の影響下にあった一派は「全日本鉄道労働組合総連合会」(鉄道労連後に総連)を結成。そして政府や経営陣の方針に従った。このとき総連が自民党の一部議員とも関係を深めることになったとそうだ。
当時、国鉄の長期債務は約25兆円という莫大なもの。職員の数も飽和状態でなにしろ「窓口で行き先を聞く駅員、切符を渡す駅員、切符を切る駅員、一人でできる仕事を複数の職員でやると揶揄されていた」(元国鉄職員)。
赤字解消のためには民営化、人員整理あるいは赤字路線の見直しは当然のことだった。だが当時の国鉄職員にとって解雇は晴天の霹靂などというレベルではない。
国鉄OBは嘆息混じりにこう振り返る。
「当時、JRはリストラ対象になった職員の受け入れ先としてJR直営の立ち食いソバ店、コンビニを作った。スキー場まで作って雇用を生み出そうとしたがこれが閑古鳥。別の意味で“滑りっぱなし”だ(笑)。私らが若い頃、面倒を見てもらった元駅長が駅構内のスタンドそば屋でソバを盛っている姿はあまりに哀れだった」
激しい民営化反対闘争があったにも関わらず総連だけは国の方針に従ったのだから、一部保守派からも評価されたことは言うまでもない。革マル‐金丸密会の一件もその最中で築かれた縁だったのかもしれない。
“毒をもって毒を制す”という図式がものの見事に当てはまるこの民営化の舞台裏。実は共産党や新左翼は政府ないし体制の方針に従って逆に発言権や立場を得るというパターンがある。60~70年代の学園闘争をへて大学を郊外に移転する動きが各大学で見られた。国は郊外に大学を移転させ地域を活性化させる学園都市構想を進め、一方大学の共産党系の教授らはセクト色を大学から一掃するために郊外移転に賛同した。
だがこの手法は現状の問題解決には特効薬となるがなにせ後に禍根を残す。国鉄の民営化についてもまさにその図式で、民営化後、少なくとも東日本にあるJR各社は長年にわたり総連・革マル派の影響を強く受けることになった。
中でも日教組などその他、労働組合が強いため”赤い大地”と呼ばれる北海道のJR北海道は特に総連の強い影響下におかれてきた。そして”走るトラブル”と化したJR北海道の相次ぐ不祥事の裏に総連の影が取り沙汰されているのだ。JR北海道はいわゆるJR三島会社(JR北海道、四国、九州)の中でも厳しい経営状態にあった。詳細は後述するが赤い大地・北海道でもJR総連は強い基盤を持っているのだ。
革マルと総連の関係はあの民主党政権ですら認めたことだ。民主党内には革マル派の組織内候補や関係が深い議員もいる。しかもそもそも労働組合の支持を基盤とする民主党にとって総連も重要な票田である。JR総連は結成時に全日本民間労働組合協議会(全民労連)に加盟し、そして全民労連は1989年の日本労働組合総連合会(連合)に合流した。連合といえば民主党の最大の支持基盤であり、連合の会長は民主党代表とも定期的に会談の場を設けてきた。だから本来なら民主党の本音としては触れたくない話題ではある。
ところが2011年9月27日、革マル派との関係を問うた質問主意書に対して野田政権はこう回答した。
「全日本鉄道労働組合総連合会(以下「JR総連」という。)及び東日本旅客鉄道労働組合内には、影響力を行使し得る立場に革マル派活動家が相当浸透していると認識している」
今さらと言えば今さらの話なのだが、改めて政権が革マルと総連の関係に言及した異例の事態だった。さて2011年といえばこんなJR北海道内でこんな事件も起きていた。
5月27日に発生した石勝線、特急「スーパーおおぞら14号」の脱線火災事故は負傷者39名を出す大惨事となった。すすで顔が黒くなった乗客の映像は事故の深刻さを物語っていた。
会計検査院によると同年に実施した約3千回の車両検査のうち約28%で基準が守られていなかったことも発覚。2013年に入ってからもJR北海道の運転手が覚せい剤使用で逮捕されるなど種々のトラブルが続き、不祥事の数々が大きく報じられることになった。この薬物使用についてもJR関係者によれば「覚せい剤使用の運転手も総連系だった」と話す。
正確に言えば覚せい剤を使用した職員が総連というよりも、職員はたいてい総連といった方がJR北海道の場合、適切かもしれない。通常、JRの労働組合の勢力版図は、東の総連、西のJR連合と言われている。東日本は総連系が占めているが北海道は特に強い勢力を誇る。JR北海道内の労組の構成を現役職員はこう解説する。
「もっとも多数派が総連で約84%を占める。次にJR北海道労働組合(JR北労組)、国労、建公労の順番だ」
北労組は全国的には大きな組織だが、北海道ではまだ10年前に結成された程度。長年、解雇闘争で国と争い続けた国労(国鉄労働組合)も北海道ではさほど強くない。一般の人にはあまり聞きなれないのが建公労だろうか。建公労とは建交労全国鉄道本部の略称で、元は動力車労働組合(JR総連の前身)から分裂した一派だ。このため現在の総連とは対立した関係にある。といっても組合員は「実質、4~5人程度」(同前職員)というから少数派。つまり北海道は実質、総連の一強状態にある。
北労組が発足した当時、総連は「平和共存否定」を通知してきたという。これはざっくり言えば他労組と協力もしなければ、交流もしない旨を伝えた文書である。著者もJR職員から話を聞いて驚くのだが、このご時世でもまだJR内部では他組合員は無視しろ、相手にするな、場合によっては業務上の連絡事項も伝えないといった行為が横行しているというのだ。
また「北労組系の組合員はレクレーションや飲み会などの交流会も参加させないし、結婚にも出席してはいけないし呼んでもいけない」(同前職員)というほど露骨なものだ。
安全を確保する上で重要となるアルコール検査の導入もJR北海道が一番遅かった。検査についてもちろん総連の反対によるところが大きい。その理由というのも「体質的にアルコールを受け付けない者が多いから検査の必要がない」(他組合員)という不可解な理由を挙げたという。数々の不祥事や事故の裏にはこうした労組の怠慢や横暴があったのではないか。
JR北海道の立て直しには経営陣の努力だけではなく労組4団体の協力が求められている。JR総連とJR北海道労組は 10月31日、「JR北海道脱線事故問題取組報告会」を参議院議員会館で開催した。また北労組は11月17日、信頼回復に向け、札幌市内で「JR北海道の信頼回復と再生を目指す11・17集会」を行い会社側に提案する再生プランを発表した。
各労組で再建向けた取り組みが続くが彼らの”連帯”はまだ遠い話だろう。
対して総連側は『JR総連通信』(2013 年 11 月 11 日)でこう主張する。
北労組からの「共同行動拒否」など、的外れな宣伝や誹謗がJR北海道労組への労組攻撃として意図的に行われていることも明らかになった。これらは安全への取り組みを阻害するものであり、断じて許されるものではないと意見が出された。
紙面からは対立関係の根の深さが滲み出るようだ。社会的にも総連側に対しては厳しい視線が集まっているのは否めないところだろう。それに総連がJRの労働現場に落としてきた影も否定できないし、JR総連と革マルの実態については過去、メディア、ジャーナリストたちがたびたび報じてきた。
しかし現場の声を聞くと意外な反応を示すこともある。総連の影響力が薄い中部地方のJR職員はこう疑問を投げかける。中部地方ということは賢明なる読者ならお分かりかもしれないがJR東海のこと。ここは総連の勢力はさほどでもない。同氏はこんな話をしてくれた。
「電車が1分でも遅れたら乗客がツイッターなどにクレームを書き込む。しかも乗務員の名前まで書くからたまらない。管理職もネットの書き込みにピリピリ。かつては駅長と言えば乗務員を守ってくれたものだが、理不尽な乗客に対しても平身低頭。そして軽微なミスでも処罰対象になりえる。またJR西日本のJR福知山線脱線事故の結果、経営体質や職場環境を改革するのではなく運転手や乗務員に責任を転嫁した。だから指導や管理が厳しくなってきて、トイレに行くのにも報告が必要な異常な状態だ」
こうした職場環境に対して非総連系の同氏はこんな評価をする。
「ある時、若い職員が些細なミスをして懲罰を受けると真っ青になっていた。ところが結局、懲罰はなかった。しばらくしたらこの若い職員が総連の書記として会合に出席するようになった。なんでも総連の組合員が懲罰について管理職にかけあい、擁護してくれたそうだ。その縁で総連に加盟したという。この場合、その他労組が何もできない中、かばったのが東海内では決して強くない総連。労組としてそれなりの役割を果たしているのかなとさえ思った」
この評価は難しいところだ。ある意味、組織拡大のために職員を守り組合員を増やしたという見方もできるが、その一方で職員を懲罰から守ったのも事実である。各種の労働組合の運動が形骸化する中、労使交渉ができるのも総連ということなのだろうか。
しかし他組合員に対して容赦ない態度を取るのも総連であり、いざ労働とは無関係の闘争ともなればいかつい活動家たちが大挙する。彼らが真に守るべきものは人、安全、組織、イデオロギーのどれなのか。総連のみならずJRの労組全体が原点に立ち戻り、北海道問題に対処すべきだろう。とは言え想像以上に根深い労労対立という図式。JR北海道内部が正常化するのはまだ遠い先と言えそうだ。(三)
三品純(取材・文)
京都府宇治市ウトロ地区。ここは戦後の在日コリアン史、そして闘争史を象徴するダークスポットだ。長年、不法占拠状態にあり、存在自体がタブー化したこの街が今、政府、自治体の支援を得て転換期を迎えようとしている。しかしそれは真の「解決」か、それとも新たな「火種」なのか? ウトロの今をレポートする。
近鉄京都線「伊勢田駅」を降りる。ここは陸上自衛隊大久保駐屯地の最寄駅で近くには自衛隊官舎もある。駅から徒歩約10分。やや下り坂の道を歩いていく。するとごく普通の住宅街だったのが、ウトロ地区に入ると突如、異様な立て看板が乱立する。以前は整然と立っていた看板も色あせ、破損している物も目立つ。ウトロは住民の高齢化が指摘され懸念材料になっていたが、同時に闘争も弱体化しつつあるようだ。
とは言えウトロ周辺に悶々と醸し出される在日イデオロギー臭は変わらない。看板の一つ「オモニのうた」はウトロの風物詩だ。
「いやや!どんなことがあっても私はよそへは行かないよ あの世からお迎えが来るまでは」
戦後から在日コリアンたちがこの地に住み続け、地主と所有権を争った。2000年11月には最高裁で敗訴が確定。建物の整理と土地の明け渡しを命じられることになる。しかしそれでも住民たちは居座った。支援者や左翼活動家、そしてメディアらとともに「弾圧」「差別」と訴える住民の前には最高裁判決さえも無力で、強制執行すらもできなかった。もちろん彼らの結束力もあってのことだが、もう一つには「在日コリアン」という戦後最大の免罪符があったからこそ成し得たことである。
彼らが執着し続けたウトロ地区とは、正確にはウトロ51、中ノ荒60、南山21‐2、総面積213万3366㎡のことを言う。すぐ隣は陸上自衛隊大久保駐屯地だ。フェンスを隔てた先には、迷彩服姿の隊員が見回りをしたり、ジャージ姿の隊員たちがジョギングする風景も見られる。自衛隊と在日集落、まるで真逆の物が“隣人”なのだ。
実際に歩くと分かるが本当に町の一角に過ぎない。幅100m、長さ300mの長方形のこの一角に60世帯の在日韓国人・朝鮮人が住む。ゼロ年代に入り韓国政府からも支援を受けることになるが、地区内には朝鮮総連(北朝鮮系)京都府南山城支部もある。普通は韓国‐朝鮮籍、民団‐朝鮮総連で対立することもあるがこの地は南北が混在している。いわばもう一つの朝鮮半島がここにあるわけだ。ここで彼らは建設業、解体業などに従事し、生計を立ててきた。在日集落という特性とともに土建屋街という側面もある。
よく「ウトロは何語ですか?」と聞かれることがある。日本語と答えるがまた説明がややこしい。日本語らしく感じないのも無理はないだろう。「ウトロ」という日本語の地名では聞きなれない妙な語感。ひょっとしたら北海道知床のウトロを連想する人もいるかもしれない。知床ウトロ地区は観光スポットで有名だが、宇治市ウトロはダークスポット。かなり異なるものだ。
ウトロとは“一応”固有の地名なのだ。正確には「うとぐち」という。初めてウトロを訪れたのは2007年だった。その時、右も左も分からない著者は駅前の交番で道を訪ねた。警官は「ああ“うとぐち”ですね」と言った。少なくとも本来はこのうとぐちというのが正式な名称である。
その昔、江戸・明治時代はこの地域を「伊勢田村宇土口」といった。もとはごく普通の山林だったそうだ。「宇」とは「家」を意味するそうだから「家がある土地」そんな意味だったのかもしれない。そして口は「宇土」への入口を示す「口」(ぐち)として付けられた。その「口」がいつしか、カタカナの「ロ」と読まれるようになり「ウトロ」となったというのが通説だ。
ウトロをめぐる住民の闘い。もちろん彼らが戦中、戦後の歴史に翻弄されたという事実も我々は理解すべきなのだろう。しかし事の経緯はともかく住民たちの「不法占拠」であることは疑いのない事実である。在日コリアンが「戦後」を盾に物を言えば世の中何でも通用するという訳でもない。しかしウトロがメディアに登場する場合、いつも「悲劇の民」である。『朝日新聞』『毎日新聞』『京都新聞』では定期的にウトロ問題が特集される。おおかた同一の記者の署名記事で執筆され、住民の代弁者のような存在だ。ウトロ番記者といったところだろう。
彼らが戦後、「悲劇の民」に祭り上げられた理由。それは戦前、1940年頃、逓信省の方針でこの地に京都飛行場と航空機の製造工場の建設計画が始まったことにある。この事業は国策会社「日本国際航空工業株式会社」が請け負った。同社は後にウトロの地権者として係争することになる日産車体株式社会の前身だ。補足すると戦後、日本国際航空工業が分割されウトロの所有権は日国工業が保有。やがて1962年に日国工業が日産車体に合併され地権も引き継がれた。
そして飛行場の建設事業には約1300人の朝鮮人が集められた。彼らは「飯場」と呼ばれる集合住宅に住み建設事業に従事した。周辺住民はこんな話をする。
「この辺はすり鉢状の低地ですぐに浸水するんですわ。最近はゲリラ豪雨もあって、もっとひどくなったけど」
すり鉢状になったのには理由がある。飛行場建設のためウトロに集まった労働者たちは土を掘った。それがやがて窪みになっていったらしい。この労働者の中にはやがてウトロ住民になった人もいただろう。実に皮肉なものだ。そして敗戦もまた彼らに皮肉な結果をもたらした。
「太平洋戦争の敗戦の日は朝鮮人にとって解放の日だ。みんなドブ酒を飲んで解放を祝ったよ」
以前、土地の老人にこんな話を聞いたことがある。ドブ酒とはドブロクよりも安価で家庭でも製造できた。また「嬉しくて日本人を殴りに行った」こんな人もいたようだ。ウトロに限らずこうした現象は全国各地で珍しくなかった。敗戦は同時に飛行場建設の終焉を意味した。つまり彼らは仕事を失ったのだ。彼らは「戦勝国」と歓喜したが同時に失業者になったのだ。
そこで残った住民たちはスクラップ集め、ドブ酒の密造など「喰うため」なら何でもやった。ドブ酒とはいわゆるどぶろくなのだが、それよりもさらに下等な酒である。中には城陽市の米軍射撃演習場で薬莢拾いをした者もいた。そして飯場跡に民族学校を作って朝鮮語を教えた。こうして徐々に朝鮮人の「ウトロ街」が形成されていく。そして戦後は朝鮮人たちの闘争の時代。特に朝鮮人学校の設立を求め、GHQ、警察と大規模な争議に発展した1948年の「阪神教育事件」は熾烈だった。その余波はウトロにも訪れ、同年にウトロ民族学校が閉鎖。また1952年3月には数百人規模の警官がウトロに大規模な強制捜査を実施した。
住民たちは暴力行為で逮捕され、密造酒や反米ビラが押収された。この時点でウトロ問題は、単なる住民闘争ではなく、一種のイデオロギー闘争に発展していたことがよく分かる。GHQはここが共産主義の拠点になることを恐れていたのだ。
一方、住民側も徒党を組み行政に押しかけた。ウトロの所有権が一変したのは1987年のこと。町内会長を自認する平山桝夫氏こと許昌九(ホ・チャング)氏に日産車体が約3億円でウトロ地区を売却。そして平山氏はこれを西日本殖産に4億5千万円で転売した。同氏は一時、西日本殖産の代表取締役だった経緯もあり、土地の転売で利ざやを稼いだと住民からも批判が相次いだ。
「権利が西日本殖産に移ったのを知ったのは88年のことだった」(ウトロ住民)というから住民にとってみれば寝耳に水。同じ朝鮮名を持つ人物が土地転しに関わったのだから、ショックも大きかったことだろう。この点はメディアも活動家もずるい点だ。先に述べた通り、特に『毎日新聞』では定期的にウトロ特集を組むが、在日が在日を欺いたという事実を全く報じていない。さらにはウトロの支援者のビラも平山桝夫氏が許昌九であることに言及していないのもフェアではない。いわゆる通名報道だ。
そして1989年2月、西日本殖産はウトロ住民に立ち退きを求める訴訟を起こした。同年4月には約700人がウトロで集会を実施し、日産車体京都工場前で抗議活動を行った。1991年には首相官邸前で陳情を行ったものの1998年の京都地裁判決、高裁控訴審いずれも住民が敗訴。2000年11月の最高裁でウトロ住民の敗訴が決定した。しかしウトロ住民たちは国際世論に訴えかけた。2005年7月、国連人権委員会特別報告者のドゥドゥ・ディエン(セネガル出身)がウトロの調査に訪れたこと。同氏はウトロを「差別の集積地」との見解を示した。
そして2006年9月、国連人権理事会はディエン報告書に基づき日本政府にこう勧告した。
「ウトロに住むコリアン住民の状況に関して、日本政府はウトロ住民と対話し、強制立ち退きから保護し、住宅を失わないよう措置を取るべきだ」
この勧告に法的拘束力はない。しかしウトロ住民を始め内外に与えた影響は大きかった。政府関係者から疑問の声も挙がっている。
「ディエン氏は、日本の人権団体のレクチャーを受け、運動家の主張を代弁したにすぎない。またこの時の人権理事会はフィリピンなど東南アジア地域のスラム問題が主題。それにウトロが便乗した格好だ」
つまり運動家の声の大きさが国連すらも動かしたことになる。人権団体はこうした海外の報告者を来日させ、フィールドワークさせる。ただひたすら「差別だ」と吹き込む。特定団体の主張を真に受ける国連人権理事会にどれだけの価値があるのだろう。
西日本殖産とウトロという、民‐民の係争に不介入の立場だった行政だが、2007年11月20日に京都府、宇治市がウトロ整備を訴える要望書を冬柴鐵三国交相(当時)に提出した。
「平成18年に冬柴国交相は、ウトロと同じく在日コリアンの不法占拠状態にあった兵庫県伊丹市中村地区の整備事業に着手しました。冬柴さんは、ウトロ問題の解決にも関心を持っていました。やはり在日コリアンの人権問題にも熱心な公明党の所属という背景も大きいでしょう」(兵庫県の自治体関係者)
ようやく解決の入口に入ったのは、2007年頃だろうか。韓国政府や韓国内の市民団体「ウトロ国際対策会議」の支援を受けて11年2月、ウトロ一般財団法人がウトロ51‐28の土地3808㎡を購入したことから、ウトロ支援団体の関係者は説明する。
「ウトロ国際対策会議だけでなく、ウトロ支援NGO『KIN』の活動も大きかった。彼らNGOが毎週土曜日にウトロ募金活動、学校でウトロ問題の講演や、韓国日産自動車への抗議活動を行った」
一方、民間同士の係争だったことからウトロ問題に当たれなかった政府、自治体も対策に乗り出さざるをえなかった。国交省、京都府、宇治市による「ウトロ地区住環境改善検討協議会」が結成され、予定では今年度中にもウトロの環境改善に関する総合計画(マスタープラン)が策定される方向だ。
「それにしても大変な日々でしたよ」と京都府内の自治体職員はしみじみ語る。「ウトロの支援団体からは行政はウトロを見殺しにする気かと怒鳴られます。しかし行政は民間の問題に介入できないのですよ。また反対派からもウトロを支援するなとお叱りを頂いた。しかし不法占拠とは言え、今も半分の世帯が井戸水で、浸水も続く状況を行政としては放置できない」
確かに支援者たちも身勝手なものだ。普段は反権力を訴え、行政の介入に対しては「プライバシーの侵害」と訴える。その割にいざとなれば行政にすがるのもおかしなものだ。結局、民間の土地の係争に公金が投じられる。
京都府によると「国の交付金、約2千万円の予算で平成24年にウトロの実態基礎調査、平成25年に基本構想の策定を行いました」という。そして国交省の「社会資本整備総合交付金」を活用して公的住宅を建設する計画が検討されている。
「小規模住宅地区改良事業による改良住宅か、公営住宅法による公営住宅になるかメニューが複数あり、現在、鋭意検討している段階です」(宇治市ウトロ住環境対策室)
昨年取材した当時、ただ国交省、京都府、宇治市、いずれも共通するのは「具体的なメニューは検討中」と説明を受けたが、「何らかの解決策は今年度中に発表する」ということだった。それにしてもあの住民と支援者、マスコミ、これらを納得させるだけのプランはあるのだろうか。
前出の京都府内の自治体職員はこう推定する。
「小規模住宅地区改良事業を活用するのが濃厚でしょう。住民からは戸建住宅の要望も根強いがおそらく1LDK、2LDKといった具合に世帯で別れた集合住宅になる可能性が高い」
小規模住宅地区改良事業、いわゆる「改良住宅」と呼ばれるもので、おおかた同和事業で活用されてきた制度だ。しかし実はこの住宅が思わぬトラブルを生むことがある。もともとこの制度自体、「生活環境の整備が遅れている地区において、住環. 境の整備改善又は災害の防止のために、住宅の集団的建設、建築物の敷地の整備」を目的にしたもの。しかし実態はイコール同和事業と言っても差し支えない。ところが近年、老朽化による空室問題や、また住民による大規模なまた貸し、あるいは家賃の滞納といった問題も発生している。さらに従来の住民を対象にしている制度のため、もちろん地区外からの入居はできない。旧住民が退去するなどし、空室ができた場合、条件を満たせば一般住民を入居できるが、地域によって旧住民と新規入居者の間でトラブルが発生することも少なくない。というのも旧住民は改良住宅を行政から「勝ち取った」という意識がとても強いため、彼らからすれば新住民は、「何も運動をしていないのに住居だけ得た」というマインドが働くのだ。
またウトロ地区住環境改善検討協議会がまとめた地区住民意向調査によると若年層(30代以下)を含む世帯が60世帯中22世帯、そのうち未成年者を含むのが7世帯だ。つまりどういう形態の住宅整備になろうが、戦前からの住民を対象にというよりは、その2世、3世のための住居整備という色合いも濃い。
京都府、宇治市も「戦後補償ではなくあくまで住環境整備が目的」と強調するが、戦後から継がれた闘争の結果、ようやく彼らは住居を勝ち取るのである。だが結局は事実上のコリアンタウンという性質を帯びることに違いはない。住民からすれば「勝ち取った権利」、日本人から見れば住民の「押し切り勝ち」にも見える。
どうあれ一応の結論が出ようとする今、長年の“ウトロ闘士”は何を思うか。住民でウトロ町づくり協議会代表理事、町内会長を務めた金教一氏に話を聞こうと、町内の同氏の建設会社を訪ねた。
「高齢の上、体調不良でお話できる状況ではない」
やはりここにもウトロ住民たちの高齢化問題があったのだ。となるとこれからのウトロを担うのは2世、3世ということになる。彼らを待ち受けるのは平穏な生活か、新たな火種か?
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三品純&鳥取ループ(取材・文)
清掃会社の売却を持ちかけ現金2000万円をだまし取った疑いで八尾市内の丸尾勇容疑者が逮捕された。同容疑者と言えば2006年にも八尾市の市営住宅改善工事に関連し、知人の下請け業者を使うよう建設会社に要求。その際、現金数百万円を脅し取った恐喝で逮捕されていた。何よりも度肝を抜かれたのが容疑者の風体で、絵に描いたようなコワモテの容貌は同和事業の闇を伺い知るに十分だったのである。丸尾氏が隆盛の頃、
「実は警察すらおいそれと手が出せなかった」とは地元の事情通である。
このため06年に逮捕された際も「府警対応で八尾警察署はノータッチ」(同)というのだ。
丸尾氏は解放会館内(現八尾市立 安中人権コミュニティセンター)に自身が経営する造園土木会社の電話を設置し、営業活動をしていた他、市から業務委託されていた墓地の管理・運営をめぐり委託料を受け取っていたものの、墓の使用者からも二重に受け取っていたという過去がある。八尾市行政に食い込み長年、不当な利益を得ていたのだ。
現在の 安中人権コミュニティセンターは完全に八尾市で運営され、部落解放同盟安中支部はセンター近くに八尾市人権安中・高美地域協議会を設置し、再スタートを切ったのである。
一方、丸尾氏自身も出所後、八尾市内で「風の水平会」を立ち上げ、活動を続けてきたが今回の事件に及んだのである。
事件について地元の人権運動家はこう解説する。
「実はまだ詐欺行為だったのかまだ不透明な部分が多い。というのは一般ゴミの清掃会社は表向きは一般ごみ収集許可を得たということになっているが、実は一代限りの株といったもの。だから子供でもその株を引き継げるかはグレー。そのことを知りながら清掃会社の権利を売ろうとしたのかが事件の争点になるだろう」
つまり清掃事業は行政の許認可ではなく一種の慣習的な要素が強く、「丸尾氏も清掃事業の組合を運営していた」(同前)というから丸尾氏の個人事業という性格が強いのだ。
これは八尾市に限ったことではなく清掃事業や下水道が完備していない地域における「衛生車」(バギュームカー)の汲み取り事業も特定個人に委ねられていることが少なくない。このため「必ずしも事業の跡取りがいるわけではないので、事業主が高齢化し事業を継続できなかった段階で自治体に権利を返上するなどの段階的な措置を取らざるをえない」(自治体職員)。
再び逮捕された丸尾氏。しかし今回の事件から見えるのは単に同和事業の弊害ではなく清掃事業が極めてグレーな慣習によって成り立っている点だ。我々の生活にゴミ収集は不可欠な事業。だからこそ一層の透明化が必要になる。事件からはこんな教訓を得ることはできないか?(三・鳥)
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本の内容
国家レベルの問題が山積する沖縄。その歴史と現在を新しい視点で解説。
●序章:沖縄問題の本質
沖縄問題は国家の基本問題ばかり
沖縄問題の本質は占領軍による日本民族分断工作
占領軍から中国共産党に移った日本民族分断工作
中国共産党が仕掛ける琉球独立歴史戦と無防備な日本の沖縄の歴史観
沖縄問題の解決策は「日本国民の民族意識の復活」
沖縄の分断を招く誤った日本の歴史観(一)「明治維新」と「琉球処分」
沖縄の分断を招く誤った日本の歴史観(二)「沖縄戦」と「沖縄県祖国復帰」
沖縄を守る日本民族の使命
●一章:今明かす、祖国復帰の真実
沖縄返還協定批准貫徹実行委員会
沖縄歴史コラム① 沖縄県祖国復帰協議会と七〇年安保
●二章:「沖縄祖国復帰の真実について」解説
沖縄問題の根源は「沖縄県祖国復帰協議会」にある
復帰運動のクライマックス11・17「沖縄返還協定強行採決」と「幻の建議書」
復帰協の安保闘争を粉砕した「沖縄返還協定批准貫徹実行委員会」
祖国復帰記念式典に参加しなかった沖縄県祖国復帰協議会
屋良主席を日本政府との対立に追い込んだ沖縄の革新勢力
今の沖縄は復帰直前と全く同じ事が起きている
沖縄と本土の亀裂は日本を滅ぼす最大の敵
日本を守るために国民一丸となって日本防衛の決戦場「日本国沖縄」を守ろう!
●三章:習近平も注目の沖縄県知事選「ネットvs新聞」の代理戦争
「辺野古移設」は争点になるか
「辺野古」を争点化する沖縄メディア
経済が争点なら県知事の圧勝
「8・23辺野古県民集会」
「辺野古県民集会」が内包する致命的欠陥
辺野古移設は「目的」ではない「手段」である
沖縄二紙に喧嘩を売った県知事
沖縄歴史コラム② 琉球政府主席公選
●四章:沖縄県知事選挙の裏に潜む琉球独立工作
糸数慶子が企む琉球独立革命
人種差別撤廃委員会
先住民族国際会議
沖縄社会大衆党の正体
沖縄歴史コラム③ ペリーと沖縄
米国民政府に日の丸掲揚を黙認させた沖縄県民の祖国愛
名護市嘉陽の聖火宿泊碑
東京オリンピックの翌年に実現した佐藤栄作総理大臣沖縄訪問
沖縄歴史コラム④ 「国政参加選挙」と「沖縄国会」
●五章:祖国との一体感を求めて開催された東京オリンピック沖縄聖火リレー
米軍占領下の中で東京オリンピックを迎えた沖縄
祖国との一体感を求めて聖火リレー開催を!
日の丸掲揚が禁じられていた沖縄
●六章:日本開国の拠点として狙われていた「琉球」
「琉球処分」とは非常に平和的な国家統一事業だった
朝命の遵奉の決断を下していた尚泰王
「琉球処分」とは親清派琉球士族の処分であり琉球庶民の救済である
沖縄歴史コラム⑤ 「ニミッツ布告」と「琉球列島米国軍政府」
当時の東アジアの安全保障環境を理解せずして「琉球処分」は語れない
アヘン戦争後フランスは清国に琉球の割譲を要求していた
沖縄を日本開国の拠点と狙いを定めていたフランス
フランス軍艦の来琉(一回目)デュブラン艦長
フランス軍艦の来琉(二回目)セシーユ提督
フランス軍艦の来琉(三回目)ゲラン提督
ペリーの来琉一回目→大統領の国書伝達式→ペリーの来琉二回目
日本が開国を拒否した場合琉球占領を考えていたペリー
ペリーの来琉三回目
日米和親条約締結
ペリーの来琉四回目 琉米修好条約締結
西洋列強と次々と不平等条約の締結を迫られる日本と琉球
日本の反面教師西洋列強に侵食されていく清国
ペリーの開国で本格化し日露戦争で完成した明治維新と琉球処分
外交史として見る明治維新と琉球処分
●七章:「明治維新」と「琉球処分」
明治維新はいつから始まったか?
明治維新の本質
沖縄県の設置で完成した中央集権国家体制
明治維新の時の沖縄と今の沖縄
●八章:琉球國はチャイナ領土だったのか
一、琉球に蒙古襲來といふ嘘
二、尖閣を案内した福建三十六姓はチャイナ人ではなかった
三、德川初期、薩摩による併合
四、明國は併合に同意した
五、清國は併合を知ってゐた
六、チャイナとの朝貢册封は無効
沖縄歴史コラム⑥ 琉球処分と廃藩置県
Torネットワーク上に出回っていた謎の論文を、アノニマスメンバーである本職のハッカー、ギャウロフ美花さんが日本向けにローカライズした「個人と企業のための対国家機関レベルデータ保護入門」を発売しました。
匿名ネットワークに掲載された謎の論文を本職のハッカーである著者が日本向けに完全ローカライズ。
スノーデン事件、PC遠隔操作事件、そして2015年7月の児童ポルノ単純所持罰則化…
あなたのPCに眠るデータは大丈夫か!? 今こそ必要なデータ保護の基本を解説
TrueCript, BitLockerによるドライブの暗号化、Torによる匿名通信、PGPによる不特定多数との秘密データとのやりとりなど、話題のデータ保護手段を取り上げています。絶対に漏洩させてはいけない企業秘密を扱う場合、PCにしまいこんだ画像・動画を死後見られないようにする場合などに役に立つ、非常に実用的・実践的な内容です。
目次
1 アンチコンピューターフォレンジクス入門
2 痕跡を消す
3 秘密のデータを保管する
4 インターネットを安全に使う
5 攻撃に備える
鳥取ループ(取材・文)
弊舎刊「B-CAS 事故 ‘8674422’ 2012年テレビ視聴制限崩壊の真実」で取り上げたB-CASカード書き換え問題に関連し、昨年の6月20日に逮捕された“平成の龍馬”こと多田光宏被告の公判が9月3日から始まりました。既に複数のメディアが報じていますが、本誌はどこよりも詳しくレポートします。
初公判は9月3日13時20分から京都地裁で行われました。
担当は高橋孝治裁判官です。当初は206号法廷で行われる予定でしたが、急遽101号法廷に変更されました。冒頭でその理由について裁判官から、傍聴人が多くなることが予想されたので、傍聴席が多い法廷に変更したと説明がありました。なお、傍聴人は20人前後で、主に記者、放送業界関係者と思われる人が来ていました。
被告席には弁護士が3人、現在保釈中の身である多田被告は黒いスーツ姿で、終始落ち着いた様子でした。もっとも、殺人のような凶悪犯罪でもなく、破廉恥罪とも言いがたいので、裁判官、検察官、被告関係者、そして今回証人として出席した放送業界関係者も1つの手続きとして淡々と裁判を進めているという状況でした。
最初に行われたのは、裁判官から被告人の身上(姓名、住所、本籍地、生年月日、職業)の確認という型通りの手続きです。そして、検察官が起訴状を読み上げました。
起訴状によれば、今回の罪状は刑法161条の2、1項・2項。つまり「電磁的記録不正作出及び供用」であり、なおかつそれ以外の罪状はないことが示されました。
次に、これも型どおりに裁判官から黙秘権の告知がされた上で、被告人側の罪状認否が行われました。これは被告側が事前に提出した文書を、多田被告本人が読み上げる形式で行われました。被告側はカードを書き換えてタダ見した事実は認めたものの、これは罪にはあたらないとして無罪を主張しました。
次に、検察から犯罪事実について詳細な説明がされました。それによれば、多田被告は自宅と実家で計2回多田被告B-CASカードを書き換えてタダ見し放題にし、実際にWOWOW等の有料放送チャンネルと難視対策衛星を視聴していました。
次に、なぜ無罪なのかについて、弁護士から説明がされました。
まず、そもそも今回の逮捕は“見せしめ逮捕”であり、当初は多田被告がB-CAS書き換えプログラムをばらまいたとして不正競争防止法違反で捜査したものの、そのような事実がなかったことから“脱法的”に刑法161条の2を適用したものだと弁護士は主張しました。
では、なぜ脱法的なのかと言えば、有料放送のスクランブル解除については放送法・不正競争防止法・著作権法により規制されるものであって、なおかつこれらの法律は有料放送のタダ身には罰則を設けていないことから、有料放送のタダ見を罰しないことが立法者の意図するところであるということです。
そして、刑法161条の2が適用されるためには、改ざんされたデータが「権利義務に関する電磁的記録」「人の事務処理の用に供する」ものであるという条件があるります、改ざんされたのはデータではなく「プログラム」であること、そしてスクランブル解除は被告が所有する機器の中で完結しており、放送事業者とは何もやり取りをしていないのだから「人の事務処理」にあたらないということです。
また、確かに有料放送も受信したがそれは3番組だけで、ほとんどは難視対策衛星であり、被告の興味は専らそちらで有料放送を受信する意図は最初からなかったという点、なおかつ難視対策衛星は無料放送であって本来は誰でも受信する権利があることも主張しました。
ここで憲法の「知る権利」ということを弁護士は述べていたので、最終的に最高裁まで行くことになった場合に、そこでは主に憲法問題でしか争えないので、そのための布石かなという印象を受けました。
もちろん、多田被告の兼ねてからの持論である「B-CASは独占禁止法違反」という主張もされました。
ここで、裁判官から今回の裁判の、5つの争点が示されました。それは次の通りです。
今後は以上の点が重要であり、逆に言えばそれ以外の主張(B-CASは独占禁止法違反であるなど)は裁判官により無視される可能性が高いと考えられます。
次に、証拠の取り調べ手続きで双方の証拠が提出されました。
検察側から出されたのは、改ざんされたB-CASカードの解析結果や被告のPCやレコーダーの解析結果で、特に被告に不利な証拠としては有料放送番組の番組表を見ていたこと、WOWOW等の番組を録画していたことが示されました。
一方、弁護士側からは特に被告に有利な証拠として、有料放送のタダ見は処罰されるほどの重罪ではないとの議論がされてきたことが、法律の解説書や国会の議事録、政府の審議会の議事録により示されました。
ここで20分ほど休廷となり、公判は放送業界関係者に対する証人尋問が行われました。個人的にはここから先が見どころでした。裁判の証人尋問では、証人が事実を語ること、知っていることを隠し立てしない旨を宣誓し、嘘をつくと偽証罪にあたることを裁判官から注意された上で証言をします。すると、普段は大っぴらに語ることができないことを、公開の法廷で語らなければならないという特別な状況が生じます。
この日の証人は3人、それぞれWOWOW、スターチャンネル、スカパーJSATで今回のB-CAS改ざん問題への対応を担当している社員です。最初に検察官から、後に弁護士から証人に質問がされました。
全体的な印象ですが、検察官は特に被告に不利な事実を引き出そうとするというよりは、各社の業務内容、B-CAS社との契約内容についてなるべく詳しく答えてもらうように、淡々と質問していました。一方弁護士は、どうして今回の問題に対処できないのか、各社はどのような権限を持っているのか、視聴者の情報をどれだけ把握しているのかに興味を持っていました。
おそらく問題について一番知識があり、詳しく答えたのは最初のWOWOWの証人の方でした。検察官からB-CAS社との契約内容について突っ込んで聞かれた時に、事業者番号の占有料とシステム利用料としてそれぞれ年間で2400万円、計4800万円を支払っていることが明らかにされました。
「事業者番号の占有」というのは、B-CASカードの中に事業者ごとに視聴期間を記録する部分があり、そこを変更する権限がB-CAS社から各放送事業者に与えられていて、契約した視聴者のカードに対して電波を送って視聴期間を最大で1年先に設定するという運用をしているということでした。
また、なぜ今回のカード書き換え問題に対処できないのかという弁護士からの質問について、各社とも自社ではどうにもできずB-CAS社に対応を丸投げしている状態であることが証言されました。また、WOWOWの証人によれば視聴を不可能にするEMM(いわゆる“毒電波”)は、月あたり2~3万枚のカードに送るのが限界であって、既に2億7000万枚発行されたカードに送ることは現実的には不可能であるといいます。
次回公判は9月10日13時20分に設定されました。この日は引き続き証人尋問が主となります。
その次は10月30日13時20分で、この日は論告弁論で検察官から求刑が行われます。
そして、予定通りに進めば12月上旬に判決が言い渡される見込みです。
日本の裁判では起訴されたら無罪判決を得ること自体が非常に難しいので、今回もその例に漏れないことには変わりはないですが、「放送法・不正競争防止法・著作権法でタダ見行為への罰則の適用が見送られたのに、同様の行為に刑法を適用するのは脱法的だ」という弁護側の主張には一定の理があるので、勝算が全くない裁判ではないと見ています。
また、仮に負けても執行猶予が付くでしょう。多田氏の場合は否認して真っ向から検察と対立してはいますが、B-CAS書き換え絡みで他の事例では執行猶予付き判決になっている例があり、なおかつ多田氏の場合はその中でも最も悪質性が少ないケースだからです。多田氏が実刑になってしまえば、他の事例との整合性が付きません。
次回もレポートする予定です。
去る2013年…と2年も前のことなのだが、神奈川朝鮮学園の文化祭に行ってみた。長らく記事にしそびれてしまったので、今さらながらその時のことをレポートしようと思う。
朝鮮学校と言えば、高校無償化の対象から除外されて、そのことをめぐって訴訟の真っ最中である。それにしても、北朝鮮による拉致問題が明るみになり、北朝鮮本国との関係が注目されて、世間から見た印象は下がる一方の朝鮮学校に、未だに通う生徒がいるのはなぜか。
そういった話を、弊舎の本を買いに来た元朝鮮学校の生徒だという人と話していると、勧められたのが「朝鮮学校の文化祭に行ってみては?」ということだ。行ってみてはと言われれば行くしかないだろう。
そこで11月、横浜市神奈川区沢渡にある神奈川朝鮮中高級学校の文化祭に行ってみた。ちなみに、現在は中等部の生徒はおらず、事実上は日本の学校で言えば、ここは高校ということになる。
まず、目についたのが、このいかにも社会主義テイストのアートだ。
遠目には一瞬橋下徹に見えてしまった。ハングルで「燃える情熱と力強い情熱で、守れ我が家継承しよう私達の伝統」と書いてある。要は、この学校を守ろうということなのだろうか。
これは校歌。これもハングルキーボードで書き起こしてグーグル翻訳にかけてみたら「神奈川横浜日当たりのよい沢渡に~」みたいな歌い出しなので、たぶん、日本の学校でもありそうな内容の歌詞なのだろう。
さて、イベントの内容は出店で食べ物をだしたり、日頃学習したことを発表したりといったものである。文化祭なので当たり前か。朝鮮学校らしく、チヂミやトックなどの朝鮮料理は欠かせない。
また、朝鮮半島の歴史の解説や、北朝鮮に修学旅行した時のレポートもあった。
さて、そろそろ本題であるなぜ朝鮮学校に入ったのか生徒に聞いてみた。
「通訳になりたくて、韓国語を勉強したかったので。」
とある2年生の女生徒はこう答えた。それにしても「韓国語」というのが気になる。ここは朝鮮学校ではないのか。
「言葉は同じだから、あまり北とか南とか関係なく、言葉を勉強したいだけの日本人の生徒もいますよ」
…そういうものなのだろうか。とにかく、彼女が言うには、あまり政治的なことは考えなくて、インターナショナルスクールみたいな感覚で通っているらしいのだ。他の生徒に聞いても、答えは似たり寄ったりだ。
しかし、3年生の教室では討論会っぽいことをやっていた。朝鮮学校よりの記事を書くことで定評のある神奈川新聞の記者も来ており、ここならアツい声を聞けるかもしれない。
教室の正面に掲げられた、この肖像画に気になりつつも、日頃の疑問を3年生の男子生徒にぶつけてみた。
筆者「今、朝鮮学校に通っている生徒は3世や4世で、そうなるともはや“在日”と言えるものなのですか?」
生徒「まあ、そうです。初級学校だと4世や5世がいます」
筆者「そうなると、朝鮮から来たのは“ひい爺さん”や“ひいひい爺さん”になってしまうわけで、例えば私も含めて3世代もたどった先祖がどこで生まれたか知る人は、ほとんどいないと思います。それでも、国籍にこだわる理由は何なのですか?」
生徒「それでも、我々には祖国への思い入れがあるのです」
筆者「祖国と言えば、さっきから“あれ”が気になるのですが…」
と、筆者は例の肖像画を指差した。
生徒「私達の先祖が日本で苦労した時に、“あの方”を頼りにする他なかったのです。そして、いろいろと助けて頂いたので、あのように掲げているのです」
筆者「では、あくまで仮定として、今は日本の国籍制度は血統主義ですが、アメリカのように出生地主義にすると言ったら賛成しますか、反対しますか? つまり、明日から日本国内で生まれる“在日”は強制的に日本国籍になるとしたらです」
この質問は、かなり意外だったらしく、生徒もしばらく黙っていた。
実は、筆者は「在日」の問題について語る場合は、常にこの質問をすることにしている。なぜなら、血統主義を取りつづける限り、永久に在日の問題は解決することはなく、せめて特別永住者に対しては出生地主義を適用するしか現実的な解決策はないと筆者は思うからだ。おそらく今の多くの日本人のルーツにも含まれているであろうと思われる「渡来人」が来ていた時代は、日本も事実上の出生地主義だったはずだ。
そして、国が血統主義・出生地主義のどちらを採用するかという問題は、善悪や優劣に対して中立的な問題なので、よもや「在日を強制的に日本人にする出生地主義は差別だ」とも言えない。
そして、沈黙の後の答えはこうである。
生徒「…やっぱり、在日にとって祖国の思いは大きいんです。反対か賛成かと言えば…反対です」
筆者「年々、朝鮮学校の生徒は減っていて、財政も厳しい。この校舎も耐震強度の問題があって、もう限界に来ていると聞いています。今後、朝鮮学校はどうなっていくと思いますか?」
生徒「確かに、状況は厳しいです。何十年も先も今と同じ学校があるとは思わないですが、例えば建物が小さくなっても、何らかの形で続くでしょう」
さて、なぜ朝鮮学校が存在するのか。それは在日の「意地」の問題である。そんな事を感じた筆者であった。
2015年4月から5月にかけて、京都、大阪、兵庫にまたがる地域で、差別文書がばらまかれたことが、部落解放運動団体の機関紙で報じられた。
保守系同和団体である全日本同和会大阪府連合会の機関紙「あけぼのKANSAI」は6月1日号で「断じて許してはならない 悪質な差別文書まかれる」と題して文書の全文を掲載して報じている。それによれば、文書は大阪府内の公営住宅のポストに投函されていたという。また、7月1日号では文書が斎場にも郵送され、兵庫県内でも確認され、大阪市や八尾市は差別文書の配布に対して全市的に取り組むと表明したとしている。
部落解放同盟中央本部の機関紙、「解放新聞」は6月25日に「「差別されて当然」と 近畿各地で大量差別文書事件」と題して報じている。文書は「あけぼのKANSAI」に掲載されているものと同じで、大阪府だけでなく京都、兵庫にもばらまかれ、解放同盟の支部、精肉や皮革関係の業者や組合にも郵送され、同じ文書が500枚以上確認されたという。
最も先鋭的な部落解放運動団体として定評のある部落解放同盟全国連合会(略称「全国連」)の機関紙「部落解放新聞」の6月10日号は「差別文書を絶対に許さない! 大阪、兵庫に極悪の差別文書 全国連荒本支部は闘うぞ!」と題して、東大阪市荒本地区での差別事件のあらましを詳細に報じている。文書は「あけぼのKANSAI」と解放新聞が報じたのと同じもので、4月15日に全国連の事務所がある荒本会館に郵送されたほか、5月1日から9日にかけて荒本地区内の市営住宅にポスティングされ、自動車のワイパーにはさまれたものもあったという。荒本会館に郵送された文書の差出人は「民族名」を名乗っており、住所は東大阪市内に実在するものだったという。
さて、全日本同和会や解放同盟については何となく分かるにしても、全国連という団体について聞き慣れない読者も多いだろう。「部落解放同盟」を名乗ってはいるが、主流派の部落解放同盟中央本部とは関係を絶っている。
全国連は全日本同和会や解放同盟に比べると規模の小さな団体で、さらに過激派である中核派との関わりが深かったことから行政が正式に対応することは少なく、他団体に比べるとその活動が話題になることも少ない。しかし、実は今回の「差別事件」では、鍵を握るのはこの全国連なのだ。しかし、それはまた後で説明することにしよう。
それにしても、文書の内容、手口、その膨大な枚数と範囲の広さから見ても、今までにない大掛かりな「差別事件」である。ひょっとすると組織的に行われているのかも知れない。いずれにしても、過去の例から見て、解放同盟は警察と連携して犯人を追い込むだろう。そして、何よりも今でも深刻な部落差別が存在する根拠として、大いに宣伝することだろう。
と思いきや、解放新聞は6月25日を最後に、この話題を報じることはなかった。また、部落解放新聞も6月10日を最後にこの件を報じていない。あけぼのKANSAIも、少なくとも9月1日号では、もはやこの話題は見られない。
そんな折、筆者のもとに、「噂によれば解放新聞がこの件を報じなくなったのは、既に犯人が分かっていて、しかもその犯人が誰かということが、解放新聞がこの話題を取り上げにくい理由だ」との情報が舞い込んできた。
真相を確認すべく、事件の舞台となった大阪府、大阪市、八尾市に聞いてみたが、いずれの担当者はそのような事実は把握していないという。
一方、解放新聞を発行する解放新聞社に聞いてみたところ、「それは(解放同盟)支部が対応していることなので、まだ分からない」と、暗に噂が事実であることをほのめかした。
そして、府内のとある運動団体関係者から、さらに詳しい情報を得ることができた。
「怪文書をばらまいたのは、東大阪市在住の精神に障害のある人です。だから、解放新聞は報道するのを中止したのです」
しかし、筆者にとっては不可解に感じた。それだけの理由で解放新聞が報道を中止するのは不自然だからである。
解放新聞社は実はあれで「新聞」としてのプライドがあるのか、解放同盟本体とは微妙な距離感がある。重要な事柄は各支部に周知しないといけないこともあって、身内の不祥事であっても事実は事実として一応掲載してきた。その上で、たとえ犯人が精神障害者であっても「差別者」として容赦なく糾弾するか、あるいは犯人は世の中に蔓延する差別意識の犠牲者だとでも言えそうなものだ。
そもそも、犯人を特定したのは誰なのか。このことについて、筆者は犯人が「東大阪市在住」ということに引っかかるものがあった。
一口に部落問題・同和行政・部落解放運動と言っても、地域によって事情は大きく異なる。同じ大阪府内でも、東大阪市には特別な状況がある。それが、前出の全国連の存在である。
言うまでもなく最大の部落解放運動団体は解放同盟だが、東大阪市に限っては荒本地区が全国連発足の地ということもあって、東大阪市では全国連が他団体に比べて圧倒的な存在感がある。東大阪市は全国連の庭の言ってもいい場所だ。
そこで、早速筆者は全国連に電話で聞いてみたのだが、犯人については知らないと否定されてしまった。
しかし、本当に犯人が東大阪市在住なら、全国連が知らないはずはない。再度、前出の関係者に確認すると、実は最初に犯人を見つけたのは全国連であることを語った。
全国連が犯人の自転車を見つけて写真を撮り、その自転車の防犯登録番号から犯人が特定されたという。
それにしても全国連とはマニアックな団体の名前が出たものだ。全国連は「解放同盟荒本派」、あるいは「解放同盟反中央本部派」とも言われるように、もとは部落解放同盟から分かれて出来た団体だ。
正式に全国連が発足したのは1992年だが、解放同盟荒本支部は1981年頃から解放同盟本体とは対立状態にあり、荒本支部を狙った銃撃事件が起こるなど激しい抗争を繰り広げた。その主な原因はイデオロギーの対立によるもので、全国連はあらゆる部落解放運動団体の中でも最も反権力志向が強く、時に政府との妥協を行う解放同盟本体とは相容れなかった。
なお、2013年に全国連はさらに分裂し、八尾市の西郡支部を主とする全国水平同盟が設立されている。背景には、運動の路線対立により全国連が中核派との関係を絶った一方で、現在の全国水平同盟は中核派との関係を保ち続けていることがある。
解放新聞が取り上げない理由の1つに、犯人の発見者が他団体であるため、詳しい情報が入ってこないということがあるだろう。そして、何よりもその団体が全国連ということが、解放同盟にとってはタブーであるように感じられた。解放同盟のみならず、行政も触れたがらないわけである。
前出関係者によれば、少なくとも大阪府と大阪市は事態を把握しているはずだという。しかし、「全国連にこれ以上関わるのはまずい」と筆者に忠告した。全国連と言えば過激派、過激派と言えばリンチ、それゆえ下手に関わると命にかかわるといった恐れがあるのだろう。
しかし、虎穴に入らずんば虎児を得ずと言うように、そのような風評を気にしていては、真実を得ることはできない。
2015年7月下旬、筆者は東大阪市の荒本を訪れた。
荒本は阪神高速13号東大阪線と近畿自動車道が交差するジャンクションの近くにある。近畿自動車道は名神高速道路や第二京阪道路とつながっているので、東側から高速道路を使って大阪市の中心部に入る場合は、ここを通ることが多い。そういった意味で、荒本は自動車交通の要所と言える。
地区に入ると目にはいったのは、整備された道路とやや古びた公営住宅群である。大阪の同和地区では典型的な風景だ。
ただ、地区の北側には住宅が密集する、昔ながらの部落の面影を残す地域がある。ここは道が狭いので、車で入り込んでしまうとやっかいだ。現に筆者は入り込んでしまって焦った。
地区の中心にあるのが荒本公園で、この周囲に人権センター、子育て支援センター、老人センター、公衆浴場など同和対策で作られた施設が集中している。
さて、とりあえず筆者は車を人権センターに停めた。用事のない車は駐車禁止であるが、人権問題について調査するために、この地に用事があって来たのだから何も問題はないだろう。荒本公園の周囲を歩いていると、地元の老人とすれ違ったので、「全国連はどこですか?」と聞いてみた。
「そこの角を曲がって…右側に見える古~いビル」
老人は、特に「古~い」の部分を強調してそう答えた。
公園の隣にある公衆浴場「寿温泉」の前で辺りを見回すと、確かに鉄筋コンクリートの2階建てのビルが見える。壁は黒ずみ、あちこちにヒビが入り、ベランダの手すりは茶色くさびている。なるほど、古いだけでなく、あまりメンテナンスもされていなさそうな建物である。
早速中に入ると、入り口の近くに2つの部屋があり、そのうち1つには「部落解放同盟荒本支部事務所」という看板が掲げられていた。「あれ? ここは部落解放同盟の支部なのかな?」と一瞬思ったが、間違いなく全国連の事務所である。なかなか説明しがたいが、そのたたずまいと匂いが、部落解放同盟のそれとは違うのである。
取材を申し込んだところ、あいにく今日は狭山事件の対応のために主要なメンバーは東京に行ってしまっているということなのだ。
それでも、部落差別投書事件の真相について、ネットでの噂は本当かどうか、筆者が把握している事柄を示して聞いてみると、「あなたが知っている通りでしょう」という。
「しかし、たぶんこの人でしょうという段階で、特定はまだされてないです」
事のあらましはこうだ。
ビラを撒いていた人物が載っていた自転車を全国連が特定したのは事実。しかし、持ち主が防犯登録から分かった訳ではなくて、「自転車の持ち主が自分の持ち物だと主張するもの」が自転車に貼ってあったからだという。そして、その情報を全国連が荒本を管轄する布施警察署に提供して、今警察が捜査している最中だというのである。
それにしても、奇妙な話である。反権力の先鋭である全国連が警察と連携することになろうとは。確かに、本当に精神障害者なら糾弾も成立しないし、仮に「治療」となれば行政に任せるしかない。
「実際、その人が犯人だったら、糾弾というよりは、別の意味でのケアが必要になりますよね」
筆者がそう聞くと、「まあ、そうだね」とうなずかれるのみだった。
さて、せっかくここまで来たので、例の寿温泉に入ってみた。
入り口から入った途端、番台のおばさんが顔をみるなり「土足禁止だから、靴脱いで下駄箱に入れてね」と言われたので、よそから客が来ることには慣れているようだ。
料金は250円と格安、それでいてサウナや電気風呂もあり、設備は充実している。全国各地の公衆浴場を巡るマニアが存在するが、その中でも同和地区の公衆浴場の評価が高いのもうなずける。
それにしてもあの黒い建物、何かしら謂れがありそうだと思い、東大阪市役所に聞いてみたところ、やはり複雑な事情があった。
市によれば、あの建物はもともと「東大阪市立荒本会館」という名前だったが、30年以上前に公用廃止された。しかし公用廃止された後も使われ続け、前述のとおり現在も荒本会館と呼ばれている。
解放同盟荒本支部にからむ解放同盟の内紛の当時、市は新たに荒本解放会館(現在の荒本人権文化センター)を建設し、そこに解放同盟中央本部派を入居させ、現在の全国連は荒本会館に残った。市は全国連に対して建物の明け渡しを求めて裁判を起こし、最終的に全国連が退去するということで和解した。これが20年前のことである。
しかし、現在に至るまで全国連が退去することはないままでいる。市によれば、これは市側の事情もあって、様々な部局との調整が終わっていないために、和解で合意した内容が履行できないというのである。
もちろん、全国連は市に対して家賃を支払っていないし、水道光熱費も市が負担している。確かにこういった状況は同和対策事業最盛期には珍しくなかったが、今に至るまで続いているのはなぜなのか。
この地に詳しい事情通によると、さらに詳しい経緯はこういうことだ。
東大阪市が荒本会館の明け渡しを求めて現在の全国連を提訴したのは、1983年のこと。そして、1989年に大阪地裁で東大阪市敗訴の判決が下される。
市は控訴し、大阪高裁で市と全国連との間で和解が成立したのが、1994年。一応、全国連は荒本会館から退去するということになったのだが、それには様々な条件が付いていた。
主要な条件の1つは全国連の新しい移転先を市の負担で用意すること。そして、全国連が荒本会館から対処した場合、1000万円の和解金を市が全国連に支払うということだ。
全国連にとっては「完全勝利」と言ってもいい、あまりにも破格すぎる条件と言えよう。近年は、行政から訴えられた解放同盟が裁判に負け、公共施設から次々と追い出されている状況であり、今の感覚では裁判所の下でこのような和解が成立することは考えられないが、当時はそのような時代だった。
全国連の移転は翌年の1995年までに行われる予定だったが、移転先の市有地を産廃業者が占拠しており、業者が明け渡しに応じなかったため計画は頓挫。そのままズルズルと先延ばしにされているうち、国の同和対策事業が終わってしまい、今に至っている。
この問題が深刻なのは、一度裁判で結論が出てしまっていることだ。しかも、その結論通りのことが、未だに履行されない状態のまま。当時の和解条件は今では考えられない内容で、額面通りに実行することは非常に難しいし、それでも和解条件は和解条件である。まさに最悪のこじれ具合である。
さて、肝心の差別投書事件については東大阪市はどこまで把握しているのか。これについては、「事件が警察の捜査に委ねられているので市はコメントできない」ということだった。
その後、一般紙もこの事件を報じている。神戸新聞(2015年10月6日)に「部落解放同盟県連や皮革業者に差別文書 兵庫県警に告訴へ」という記事が掲載された。しかし、この記事は不可解である。既に犯人の見当がついており、しかも精神障害者…今さら告訴することに意味はあるのだろうか?
記事の中で告訴を行うとしている、部落解放同盟兵庫県連合会に聞いてみた。
「確かに犯人は分かっており、大阪府警が既に書類送検していて、犯人への取り調べもされたと聞いています。しかし、逮捕はされていません。文書は兵庫県の皮革業者にも郵送されたので、あくまで大阪とは別事件として兵庫県警に告訴して事件に関わることで、真相を知りたいと考えたのです。今になったのは、被害を受けた皮革業者の方々にも様々な考えがあって、合意を得るのに時間がかかったためです」
解放同盟兵庫県連は大阪での事を知らなかった訳ではなく、承知のうえで告訴を行うことにしたのだ。それにしても、精神障害と言われていることが本当であれば、起訴されないこともあり得るのではないだろうが。
「精神障害ということについては詳しくは知らないですし、そのようなプライベートなことは記者会見では言いませんでした。我々が知っているのは、犯人が自転車に乗っている後ろ姿の写メが撮られていたこと、集合住宅で自転車を管理するための番号を書いたラベルが自転車に貼ってあったので、そこから特定されたということです」
やはり、筆者が事前に得ていた情報とほぼ一致する。しかも、前述の通り書類送検されたということは、警察は犯人であると断定したということだろう。
念のため、布施警察署に聞いてみた。
「申し訳ないですが、その件については、事案の性質上広報していません。警察からは適正に捜査しているということしか言えません」
また、どのような容疑で書類送検したのかについても、言えないという。
過去の例から見ると、「差別事件」が摘発された場合は、解放同盟はそのことを積極的に喧伝したし、警察も発表してきた。しかし、今回に限ってこのような対応となっているということは、やはり犯人は精神障害者という情報を裏付けていると言えるだろう。
この一件で思い浮かぶのは2014年の「アンネの日記破損事件」である。各地の図書館に所蔵されていたアンネの日記がつぎつぎと破られたこの事件では、ネオナチの犯行ではないか、ユダヤ人差別ではないかといった報道が飛び交い、安倍晋三首相がアンネ・フランクの家を訪問するということまであった。しかし、蓋を明けてみれば、犯人は精神障害者。結局罪には問えず、不起訴処分となった。
実は、この事件は精神障害者が起こしたのではないかということは、かなり初期から言われていた。各地の図書館の司書の間でも、以前からそのような事が噂になっていたという。
特に一部の統合失調症患者が執着するキーワードに「創価 ユダヤ 部落」がある。ツイッターやフェイスブック等のSNSでこれらのキーワードで検索すると「創価学会は集団ストーカーをやめろ」「東日本大震災はユダヤが開発した電磁波兵器で起こした」「集スト部落の思考盗聴」などと書き込んでいる人が無数に見られる。これらは、ほとんど統合失調症患者によるものである。世の中がタブーとしているこの3つの事柄は、自分の頭のなかに他人の思考が注入される、逆に自分の思考が他人に読まれているといった妄想を説明するための格好の材料なのだろう。そしてまた、精神障害もタブーであると言える。
なお、同年には埼玉県で全盲の女性が足を蹴られて怪我をした事件があり、許しがたい行為だとマスコミが報じたが、犯人は知的障害者だった。
そこにはメディアや世論が持つ2つの問題があるだろう。1つは、真相が明らかになる前から、ありきたりの筋書きを予想して論評してし、推測に推測を重ねて的はずれな議論を繰り広げること。2つ目は、いわゆる社会的にタブーとされる事柄が関わると、その時点でまともに議論できなくなってしまうことだ。
メディアは、精神障害者や知的障害者に配慮して「気違い」や「知恵遅れ」といった言葉を放送禁止扱いにしている。それだけでなく、精神障害者や知的障害者が関わった事件については、実名報道を控えるし、内容についてもタブー扱いだ。しかし、その結果タブーの存在自体が(精神障害・知的障害以外の事柄も含めて)精神障害の妄想の材料になっていることに目を向けるべきだ。
我々は決して同和を笑えないのである。
未だに切れない同和と企業の関係。なにが「えせ同和」か、そうでないのか、切り分けることは不可能だ。関係者の証言と独自入手したデータから、4回にわたって検証する。
2002年の同和対策事業の終結は、部落解放運動団体の収入源を大きく減らすことになった。少なくとも同和対策事業費として国から公金が支出されることはなくなり、地方においても運動団体への補助金は減る一方である。
自治体と運動団体の関係については、特に各地で同和事業の終結を主張している日本共産党の議員から議会で追及されることがあるし、住民監査請求・住民訴訟で追求されることもある。
しかし、同和にはそれ以外に、実態が見えづらく忘れられがちな一面がある。それは、民間企業・団体との関係である。特に金の問題に関して言えば、民間企業がどのように金を使うかは自由であるし、金の流れはほとんどの場合非公開なので、実態をつかむことが非常に難しい。
民間企業と同和と言えば、真っ先に「えせ同和」が思い浮かぶかも知れない。典型的なのは、会社に突然電話をかけてきて、分厚い本を5万円程度で売りつけるという手口である。この種の行為については、法務省や中小企業庁が繰り返し注意喚起しており「対策セミナー」が毎年のように開かれているし、悪質なものは警察により摘発が行われることがある。
しかし、筆者が注目したのは、このようなあからさまな不当行為ではなく、半ば“お上”にも公認された利権として存在する、民間企業と運動団体との継続的な関係である。前述の「えせ同和」と呼ばれるものも、結局はそれを真似たものに過ぎない。何がえせで何が本物なのか、両者の違いに明確な境界線を引くのは難しい。例えば図書の売りつけにしても、多くの場合は法律上は全く正当な取引であって、ごく一部が脅迫であったとか、新聞をコピーしたものであるから著作権法違反であるといった理由で摘発されるだけである。もし同和にからむ図書の売りつけが全て犯罪であるなら、解放新聞を売るのも犯罪になってしまうだろう。
企業と同和との関係を解明する上ための端緒として注目すべきなのが、「同企連」あるいは「人企連」と呼ばれる団体である。例えば大阪には「大阪同和・人権問題企業連絡会」、愛知には「愛知人権啓発企業連絡会」、東京には「東京人権啓発企業連絡会」がある。同様の団体は他にも長野、滋賀、京都、兵庫、鳥取、香川、広島、福岡、千葉、埼玉に存在しており、それら13団体が連携して「同和問題に取り組む全国企業連絡会」(全国同企連)という団体を構成している(なお、全国同企連に加入していない同企連もあるので、同企連は13団体に限らない)。
混同されがちなものに「企業連」「企連」がある。例えば「部落解放大阪府企業連合会」「滋賀部落解放企業連合会」といった団体のことである。しかし、これらは同和対策の様々な優遇措置を受けるために、部落解放同盟と関わりのある同和関係者が経営する企業が集まって設立されたものである。当然、一般企業が加入することはできず、同企連や企業同推協とは全く違った性質の団体である。
一方、「企業同推協」あるいは「企業人権協」という団体がある(単に同推協、人権協と呼ばれることもある)。例えば「福岡市企業同和問題推進協議会」「大阪市企業人権推進協議会」などのことである。これらの団体は同企連と同じく一般企業により構成されており、その成立経緯も同企連に似ている。これらの団体について、詳しくはまた後で述べることにする。
さて、まずは同企連の歴史を通して、同和と企業の関係史をひもといていこう。
過去の歴史への反省と謝罪、そして賠償の無限ループと言うと、まるで日韓関係のようだが、企業と同和の関係にもそれは共通している。
同和と企業の関係を語る上で、「部落地名総鑑事件」は避けて通ることができない。部落地名総鑑は1975年3月ごろに東京で興信所を経営していた坪田義嗣氏により作成されたとされる、全国5360箇所の被差別部落の地名、世帯数、職業をまとめた本である。これが、企業の人事担当者向けに一部3万円で売られていた。
なお、坪田氏は兵庫県姫路市の出身で1920年生まれとされるが、事件の後の消息は分からない。
部落解放同盟中央本部が発行した「「部落地名総鑑」「部落リスト」差別事件 糾弾闘争の中間総括と今後の方向」(1977年3月9日)に当時の経過と関係資料がまとめられている。
発端は1975年11月に部落解放同盟大阪府連合会に匿名の告発投書があったことだ。翌月には東京法務局が乗り出して部落地名総鑑は回収、焼却された。そして、顧客リストを入手した解放同盟により、購入企業が次々と呼びだされ、糾弾された。並行して、大阪法務局からは「同和問題の理解と認識を高めるための万全の方策」を実施するように企業に対して行政指導がなされた。つまり、企業への糾弾は解放同盟と法務局が協同して行ったと言える。
大阪同和問題企業連絡会が発行した「足跡―この十年」(1988年2月22日)では、企業の担当者が当時の様子を生々しく証言している。
「法務局から調査された時に、うちは正直に「焼いてしもうた」と言ったんですが、それを証明するのがまた大変でねえ。ほんとうに苦労した。法務局は「じゃあ、その灰、持って来い」と言うんですよ(笑)。焼いたという証拠を出さなければならないんです」(関西ペイント 清水宣行氏)
このように、法務局による部落地名総鑑の回収は徹底していた。解放同盟だけなら企業も突っぱねることができたかも知れないが、行政も一緒に乗り出してきたとあっては、応じざるを得なかった。
当時の糾弾の様子も生々しく証言されている。その中でも特に壮絶だったのが北九州の「二泊三日の糾弾会」である。
「壇上にいる人たちは二日目くらいになってくるとウトウトとなる。すると「眠っとるのか」とやられるんですよ。ある会社の東京から来た人なんか部下を横においといてウトウトとなっちゃうわけですよ。
すると「立てェ!」と言われ、その部下に「お前の上司は眠っとる。どない思うか」と言うと「怪しからんと思います」と心ならずも言うわけですわ(笑)。また職安の人たちに「この企業のヤツら、怪しからんと思うやろ? こんなしょうもないもの買って……。腹立つやろ? アホ言うたれェ」と言うと、その職安の人がまた、糾弾を受けている連中に向かって「アホォ」と言うんですよ(笑)。まいったねえ、ほんとにまいった(笑)。」(同)
この北九州の糾弾会は企業関係者に知れ渡ったようだ。あくまで「糾弾は勉強の場」としていた部落解放同盟中央本部は北九州での糾弾を行った解放同盟福岡県連を批判し、大阪など他の地域での糾弾会では徹夜まではしなかったというが、壇上の企業担当者を差別者として吊るし上げるスタイルは大差なかった。
最初の部落地名総鑑がきっかけとなり、同時期、あるいは数年前から売られていた同様の書籍も問題とされ、それらは第2~第7の部落地名総鑑と言われた。当然、それらの書籍の購入者も糾弾された。
ところで、部落地名総鑑の「元ネタ」は1936年に中央融和事業協会が作成した全国部落実態調査報告書であるという。これに、坪田氏が図書館などで調べた情報を加えて完成した。
同様のものが「全国特殊部落リスト・全国左翼高校教諭リスト」(第2の部落地名総鑑)、「「新左翼」と「解同」(特殊部落)の全資料」(第3の部落地名総鑑)として発刊された。
さらに「大阪府下同和地区現況・大阪府下日共民青他全左翼組織一覧リスト」(第4の部落地名総鑑)という書籍も問題にされたが、これは実のところ部落解放同盟大阪府連合会が大阪府に出した解放同盟支部の一覧が元ネタになっていた。
しかし、1977年5月10日に部落解放同盟の関連団体である「社団法人部落解放研究所」の出版部門(現在の解放出版社)から発刊された「大阪の同和事業と解放運動」には、「大阪府下部落概況」として大阪府下の同和地区の地名、戸数、職業がリストとして掲載されている。
そのため、特に「第4の部落地名総鑑」に対しては企業側の反発もあった。特に日本生命は、部落解放同盟が作成した同和地区リストがそのまま使われたことを指摘し、「これは部落地名総鑑ではない」という趣旨の説明をしていたという。しかし「買った意図が問題」ということで、容赦なく糾弾の対象とされた。
さて、この部落地名総鑑事件の一連の糾弾が同企連の結成へとつながっていくわけだが、当時の時代背景がそれを後押しした。
1969年に同和対策事業特別措置法が制定され、国の同和対策事業が始まったが、この法律は10年間の時限立法であったため、1979年には期限が切れることになっていた。当然、解放同盟は期限の延長を望み、国への働きかけを行っていた。
1977年7月、解放同盟大阪府連は大阪の部落地名総鑑購入企業に対して「特措法の強化延長について企業の皆さんにご協力をいただきたい」という要請を行った。「協力」というのは、具体的には各企業の名前で各省庁への要請、集会の開催をするということである。
すると、集会への案内状を書く必要があり、ではどのような名前で案内状を書くかということで「同和問題企業連絡会」というはんこが作られた。これが同企連という名称の誕生の経緯である。そして、先のはんこの作成費用、集会の会場の費用がかかるということで、各企業から費用を徴収するために会計係が作られ、組織化された。その後、1978年2月22日に52社が参加して大阪商工会議所で最初の設立総会が開かれ、同企連が正式に発足した。
また同時期の1977年12月、当時の労働省が、100人以上の従業員を抱える事業所に「企業内同和問題研修推進員」を設定するように各企業に要請した。また、地方自治体によってはさらに小規模な事業所にも設置を要請するなど、より強い条件を付けるところもあった。
前出の「企業同推協」は推進員を設置する企業の連携のために設立された組織である。つまり、同企連は部落解放同盟が主導して設立された組織であるのに対して、企業同推協は官主導で設立された組織である。
企業内同和問題研修推進員制度は現在では「公正採用選考人権啓発推進員」と改称されて存続している。この制度はあくまで労働局が設置を要請しているだけのものなので、企業が設置する義務はない。しかし、特に解放同盟が強い地域では、現在でも多くの企業が設置しているのが実情である。
さて、発足当時の同企連の役員企業を見ると、ユニチカ、京阪電鉄、象印マホービン、日本生命、ダイキン工業など、関西の名だたる企業の名前が並ぶ。これほどの企業が集まればその利権たるや相当なものだろうと、企業の資金力の方に目が行がちである。しかし、発足当時の同企連の会費は1社あたりわずか1万円だったという。解放同盟にとっては、「金」よりも企業のブランドと、「人」が重要だったと考えられる。
1つの企業について見ただけでも、従業員数は本社だけでも何千人、子会社関連会社も含めると何万人という規模である。さらに下請け企業の従業員、従業員の家族も含めれば、膨大な数である。そして、企業の「人脈」も重要だ。大きな企業であるほど行政や政治との接点も多い。そのような企業が、部落地名総鑑を買ったという負い目により、意のままに動いてくれるのである。実際に特措法延長のための集会や署名活動に多くの企業関係者が動員され、省庁や政治家、政党への陳情に多くの企業が協力した。
例えば1981年には同和火災、住友電気、ダイハツ、小林製薬、関西電力、日本生命、ユニチカ、ダイキン、クボタ、住友商事、サントリー、近江屋、京阪電鉄、大同生命の担当者が特措法の延長を求めて自民党に要請活動を行った。これが実現できたのは当時自民党所属の参議院議員であった森下泰(森下仁丹社長。森下仁丹は「第6の部落地名総鑑」の購入企業である)氏のツテがあってのことである。
1985年には「部落解放基本法」の制定を求めて「全国キャラバン」が実施され、これにも多数の企業関係者が動員された。全国各地を徒歩で何十キロも行進し、地方自治体へ法律制定への協力を要請するというものである。同様の活動は1990年代にも活発に行われた。
一方、部落地名総鑑の購入者であっても、ごく小さな企業や個人は継続的に対応を求められることはなかったようだ。例えば、部落地名総鑑を個人で購入して顧客リストに掲載された数少ない一人である、伏見宰府氏から当時のことを聞くことができた。
伏見氏の場合、実のところ全く個人で買ったというわけでもなかったという。しかし、購入者リストには個人として載せられていたためか、糾弾会や法務局へは個人として呼び出されたという。
「2時間位の糾弾会に、2回出席しました。あとは、法務局へは1回だけ呼びだされて行っただけです。相手はもちろん私の会社のことは知っていて、会社にも連絡が来ましたが、会社側が継続して何かするということはなかったし、私が会社をクビになるとか、実害を受けることはなかったですよ。こうやって家まで来たのもあなた(筆者)が初めてです」
ちなみに、そもそもなぜ部落地名総鑑を買ったのか。それは単なる「興味本位」だという。
「亡き父から部落のことは聞かされたので…。地名総鑑事件の後は色々と悩みました」
一方、企業は何のために本を買ったのか? これは多くの場合「人事対策」のため、はっきり言えば就職差別のためである。しかし、ほとんどの企業担当者は「同和」とは何か理解していなかった。それでも部落地名総鑑を購入する企業があったのは、新左翼などの活動家対策のためであり、実際に部落地名総鑑もそのように銘打って売り込みがされていた。これを理解するためには、当時の時代背景を知る必要がある。
そもそも日本では、GHQ占領下の1952年までは「レッドパージ」(赤狩り)が公然と行われ、日本共産党の党員は公職や主要な企業から追い出された。これを政府が主導したことは本来は憲法違反であり、裁判も行われたが、「占領下に行われた超憲法的な措置」ということで結果的に追認されている。このように企業の人事における「思想による差別」は当たり前のことであり、司法も認めている状態だった(この状況は事実上現在も続いているので、過去形ではないかも知れない)。
1972年2月19日に「あさま山荘事件」が起こる。説明するまでもなく、これは新左翼の一派である連合赤軍が軽井沢のあさま山荘に人質を取って立てこもり、警察との銃撃戦になった事件である。この事件により、連合赤軍が仲間に「総括」と称して凄惨なリンチを加えて殺害していたことが明るみになり、それまでは世間から少なからずシンパシーを抱かれていた新左翼運動が支持を失い、新左翼=過激派との認識が広まるきっかけとなった。
1973年12月12日に「三菱樹脂事件」の最高裁判決が出された。これは憲法14条(平等権)は国と個人との関係を規律するもので、私人間に直接適用されることはなく、それゆえ法律による特別の制限がない限り、企業の経営者が誰を雇い入れるかは原則自由であるという趣旨の内容である。言ってみれば、司法が就職差別を容認したと取れる内容であった。(皮肉なことだが、三菱樹脂は現在では滋賀同和問題企業連絡会の会員である)
1974年11月22日、兵庫県養父郡八鹿町(現在の養父市)で「八鹿高校事件」が起こる。これは解放同盟兵庫県連の同盟員が、八鹿高校の教職員を監禁して暴行し、48名が重軽傷を負った事件である。このことは、特に関西地方を中心に同和=過激派との認識が広まる原因となった。
そしてその翌年に部落地名総鑑事件が起こった。第2~第4の部落地名総鑑はまさに「左翼」対策と一緒くたにしたものであったし、最初の部落地名総鑑も企業に送りつけられた売り込みチラシには「八鹿高校問題の様に暴力事件、リンチ事件が発生して社会的な問題となっています」との一文がある。また、第1の部落地名総鑑を作成した坪田氏自身も、解放同盟に対して「八鹿高校事件を知って部落地名総鑑が商売になると考えた」と語っている。
(第2回に続く)
未だに切れない同和と企業の関係。なにが「えせ同和」か、そうでないのか、切り分けることは不可能だ。関係者の証言と独自入手したデータから、4回にわたって検証する。
同企連の会員の多くは、部落解放同盟に糾弾された企業であるのに対して、企業同推協は一定以上の規模の企業に対して行政から加入が呼びかけられたので、当然後者の方が圧倒的に会員数が多い。また、企業同推協は官主導で設立された経緯があるためか、同企連よりはいくぶんかオープンである。企業同推協の入会方法や年会費は聞けば教えてもらえる。また、その額も中小企業では数千円程度と、「良心的」な額と言える。
しかし、同企連の会費となると不透明なことが多い。
元祖同企連である大阪同企連の場合は、会費の基準を隠しておらず、企業の従業員数によって違うが1社あたり20万円前後である。
しかし、トヨタ自動車、アイシン精機、デンソーなど、トヨタグループの名だたる企業が加入する愛知人企連はどうか? 公表はされていないが、後で述べる通り筆者の調査では大阪同企連と大差ないことが分かっている。
最も気になるのは東京人企連だ。こちらはソニー、電通、ソフトバンク、東芝など首都圏に本社を置く名だたる企業が名を連ねている。会費はどうなのだろうか。しかし、東京人企連は異常にガードが固く、直接聞いても年会費を教えてもらえなかった。
そこで、1つのアイデアが筆者に提案された。東京人企連会員企業の株を買って、株主総会で質問したらどうだろうというのだ。株主であれば、その企業の予算について質問するのは全く正当なことであるはずだ。
2012年に「在日特権を許さない市民の会」(在特会)メンバーがロート製薬に押しかけて、韓国人タレントをCMに起用した経緯について問い詰めて強要罪で逮捕されたことがあったが、そんな事をしなくても株主総会で質問すればよかったのである。
もっとも、新手の総会屋と疑われそうな気もするが、別に利益供与を求めるわけでもなく、単に質問に答えてもらいたいだけなので、何の問題もない。
さて、筆者が目をつけたのは、大手ゼネコンの「大林組」である。大林組は東京人企連に加入しており、2011年には子会社の新星和不動産(後に大林新星和不動産と改名)が大阪同企連に加入している。大林組の名前は部落地名総鑑購入企業の名簿には見当たらないが、それゆえに同企連に加入した経緯も興味深い。また、建設業界は東日本大震災の復興特需の真っ最中であり、純粋に投資先としても悪くない。
早速筆者は大林組の株を買った。さらに念のため過去の株主総会議事録を見せてもらい、株主総会でどのような質問がされるものなのか確認した。
株主からの質問で多いのは、当然ながら様々な事業における収益についての質問である。例えば東京スカイツリー建設の採算性はどうか、ドバイでの事業で損失を出したがどういうことなのか、といった具合だ。ただ、政治がらみの質問もないわけではなく、過去に政治献金の額を開示して欲しいという質問に対して、大林組が自民党に献金した額を具体的に回答している。ということは、同企連の会費くらい答えてもらえてもよさそうなものだ。
2013年6月27日の第109回定時株主総会に向けて大林組に「事前質問状」を送付した。質問内容は次の通りである。
1・ 2011年に子会社となった新星和不動産株式会社が、それと同時期に大阪同和・人権問題企業連絡会に加入していますが、その理由と加入にあたっての社内決裁の経過、昨年度の会の年会費および研修費用などの関連する支出の内訳、人員の延べ動員数、活動内容をご説明ください。
2・ 大林組本体は東京人権啓発企業連絡会に加入していますが、そもそもの加入した経緯、昨年度の会の年会費および研修費用などの関連する支出の内訳、人員の延べ動員数、活動内容をご説明ください。
3・ 2005年4月22日に御社の戸塚武彦氏が東京人権啓発企業連絡会第26回定期総会で、「現在、各党において議論の行われている人権擁護法案としての人権侵害救済制度の法制化に向けた動きには、特に注目し、企業の立場から制定に向けた取り組みを継続して参ります」と発言したと東京人権啓発企業連絡会のホームページに掲載されておりますが、大林組は今現在でも会社として人権擁護法案あるいは人権救済法案を推進しているのでしょうか。
4・ 御社が東京人権啓発企業連絡会に加入していることは、経営上どのようなメリットがあるのか、その費用対効果について貸借対照表あるいは損益計算書のどの部分に反映されるのか説明ください。
1つ目は、筆者がおおよそ分かっている大阪での状況について正確に答えてもらえるか確認するための質問。2つ目は筆者が一番知りたい事柄。3つ目は政治的にナーバスな問題である「人権擁護法案」について、どう反応するか見るため。4つめは、これもまた筆者が一番知りたい事柄である。
さて株主総会当日、質疑応答の時間になると、原田昇三副社長が真っ先に筆者の質問に答えた。当日の回答を議事録から引用すると次の通りである。
1について―
当社は、かねてより人権を尊重し差別の根絶に取り組むことは企業の社会的責任であると認識し、グループをあげて取り組んでいる。また、大阪同和・人権問題企業連絡会(以下、「大阪同企連」)は、人権尊重の企業づくりに取り組むとともに、企業の立場から人権が確立した社会の実現を目指して活動している団体であると認識している。
したがって、新星和不動産は平成23年6月に当社の子会社となったが、同社においても当社グループの一員として人権問題に真摯に取り組むため、平成24年4月に大阪同企連に入会したものである。
また、大阪同企連の啓発講座や研修会に対し、昨年、新星和不動産から5名参加している。
会費については、具体的な金額は回答を差し控えるが、大阪同企連への入会が人権問題に取り組んでいくために有益であることから、適正な額であると認識している。
2について―
東京人権啓発企業連絡会(以下、「東京人企連」)は会員各社が社内の研修・啓発に取り組み、人権意識を高め、差別のない企業づくりを通じて、人権尊重を企業文化として定着させることを目指し、研鑽することを目的として活動していると認識している。当社はそうした活動が当社における人権啓発活動にも有効であると判断して、昭和57年12月に東京人企連に入会した。
会費については、大阪同企連と同様に適正であると認識しているが、具体的な支出額は回答を差し控える。
3について―
当社は、人権を尊重して差別の根絶に取り組む企業として、人権が擁護される住み良い社会が構築されることについては大いに歓迎する。しかし、そのための方法論や法制化される場合の法案の内容については、当社はコメントする立場にないため、回答を差し控える。
4について―
当社は企業の社会的責任、CSRを果たしていくことを経営の根幹に据え、その重要な基盤の一つとして、人権の尊重を位置づけている。活動に伴う費用については、一般管理費として会社の損益の中に含まれているが、その効果は損益計算書や貸借対照表に直接的に数値として表れるものではなく、当社の社会的信用につながり、ひいては業績に貢献していると認識している。
実際に株主総会でも口頭でこのように答えた。結局一番重要な会費については回答を得られなかった。分かったのは大林組が同企連に入会したのは昭和57年12月であり、同企連の結成から4年後とやや後発であるということだ。そして、人権擁護法案・人権救済法案については自民党内でも物議をかもした事柄であるから、実質的にノーコメントということなのだろう。
この質問の直後、別の株主がこんな質問をした。
「大阪同企連及び東京人企連の会費の額について、原田副社長が回答を差し控えるとのことであったが、本件は事前に質問状を送付しており、会社法第314条に基づき説明義務があると考える。説明を拒否するということであれば、同法施行規則第1号から第4号のいずれに該当するのか説明して欲しい」
これに対し、白石達社長の回答が次の通りである。
「本質問は会議の目的事項と直接の関係がないため、説明を差し控えるものである」
これに対しては、会場がどよめいた。ここまであからさまに隠すという姿勢では、さすがに違和感を持たれたに違いない。政治献金の額でさえ公表しているというのに、同和が絡むとここまでガードが固いということは、やはり企業にとって同和は最高レベルのタブーということが改めて確認された瞬間だった。
かくして、正面から企業と同和の関係を問う試みは失敗したわけである。正面から聞いても教えてもらえないのであれば、答えは1つ、正面以外から情報を引き出すしかない。
ということで、筆者は企業の人権・同和関係の予算に関する、ごく最近の資料を入手した。とは言っても大林組のことではなく、愛知人企連に属する、とある大企業の内部資料である。そこから企業と同和の関係を読み解いてみようと思う。
資料によれば、愛知人企連の年会費が20万円前後である。この額は数千人から数万人の従業員を抱える愛知人企連会員企業にとっては微々たる額であろう。しかし、人企連に入った企業には、年会費以外にも様々な支出が付いて回るのである。
例えばほぼ毎週のように人企連の「情報交換会」のための予算が支出されている。金額は飲み代程度の額なので、実際に飲み会なのだろう。
また、年に1回「全国同企連集会」があり、出張旅費・参加費などに10万円程度が支出される。他にも「人権・同和問題企業啓発講座」や同和地区の視察を行うフィールドワークが年に何度かある。その額から、おそらく2人の従業員が同和担当として当てがわれていることがうかがえる。
また、同和に関わる支出は人企連によるものだけではない。会社は「社団法人部落解放・人権研究所」と三重県津市にある「反差別・人権研究所みえ」にも加入しており、これらの年会費が5~6万円かかる。部落解放・人権大学愛知講座にも従業員を参加させており、これにも同じくらいの金額がかかる。
そして、ある時は部落解放同盟大阪府連委員長であり近畿大学(なお、近畿大学は「第4の部落地名総鑑」の購入者名簿に載っている)教授でもある北口末広氏による、役員と部長級以上を対象とした人権講演会が行われ、1回の講演で約20万円+交通費が支払われている。この講演は、会員企業が各社持ち回りで受けることになっているようである。
さらに、こういった講演の際の講師の接待、部落解放同盟愛知県連合会との交流会といった行事にも、1回数千円から数万円が費やされる。企業関係者によれば、他にも様々なところで同和への支出があるはずだという。
「本社の秘書室には、解放同盟の関連団体から購入させられた解放新聞・部落解放・ヒューマンライツといった書籍が社員の目に触れないようにひっそりと保管されている場所があると聞きます。こんな物は誰も読まないし、かと言って捨ててしまうのも怖いので、そうしているのでしょう」
こうして同和関係の支出は少なくとも年間で数百万円はあると考えられる。また、これらの活動は社員が勤務時間を割いて行うので、もちろんその分の給料も会社持ちだ。その結果、社員はさぞ人権意識が高いのかというと、実情はこのようなものだそうだ。
「20年くらい前のことですが、従業員の通勤経路について注意喚起するために「生活道路として地域の住民に配慮して通行を自粛すべき経路」を地図に示した資料が回されたことがありました。それは見る人が見れば、どう考えても同和地区のことなのですが、特に問題にならなかったですね」
なるほど、同和を避けるにあたって、解放同盟に突っ込まれない絶妙な言い回しである。この言い回しを開発するには、確かに高い人権意識が要求されるかも知れない。
ちなみに、この企業が愛知人企連に加入した理由は、過去に「差別事件」を起こしたからである。「実はウチの会社は昔部落差別事件を起こして糾弾されて、いろいろと無茶な要求を解放同盟からされた」と事情を知る従業員が語っていたという。
未だに切れない同和と企業の関係。なにが「えせ同和」か、そうでないのか、切り分けることは不可能だ。関係者の証言と独自入手したデータから、5回にわたって検証する。
シリーズ一覧
第1回 部落地名総鑑事件から始まった
第2回 同企連の会費と講演料
第3回 NTTと同和
2011年、NTTドコモの子会社で働いている人物が、このような話をしていた。
「ドコモにて同和問題の講演をしたときの録画映像を研修で見ました。講演の講師は川口泰司さんという方でした。関西の人で部落出身の方ですが、話がとても上手な方で、笑いあり涙ありの講演でした。部落問題について、こういう伝え方もあるんだなと思いました。おそらく今回の録画映像はドコモグループで派遣社員含め全社員対象で観られるのだと思います」
NTTはドコモだけではなく、NTTコミュニケーションズ、NTTコムウェア、NTTデータ、NTT都市開発、NTTファシリティーズといったグループ企業が東京人企連の会員に名を連ねている。
ご承知の通り、NTTは1985年にそれまで特殊法人であった電電公社が民営化されたことにより発足した企業グループである。NTTと同和との付き合いは電電公社時代から始まっていた。
1963年から2005年までNTTで働いていた、栃尾淳氏から当時の話を聞くことができた。
「電電公社というのは半公務員の会社ですから、同和研修は同和事業を行うという国の方針があって、経営側から始まったものです。また、電電公社も過去に解放同盟から糾弾されたことがありました」
栃尾氏によれば、入社した当時は同和研修といったものはなかったという。同和研修が始められたのは、1970年代の終わりごろ、つまり部落地名総鑑事件の頃である。しかし、電電公社は部落地名総鑑を買っていない。一方、採用選考で身元調査をしたとして部落解放同盟から糾弾されたことがある。また、社員寮で差別落書きが見つかって糾弾されたこともあったという。
栃尾氏は最初の頃は同和研修に特に疑問を持たなかったが、ある事件をきっかけに、同和研修のあり方に反発を持つようになった。それが前出の八鹿高校事件である。
「私の母校は八鹿高校なんですよ。恩師が何人も暴力を受けたのに、警察も行政もまともに対処しないし、解放同盟は暴力はなかったと言っていました。それで、八鹿高校のOBで被害者を支援する会を作りました。また、組合の分会として八鹿まで調査に行きました。もちろん、暴力があったのは間違いのない事実ですよ」
ここで言う組合とは「通信産業労働組合」のことである。当時の電電公社では総評系の「全国電気通信労働組合」(全電通)が主要な組合であり、98%の従業員はこちらに加入していた。一方、栃尾氏が加入していた通信産業労組は共産党系の弱小組合である。しかし、栃尾氏は別に共産党員という訳ではなく、通信産業労組に入るまでには複雑な経緯があった。
「私は最初は全電通の組合員でした。1966年に国鉄で労働争議があって、国労(国鉄労働組合)の応援に行ったんです。しかし、大阪環状線の電車を停めたのと、警官を蹴ったということで、威力業務妨害罪と傷害罪で私を含め5~6人が逮捕されました」
そのため、裁判が終わるまで会社からは停職ということになり、その代わり書記として組合で専従することになった。そして13年後、裁判の結果執行猶予付きではあったが有罪が確定し、懲戒免職となり、それに伴って組合からも離脱した。
しかし、直後に再雇用され、その時に半ば御用組合になっていた全電通を嫌って通信産業労組の方を選んだということなのだ。
部落問題に関して言えば、全電通は社会党系、それゆえ同じく社会党系である解放同盟に近い立場であり、全電通が組織として解放同盟に逆らうような活動はできなかった。
「経営、組合、部落問題、これはそれぞれ別のものです。同和研修は経営側がやっていることですから、組合は関係ありません。そうなのだから、同和研修の内容は中立であるべきなのに、解放同盟の方針でやるから疑問を持ったのです」
栃尾氏をはじめとした会社の同和研修のやり方に反発した従業員が、1986年に電通部落問題研究会(部落研)を設立した。もちろん、どちらかと言えば反解放同盟の研究会である。解放同盟の方針に反発した、主に共産党系の元解放同盟員が結成した全国部落解放運動連合会(全解連、現在の全国地域人権運動総連合(人権連))から講師を読んで、数十人規模で独自の研修を行っていたという。
しかし、この活動は長くは続かなかった。直後に部落研の会長が死去してしまい、栃尾氏も精神的に沈んだ状態になってしまったことから、続けられなかったという。
もちろん、だからと言って、その後も栃尾氏が会社の同和研修に出ることはなかった。というより、通信産業労組の従業員にはそもそも研修の案内が来なかった。
「会社の同和研修への参加は、建前としては自由です。出なかったからと言ってペナルティはないと会社は言いますが、出ないと評定に影響が出るのではないかと言われていました。もちろん、そんなことが明文化されているわけではないですが、ただ“空気”としてそのようなものがあるということです」
確かに、サラリーマンとして働いた経験のある読者であれば、何となく理解できるのではないだろうか。
「全電通の組合員は、組合からも同和研修に出るように言われていました。研修に参加しないのは差別だと、そういうことを口頭で言われるのです」
栃尾氏は、もはや部落問題には関わっていない。筆者が冒頭で述べたNTTドコモ子会社の同和研修のことを話すと、「まだやっているのか」と驚いた。
企業と同企連の関係はえせ同和と紙一重である。総会屋のような会社ゴロは厳しい取り締まりによりほぼ一掃されたが、同和と企業の関係は終わる気配がない。部落地名総鑑事件から40年が経過した今も、なぜ企業は同和との関係を断つことができないのか。
この当たりの事情をよく知るという、関西のとある人権団体関係者から話を聞くことができた。
「それは、解放同盟と行政が一体だからですよ。解放同盟に逆らうと、許認可権を持つ行政から企業が嫌がらせをされるからです」
しかし、国の同和事業が終わり、地方においても同和事業は縮小される一方で、解放同盟と行政が離れつつある今、解放同盟の行政に対する影響力も衰えつつある。そのためか、解放同盟と企業の間の関係も「逆転」しつつあるという。
「企業は不祥事つぶしのために解放同盟を利用しています。解放同盟も企業に離れられると困るから、差別事件があったとしても、同企連の企業のことは解放新聞に書かない」
また、同企連に入っていくら学習やら啓発をやったからと言って従業員の意識が全て変わるわけでもないし、大きな企業ならそれなりに「差別事件」というのはあるものだという。そして、いざというときに同企連会員かどうかで差が出てしまうものなのだ。
解放同盟滋賀県連の事務局に出入りしていたという関係者に聞いてみると、解放新聞が同企連会員企業の不祥事を書かないというのは当然のことだという。
「同企連に入っていれば、差別事件があっても解放同盟に載らないですよ。これは、他の府県でも通用します。例えば大阪の同企連に入っていれば、解放新聞大阪版はもちろん滋賀版にも載りません」
しかし、同企連に入っていれば、愛知人企連の例のように、会費以外にも様々な支出が必要だ。例えば、滋賀ではこんなことがあるという。
「同企連の会合の度に、滋賀県人権センターが1冊2000円の冊子を企業に売っています。年に10冊くらい同じ冊子を買う人もいますね」
また、同企連に入らなくても、解放同盟に差別事件のことを書かせないようにし、なおかつ糾弾をやめさせる方法があるというのだ。
「解放新聞滋賀版には年初と夏の2回、企業の広告がまとめて載ります。ほとんどは同企連会員企業の広告で、毎回同じような企業が広告を載せています。だけど、時々単独で企業の広告が載ることがあります。あれは、糾弾されかけた企業で、解放同盟と何かしらの裏取引があったと見るべきです」
また、同企連に入っていないにも関わらず、ある年から突然広告を出すようになった企業も、糾弾されかけた企業だろうということだ。
具体的には、糾弾されそうになった企業が、菓子折りでも持って解放同盟に行き、広告の掲載を申し込む。ついでに、広告料の他にいくぶんか上乗せした金額を支払う。そうすると、「差別事件」のことは解放新聞には載らないし、糾弾されることもないのだという。
「例えば役所に同和地区の場所を問い合わせたとかで問題になりかけた場合に、解放同盟にツテのある人に相談して、そういう方法を紹介してもらってるんじゃないかな」
過去の解放新聞滋賀版を調べると、確かに年に2回、それぞれ「新年のあいさつ」と「暑中見舞い」という名目で、まとめて企業の広告が乗っている。しかし、2012年にはやや時期がずれて「残暑見舞い」として、広告を掲載している会社が1社だけあった。広告主は、東近江市にある小林事務機という会社である。
どうして解放新聞に広告を掲載したのか、小林事務機に聞いてみると「担当者に確認しましたが、その件についてはお答えはいたしかねます」とのことだった。
ちなみに広告料は、2008年の時点では1段7行で5000円である。一面にこの広告が54個掲載可能で、広告がまとめて掲載されるときは少なくとも3面くらいの紙面が広告に割かれる。それが年に2回である。単純計算すると、解放新聞滋賀版の広告収入は少なくとも年あたり162万円あるというわけだ。
仮に不祥事つぶしで儲けようという意図が解放同盟側になかったとしても、解放新聞に金を払って広告を掲載した企業を叩きづらいというのは人情というものだろう。人情と言えば、前出の人権団体関係者は差別事件があった時に企業名が解放新聞に載るかどうかは他の要因も関係するという。
「差別事件が解放新聞に載る場合も、社名が伏せられている場合とそうでない場合があります。社名が伏せられるのは小さな企業。会社が潰れてしまっては元も子もないし、その会社の従業員の生活もあるからね」
未だに切れない同和と企業の関係。なにが「えせ同和」か、そうでないのか、切り分けることは不可能だ。関係者の証言と独自入手したデータから、5回にわたって検証する。
シリーズ一覧
第1回 部落地名総鑑事件から始まった
第2回 同企連の会費と講演料
第3回 NTTと同和
第4回 同和と企業は持ちつ持たれつ?
最終回 同和に対抗できる企業とは?
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もう1つの疑問、同企連会員企業の中には部落地名総鑑を買っていない企業もある。そのような企業はどのような経緯で同企連に入ったのだろうか。
1990年代、社団法人部落解放・人権研究所が発行する月刊誌「ヒューマンライツ」に、「ザ・企業訪問」というシリーズ記事が掲載されていたことがある。その中で、各同企連会員の担当者が自社での同和問題に対する取り組みを語っている。当然「実は当社は部落地名総鑑を購入していて…」というパターンが多いのだが、中にはそうでないものがある。それでも、何らかの差別事件を契機としていることが多い。
例えば富士火災海上保険。これは1982年4月に発覚した「損害保険リサーチ差別事件」がきっかけである。これは大手損害保険会社が共同で設立した株式会社損害保険リサーチが社員の身元調査をして、部落出身者を辞めさせるための工作をしており、さらに社内向けの冊子に「解放同盟は怖い」「トラブルや同和は避けること」といった記述がされていたとして、損害保険会社19社が糾弾された事件である。
カネボウの経緯に至っては、部落問題とは直接関係がない。これは1987年に「黒人差別をなくす会」からガムの包装紙が黒人差別にあたると指摘を受け、商品の生産中止と回収により会社が大損害を被ったことが契機とされている。
ちなみに、この「黒人差別をなくす会」は、大阪府堺市の小学生の発案で作られた団体で、もちろん黒人による団体ではない。しかし、出版社など様々な企業に「黒人差別である」とクレームを入れて、その結果黒人に関するあらゆる表現が自粛された。まさに、80年代、90年代に吹き荒れた、「言葉狩り」と呼ばれる人権にからむ表現規制を象徴する団体である。
電通は1983年9月に京都新聞に掲載された広告で、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」の中に出てくる、被差別民を意味する「ちょうりんぼう」という言葉を用いたため、広告代理店として司馬遼太郎もろとも糾弾されたのがきっかけである。
「当たり前田のクラッカー」で知られる前田製菓の場合は少し変わっている。前田製菓は大阪でも2,3番めの規模の同和地区である堺市協和町に工場があり、そのことが同和問題の解決に熱心な理由の1つであるという。
また、最近になって同企連に加入した企業もある。コカ・コーラウエストは、大阪府八尾市で社員が「同和地区の自動販売機は壊されやすい」と発言し、解放同盟から糾弾されたことが発端となり、2012年に大阪同企連に加入した。その他、最近大阪同企連に加入した企業としては医薬品・医療機器取扱業者のアルフレッサがあり、東京人企連にはドン・キホーテ、吉本興業、ライジング・プロといった企業が2010年以降に加入している。
企業の名前を見ると、同和問題以外の不祥事を起こした企業も目につく。例えばドン・キホーテは2004年に放火事件があり、被害者だったにも関わらず店舗の防火体制等が批判され、さらに2010年には放火事件の遺族への対応をしていた役員が、遺族対応に関するコンサルタント料と偽って横領事件を起こした。また、吉本興業と言えば2011年には所属タレントの島田紳助等と暴力団との交際が取り沙汰され、ライジング・プロも暴力団との関係を取り沙汰された過去がある。東京人企連の会員名簿には2000年に食中毒事件を起こした、雪印メグミルクの名前もある。
ちなみに、2011年に原発事故を起こした東京電力、2015年に粉飾決算で揺れている東芝も、以前からの東京人企連会員企業である。
雪印メグミルクに入会の経費などについて聞いてみたところ、次のような回答で、やはり答えてはもらえなかった。
「企業として人権問題により取り組むために入会しています。ただ、いつ入会したとか、会費についてはご容赦頂ければと思います」
ドン・キホーテにも聞いてみたが、やはり同じことだった。そこでさらに、「役員の横領事件は関係あるのか」「差別事件を起こしたのか」と聞いてみると、このような答えだった。
「それは関係ありません、同企連がもともと差別事件を起こした企業により設立されたという経緯は承知していますが、今はそのようなこととは無関係に加入している企業もあります」
差別事件とは無関係に加入する企業とは、どのような企業なのだろうか。
思い当たるところがあるとすれば、いずれも芸能プロダクションである吉本興業とライジング・プロである。奇しくも2015年8月、吉本興業は法務省人権擁護局と共に「人権啓発WEEK」を展開し、所属芸人による人権啓発活動を行った。このことは、吉本興業が東京人企連に加入したことと無関係ではないだろう。
実は、人権啓発は芸能人にとっては魅力的な市場なのである。「人権教育啓発推進法」に基づいて政府や地方自治体の機関が各地で講演会などを行うが、そこで担当者を悩ませるのは、人が集まらないことである。そこで、最近では漫才師や落語家等を呼ぶことが多い。これは、同企連会員企業が同和研修を行う場合も事情は似通っている。
つまり、同企連にとっては芸能プロダクションと協力することで同和研修に人を集められる、芸能プロダクションにとってはギャラが手に入ると、まさにウィン・ウィンの関係だ。そう考えるとつじつまが合う。
実際、同企連に入ることで営業的なメリットがあるのか吉本興業に質問したが、回答は得られなかった。
一方、企業の合併や組織の再編に伴うものを除けば、同企連から退会する企業はほとんどない。最近の唯一の例は、2015年に大阪同企連から退会した大津コーポレーションである(ちなみ、大津コーポレーションの大津は大阪の泉大津のことで、滋賀県大津市とは関係がない)。大津コーポレーションと言えば、社名が大津工業だった時代に最初の部落地名総鑑を買っており、1978年の設立当初からの大阪同企連の会員である。それがなぜ今になって退会したのか、試しに経緯を聞いてみると、別に筆者の側から「何か問題があったのか」と聞いたわけでもないのに関わらず、こんな答えだった。
「それは別にうちの問題だからよろしいちゃいまんの。理事会とも話をさせて頂きまして、穏便にさせて頂いてます。何の問題もないです」(大津コーポレーション担当者)
同和にからむトラブルを起こした企業の担当者というのは、概して口が固い。とくに最近は「コンプライアンス」「秘密保持」がやかましく言われるので、その傾向は強くなっているように感じられる。
しかし、前出の北口末広氏は、著書「必携エセ同和行為にどう対応するか」(解放出版社、2006年7月10日)で次のように書いている。
「企業や団体などにおいて人権侵害事象や差別的な行為が発覚した場合、これらを覆い隠すのではなく真摯に反省し、公表するということです。企業や団体などの人権性、合法性、倫理性、公式性、公開性の逸脱による弱みを覆い隠そうとする行為がエセ同和団体につけ込む隙を与えるのであり、その場しのぎの対応が問題の傷口をより一層広げてしまうことになるのです」
これについては、確かに北口氏の言うことは正しい。最初から公表してしまえば、この事実を公表するぞといった脅しはできなくなる。
また、よくも悪くも、大抵の場合「差別事件」が直接企業与える損害というのは小さく、企業ブランドに対する影響も案外小さいのが実情である。こう言っては身も蓋もないかも知れないが、顧客のなかでも「マイノリティ」の意見は、いくら声が大きくても多くの顧客には関係のない事柄であったりする。さらに、多くの「差別事件」というのは、企業が顧客の信頼を裏切ったわけではなく、顧客でもない者が、商品やサービスの品質とは直接関係のない事柄について「それは差別だ」と難癖を付けるだけのケースだ。
最近糾弾された企業はどうか? 例えば2013年から「Y社住宅販売」という名前で度々解放新聞に掲載されている、群馬県の中古住宅販売会社の「株式会社カチタス」は、和歌山県に間違って社内文書をファックスした。その文書に、ある物件について「同和地区であり、需要はきわめて低くなると思われます」と書かれていたことから「差別事件」として解放同盟に糾弾された。当時は「株式会社やすらぎ」という名前で、その後社名変更したので、「Y社」なのである。
筆者がカチタスに電話し「部落解放同盟担当の方はいらっしゃいますか?」と聞くと、確かに「部落解放同盟担当」はいたのだが、差別事件については「弊社からお答えすることはない」という回答であった。「公表」とは程遠い状況である。
ところで、なぜカチタスは糾弾されたのか? 最近は解放同盟は「土地差別」なるものを大々的に取り上げており、不動産業者など土地に関わる企業が次々と糾弾のターゲットになっている。もちろん、糾弾された企業は、何らかの形で同和地区に関わった企業である。これでは、むしろ同和地区に関わることを手控えさせるだけで、逆効果と思わざるを得ない。
未だに切れない同和と企業の関係。なにが「えせ同和」か、そうでないのか、切り分けることは不可能だ。関係者の証言と独自入手したデータから、5回にわたって検証する。
シリーズ一覧
第1回 部落地名総鑑事件から始まった
第2回 同企連の会費と講演料
第3回 NTTと同和
第4回 同和と企業は持ちつ持たれつ?
最終回 同和に対抗できる企業とは?
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さて、糾弾の嵐が吹き荒れる不動産業界であるが、それでもあえて同和地区の土地に目をつけている企業もある。最近、大阪の部落解放運動関係者から注目されているのが、大阪府守口市にある「富士工務店」である。なぜ注目されるのかというと、この会社が売り出している物件が、ことごとく同和地区かその近辺にあるからだ。例えば最近では、大阪市の芦原橋駅近辺や、摂津市鳥飼野々、茨木市沢良宜といった場所の建売住宅が売りだされている。大阪の運動団体関係者はこう語る。
「あの会社のことは、解放同盟の中でもすごく話題になってますよ。大阪では同和行政をどんどん廃止になってますから、いらなくなって行政が売りに出した土地を狙って買っているのではないですか」
しかし、実際に売り出されている物件を見ると、元は民間の工場だった場所もあり、必ずしも行政が売りだした土地ではない。とすると、何か別の信念のようなものがありそうだ。
筆者がこの件について富士工務店に尋ねたところ、即座に取材拒否されてしまった。
解放同盟に糾弾されかけた、あるいは糾弾されたにも関わらず、その手から逃れた企業もある。もちろん、前述のような金で解決という方法もあるが、他にも様々な方法があるようだ。
例えば、大阪市の中堅工務店の「ヤマヒサ」は、2011年に滋賀県草津市に同和地区の場所を問い合わせる「差別事件」を起こした(小舎刊「同和と在日⑤」参照)。解放同盟はこの事実を把握し、糾弾しようとしたが、結局糾弾を断念せざるを得なかった。その理由について、解放同盟滋賀県連は、ヤマヒサが対応を全日本同和会に一任すると言ってきたためとしている。
全日本同和会によればヤマヒサは以前から全日本同和会の法人会員であり、この問題はヤマヒサと草津市と全日本同和会の間の問題であって、解放同盟の動きは知らなかったという。しかし、結果的には全日本同和会の存在によってヤマヒサは解放同盟による糾弾を免れたことになる。
一方、解放同盟に糾弾されながらも孤軍奮闘したのが滋賀県湖南市の「アートホームサービス」である。同社は2010年に社員が滋賀県野洲市内の物件について「同和地区だから家賃が安い」と従業員が発言するという「差別事件」を起こした。また、そもそも同和地区だから家賃を安くしたとアートホームサービスに説明していたのは、この物件の管理会社であるパナホーム滋賀の従業員である。
アートホームサービスは最初はおとなしく糾弾に応じていたものの、解放同盟滋賀県連側の事実確認があまりにもズサンだったので、それについて苦情を言ってかなり強気に出た。その途端に、解放同盟に態度が変わって、まるで解放同盟に対してアートホームサービスが「お客様」のような扱いだったという。結局この件については、アートホームサービスが型どおりの見解書を書いて終わりとなった。
この件は小舎刊「同和と在日⑦」で詳しく採り上げたが、実は後日談がある。
2013年、ある外国人がアートホームサービスに物件を探しに来たものの、家主の都合で外国人入居不可となっていたので断った。すると、滋賀県人権センターの職員とその外国人が一緒にやって来たという。
「うちはその外国人が、家賃300万円を滞納して別の物件を追い出されたことを調べて知っていました。そのことを言うと、人権センターの職員もしっかりとそのことを知っていて「あなたもプロですなあ」みたいなことを言われましたよ。それで、「うちは精神病者でも同和でもこばんだりはしない、どういう商売するからはうちの自由だから、あんたらにとやかく言われたくない」と言って追い返しました」(アートホームサービス関係者)
それ以来、音沙汰はなかったそうだ。
また、同和対策事業の全盛期の頃なので、かなり昔のことになってしまうが、日本中央競馬会(JRA)の元関係者がこんな話をしてくれた。
「JRAは同和との接点がかなりありました。例えば死んだ競走馬の処理をする業者というのは、やはり被差別部落の方が多かったです。それから、競馬場建設のために被差別部落の用地を買収することもありました。また、競走馬の世話をする従業員にも同和地区の方が多くおられましたね。当時は身元調査が当たり前の時代でしたが、こういう事をするのはよくないということで、JRAは比較的早く止めていたのです」
実際、九州でも最大級の部落である北方地区の傍らにある小倉競馬場は、昭和5年に北方地区の小作人により耕されていた農地を潰して整備されたものである。それゆえ、小倉競馬場の従業員は北方地区の住民が多い。それだけでなく、滋賀県栗東市にあるJRAのトレーニングセンターでも、このような歴史的な経緯から競走馬の扱いに長けた北方出身者が数多く働いているという。
そのためか、解放同盟の力が強かった時代には、労働争議に解放同盟の関係者が出てくることがあったという。
「無茶な要求をされることもありましたが、JRAは大きな組織ですから、ちょっとした事でも全国に影響が出てしまうので、簡単に要求を飲むことはできませんでした。そんな時、私は当時の解放同盟中央本部の幹部と幼なじみだったので、その人の名前を出したら、途端に相手の態度ががらりと変わりましたね。あれは非常に有効でした。しかし、そのことで私自身も同和関係者ではないかと疑われたのですが、さすがにそれは否定しましたよ」
そういうわけで、解放同盟関係者との付き合いもあったのだが、同和対策全盛期らしいこんなエピソードもあったという。
「ある時、付き合いのあった同和の人間の家に招かれて、一緒に酒を飲んでいたのです。その時、自分はこの家の他にもう1軒家を持っていて、それは同和住宅で今は他人に貸していると自慢するんですよ。つまり、税金で建てた同和対策の公営住宅を必要もないのに借りて、また貸しして儲けているわけですな。それで私が、「そんなことをしているモンの酒は飲めん」と言って席を立ったら、驚かれましたよ。逆にそのことがきっかけで、彼らから一目置かれるようになりました」
ちなみに、東京で勤務していた頃、部落解放同盟の創立者である故・松本治一郎参議院議員から、JRAへの裏口採用を依頼されたこともあったが、やはり断ったそうだ。
同和に対抗するためには、彼らを知ることと、少しばかりの度胸が必要と言える。
また、体面を気にする企業というのは、同和の格好のターゲットと言える。部落地名総鑑事件により同企連を組織させられた企業というのは、体面を気にして差別を行った結果、体面を気にして同和との関係を断てなくなってしまった。
同和というものが、企業の評価に与える影響は、良い意味でも悪い意味でもごく小さなものでしかない。同和に振り回されないためには、そのことをしっかりと認識しておくべきだろう。
人権問題と企業について、まことしやかに語られるのが同和枠の存在である。つまり、企業が同和地区住民を優先的に雇用するための枠があるのではないということだ。結論から言ってしまえば、これは「まことしやか」どころか事実そのものである。そして、そのことは何らはばかれることなく堂々と行われた。
大阪市に「一般社団法人おおさか人材雇用開発人権センター」(C-STEP)という団体がある。この団体は1981年に設立され、もとは「社団法人同和地区人材雇用開発センター」という名前であった。センターの設立趣意には「従来の雇用慣行にとらわれず、その実態を考慮した雇用の場の提供」とあり、これは端的に言えば「同和枠」を意味する。
例えば「ザ・企業訪問」によれば、1990年に福岡シティ銀行の大阪支店でセンターを通じて同和地区出身者を採用していたとある。センターには同企連会員企業はもちろん、他にも多くの企業が加入しており、同時期には940社が加入していたという。
同じ頃、企業と在日コリアンの間にも同様のことが起こった。同和枠だけではなく「在日枠」も行われるようになったのである。
「ザ・企業訪問」によれば、安田生命保険では1983年と1985年に在日コリアンに対する身元調査を行って採用から排除していたことが発覚。それにより糾弾を受け、1988年以降、逆に大学をまわって在日コリアン学生に応募依頼を行うようになったとしている。
在日コリアンの就職については、有名な事件がある。それが1974年6月19日に横浜地裁で判決が出された「日立就職差別事件」である。この事件は日立ソフトウェアが在日コリアン2世の朴鐘碩氏が本名と本籍と職歴を偽って応募していたとして、一旦決まっていた採用を取り消して解雇したことについて、朴氏が慰謝料の支払いと解雇の無効確認を求めて日立ソフトウェアを提訴したものである。
結果として朴氏は勝訴した。それだけでなく、横浜地裁の判決文は「在日朝鮮人が置かれていた状況の歴史的社会的背景、特に、我が国の大企業が特殊の例外を除き、在日朝鮮人を朝鮮人であるというだけの理由で、これが採用を拒みつづけているという現実」にまで踏み込んでいた。三菱樹脂事件とは正反対の結果だが、三菱樹脂事件では一審、二審で敗訴した三菱樹脂が最高裁まで上告した一方、日立ソフトウェアは控訴せずに地裁判決を受け入れたということが大きいだろう。
この裁判を支援したのが、現在の「在日コリアン人権協会」(八尾市)であるという。
実はこの在日コリアン人権協会は、現在は部落解放同盟と対立しており、2005年には大手ゼネコンの大成建設と、前出の解放同盟大阪府連委員長の北口末広氏を訴えた。その時の裁判の資料が協会のウェブサイトで公開されている。裁判では、お互いがお互いを「エセ同和」、「エセ人権」と非難する有様で、まさに泥沼である。
事のあらましはこうだ。協会が大成建設と人権研修を行う契約をしたが、北口氏の妨害により中止となったため、協会が大成建設に講演料の10万円を、北口氏に対して名誉棄損の慰謝料10万円を支払うことを求めたものである。
裁判資料には、企業から協会への金の流れが赤裸々に書かれている。例えば、大手旅行代理店の近畿日本ツーリストが協会関連団体に機関紙購入代金として1000万円近くを支払った。また、天理教が1993年の在日コリアン学生に対する暴行事件が契機として様々な名目で協会に2000万円を支払った。さらに、キリンビールはコンサルタント料として毎月50万円を3年間、計1800万円を協会に支払った。このことから、北口氏は協会をエセ同和、エセ人権であると非難したわけである。
キリンビールの件は、前出の北口氏の著書「必携エセ同和行為にどう対応するか」に、固有名詞こそ出さないものの、「エセ同和」の一例として書かれている。
確かに、いずれの企業から支払われた金額は相当な額である。これは果たして妥当なのか? 在日コリアン人権協会副会長の徐正禹氏に聞いてみた。
「例えばキリンビールの1800万円については、年に100回くらい研修会をやって、もしキリンで人員をつければ年に1000万円の経費では済まないので、(協会に)委託したほうが安いということになった」
また、大成建設の人権研修の費用10万円というのは、相場通りであるという。
「北口氏の講演料は1回10万円から30万円。それを年に100回くらいやっているんですよ。それに、解放同盟は企業から直接金は受け取らなくても、ヒューライツだとか人権協会とか関係団体から間接的に金を受け取っている」
なるほど、北口氏の講演料については前出の愛知人企連会員企業の内部資料と一致する額だ。
ヒューライツとは「一般財団法人アジア・太平洋人権情報センター」のことである。この団体は言わば解放同盟系の在日コリアン団体であり、在日コリアン人権協会とは対立関係にあると言える。また、ここで言う人権協会とは一般社団法人八尾市人権協会であり、その理事長は北口氏と同じく近畿大学教授である奥田均氏だ。
「経費を受け取る事自体は否定していません。しかし、金を払うから差別事件を握りつぶすようなことはおかしい」
徐氏が北口氏をエセ同和、エセ人権と非難する理由は、金額の問題ではなく、金を払った企業の差別事件を握りつぶすからだという。
例えば1999年に近鉄百貨店で、詐欺常習者として韓国名を持つ人物の顔写真が各部署にファックスされたことがあり、協会はそれを糾弾したが、北口氏の圧力で百貨店との関係を切られたという。また、1997年には神戸連続児童殺傷事件の犯人は在日コリアンであるというような放送をTBSがしたことについて協会が詰め寄ったところ、「北口氏と相談しているから」と言ってTBSは協会を相手にしなかった。
関係者は北口氏の経歴についても疑問を呈した。特に、1993年に近畿大学助教授になっている点だ。
「近畿大学は部落地名総鑑事件で解放同盟大阪府連に糾弾されているのに、そこのポストに収まっている。もちろん、どのような経緯で近畿大学に入れたのかは分からないけど、おかしいでしょ。例えば糾弾した側が糾弾された企業に入って給料をもらったら、周囲はどのように見ますか」
さて、裁判の結果、大阪地裁では協会が全面敗訴したものの、大阪高裁では大成建設が10万円を協会に支払うことが命じられた。大成建設は確かに在日コリアン人権協会に人権研修の講演を委託する契約をしていたと認められたからだ。
一方、北口氏の言動には公益性があり、エセ同和、エセ人権であるとの非難も厳しい言い方ではあるが、運動のあり方に対する批判としては不当なものではないので、名誉棄損ではないとして、北口氏の勝訴となった。
結局は大成建設のひとり負けとなった形だ。
さて、うって変わって次は同和と宗教界の関係の話である。同和と宗教の関係は、企業との関係よりもさらに根が深いと言えるかも知れない。
部落解放運動の出発とも言える、全国水平社が創立された1922年3月3日、全国水平社創立大会では3つのことが決議された。1つは最も有名な差別者に対する徹底糾弾をするという内容である。次に、機関誌である月刊「水平」を発行することである。そして、最後の1つが実は最も重要かもしれない。決議にはこうある。
「部落民の絶対多数を門信徒とする東西両本願寺が、此際吾々の運動に対して抱蔵する赤裸々なる意見を聴取し、其の回答により機宜の行動をとること」
この決議に対して、両本願寺ともおおむね水平社運動への協力に同意したのだが、全国水平社とは距離を置いて自主的に取り組むとした西本願寺(浄土真宗本願寺派)に対し、東本願寺(真宗大谷派)は翌年には全国の被差別部落寺院を調査して地域の改善事業に努めると宣言して積極的に協力した。このためか、現在においても両本願寺の同和問題に対する取り組みには温度差がある。
さて、そして現在、「同和問題にとりくむ宗教教団連帯会議」(同宗連)という団体がある。後で述べるが、これは言ってみれば同企連の宗教版のようなものである。もちろん、東西本願寺は加入しているし、日本基督教団、神社本庁も加入している。
2012年5月、この同宗連でちょっとした出来事があった。佛教タイムス(同年5月31日)によれば、同宗連を構成する一団体である「同和問題にとりくむ大阪宗教者連絡会議」(大宗連)から、東西本願寺と同じく浄土真宗の一派である真宗佛光寺派大阪教区が脱退したというのである。
2013年の夏、筆者はその事実を確認すべく、大阪のとある佛光寺派寺院を訪れた。住職にそのことを聞いてみると、自分は詳しくは知らないが、脱退はしておらず、少なくとも今は大宗連に入っているという。
ひょっとすると誤報だったのか、そう考えつつもさらに訪ね歩くと、京都のとある西本願寺派僧侶が事情を知っているというので、早速その寺を訪れた。
「あの件で、同宗連は慌てました。それだけ佛光寺派の脱退は衝撃的だったのです。しかし、結局は佛光寺派は復帰しました。双方が歩み寄って、ひとまず今回のところは穏便に済まそうということです」(西本願寺派僧侶)
しかし、一度脱退したことは事実である。脱退の背景は、やはり同宗連が部落解放同盟の方針に沿った活動しかしないことに対する反発である。そこには、部落解放同盟と対立する人権連系の僧侶の動きがあったという。
「同宗連のはじまりは、今から30ほど前にあった「町田事件」です。それ以来宗教団体が次々と糾弾されて、解放同盟に言いなりにされてきました。例えば西本願寺では1200から1300ヶ寺程度の被差別部落寺院がありますが、同和問題に関してはこれらの寺院が他の10000ヶ寺を支配しているという状況です」
町田事件とは、1979年8月にアメリカで開催された「第3回世界宗教者平和会議」の席上で町田宗夫・曹洞宗宗務総長が「日本には、部落問題は存在しない、部落問題、部落差別ということを理由に騒ごうとしている」と発言したという「差別事件」である。これに端を発して、過去帳に穢多などの身分を記載していた問題、部落民に対して差別的な戒名を付けていた問題など、宗教界に糾弾の嵐が吹き荒れた。そして、1981年6月に同宗連が発足した。
さて、筆者が気になるお金の問題はどうなのか?
「同宗連の分担金は年間10万円。同和研修の講師料は昔は1回15万円から30万円でしたが、今は下がって5万円から10万円といったところです」
その他にも、様々な集会や講座に動員されるという。
仏教系の主要な宗教団体のほとんどが同宗連に加入している中で、異色なのが日蓮宗である。日蓮宗は宗派の中で「人権対策室」を設置して、独自に取り組むとし、同宗連への加入をしなかった。それは、日蓮宗の中でも力を持っていた故・中濃教篤氏の影響が大きいという。中濃教篤氏は、共産党と関わりのある日本宗教者平和協議会の常任理事でもあった。
それにしても、NTTの場合と同様に、ここでも解放同盟への反発の陰には、対立団体である人権連、共産党の陰がちらついている。それとは関係なく、一般の僧侶から反発が出ることはないのだろうか。
「ほとんどの人は、部落問題には無関心です。それに、坊主もサラリーマンも、何も違いはありません。上に逆らえば昇進に響くし、面倒なことはしたくないのです」
なぜ企業は同和との関係を切れないのか、この一言がその理由を一番的確に言い表していると言えよう。
地方都市を車で巡っていると、ふと「くろんぼ」という店を見かけることがある。
ご承知の通り、日本においては「真っ黒になって働く」という比喩がある通り、黒いことは勤勉の証であり、美徳を表す言葉なのである。しかし、黒人の蔑称である英語の「ニガー」という言葉がしばしば「黒ん坊」と和訳されたためか、この言葉は弾圧された歴史がある。
しかし、無知と誤解と偏見に満ちた陰湿卑劣な弾圧にも関わらず、今でも地方には「くろんぼ」が生き続けている。そんな「くろんぼ」を探訪していこうというのが、このシリーズである。
さて、今回は弊舎編集部からもほど近い、神奈川県川崎市にある小田急読売ランド前駅へやってきた。
川崎市と言えば労働者の街というイメージが強いが、小田急線が走る北部の新百合ヶ丘、向ヶ丘遊園などセレブな住宅街である。
読売ランド前駅に降り立つと、共産党のビルが迎えてくれる。
そこからしばらく歩いたところに、「クロンボ」という理容店がある。
パンチパーマと厚い唇のイラストが、昭和的な雰囲気を醸し出している。
さて、なぜにクロンボなのか!?
実は、黒人とは全く関係なくて、先代の店主のあだ名が「クロンボ」だったためだという。
関係者は声をひそめてこう語る。
「でも、実は一度川崎市役所の人が来て、この屋号は問題があるのではないかと言われたことがありまして、由来を説明すると、それなら仕方ないなということになって、それきりです」
もしかすると、30年位前の話ですか? と問うと、
「そうです。昔ちびくろさんぼが黒人差別だって、問題になりましたね。それで、川崎市役所にも誰かからクレームがあったんでしょうね。市役所の人はえらい剣幕でした」
ということである。意外な過去…ではなくて、あまりにも予想通りの過去があったので、筆者は驚かされた。
しかし、今でもクロンボはここにある。この屋号をこれからも守って頂きたいと切に願う。
(この裁判の全記録はこちらで見ることができる)
2014年11月7日、筆者は国会議事堂前から隼町にある最高裁判所へと歩いていた。とある裁判の弁論に出席するためである。
裁判所の西門から入り、立っている守衛に「被上告人」であることを告げると、階段を登って中の職員の案内に従って進むように指示された。黒い背広姿の職員に案内され、赤い絨毯が敷かれた通路を進む。最高裁判所の中は厳かさを演出するためなのか、神殿のような雰囲気になっており、何かに例えるならRPG「ゼルダの伝説」に出てくるダンジョンのようである。
そして、椅子とテーブルが置いてある控え室に案内された。10分も待つと、再び職員が入ってきて、時間なので法廷に行くように言われた。再び赤い絨毯の上を歩き、立派な扉をくぐると、テレビなどでも時々目にする小法廷の中である。筆者は、被上告人席に座って、開廷を待った。
最高裁で被上告人席に座るということは、大抵の場合、それは敗訴を意味することになる。
しかし、「最高裁までやる!」と息まいたところで、実際に最高裁が上告を受理して弁論を開くことは非常に少ないので、本当の意味で最高裁に持ち込むことが出来たことは、感慨深いものがあった。
2007年8月16日、滋賀県愛知郡愛荘町で「愛荘町役場への東近江市民による電話での同和地区差別問い合わせ事件」が発生した。これは、隣の東近江市の男性が愛荘町役場に、愛荘町内の同和地区の場所を問い合わせた「事件」である。
この事実は愛荘町から部落解放同盟に報告され、2008年3月25日には愛荘町立ハーティーセンター秦荘大ホールで「愛荘町役場への東近江市民による電話での同和地区問い合わせ差別事件真相報告集会」が開かれた。その場で、滋賀県、愛荘町として同和地区問い合わせは差別」との見解が発表された。
そこで筆者に浮かんだのは、「電話で同和地区の場所を聞くことが差別なら、文書で“情報公開請求”すればどうなるだろうか」という疑問である。それから、筆者は行政に同和地区の場所を公開させるということに全力を注ぐことになった。
そのような中、部落解放同盟滋賀県連合会の支部員約1000人分の本名・住所・生年月日・電話番号が記載された名簿(言い換えれば部落民の名簿)がインターネットに流出し、その上解放同盟の大会に対して爆破予告が行われるという事件があった。
マスコミが全く報じなかった、これら一連の事件については、小舎では「部落ってどこ? 部落民って誰?」を発行しているので、ここではあえて詳しく説明しないことにする。
さて、筆者は2008年6月14日に滋賀県人権推進課に対して「同和地区の地名が分かる文書」「同和地区の区域が分かる地図」「同和地区に設置された地域総合センターが分かる文書」の情報公開請求をした。その結果は、「非公開」ということであった。
しかし、それであきらめるはずもなく、筆者は異議申し立てを行い、その結果対象の文書が「同和対策事業に関する地図のうち愛荘町山川原、川久保、長塚の事業に関するもの」「滋賀県同和対策新推進計画」「同和対策地域総合センター要覧」であることが明らかにされ、その上で再度情報公開請求を行った。
その結果は「部分公開」である。すなわち、同和地区名や場所が分かるような部分は黒塗りにされた状態で公開された。これが2009年5月8日のことである。もちろん、筆者はそれに対しても異議申し立てを行った。
特に興味深かったのは地域総合センター要覧だ。これは滋賀県内の同和地区に設置された「地域総合センター」という施設について説明した文書なのだが、それに書かれた施設名、施設所在地も黒塗りされた。
実はその後の2009年10月13日に、筆者は東近江市に対して地域総合センターの設置を定めた条例の全面公開を求めて裁判を起こした。東近江市が、地域総合センターの場所を問い合わせるような電話には応じないように、職員に対応マニュアルを配っていたことが明らかになったためである。
その結果2010年4月13日に大津地裁が東近江市に対して全面公開を命ずる判決を下した。東近江市は、控訴を断念し、判決を受け入れて文書を公開した。
なぜ、東近江市の条例が全面公開されることになったのかと言うと、主な理由は、東近江市情報公開条例に「法令若しくは条例(以下「法令等」という。)の規定により又は慣行として公にされ、又は公にすることが予定されている情報」は、個人に関する情報であっても公開しなければならないという規定があるためだ。東近江市は同和地区は「個人に関する情報」であると主張したが、なにせ文書は条例そのものなので、東近江市の主張は通らなかった。こうして、東近江市は体面を潰すことになった。
さて、東近江市が公開することになった条例には、地域総合センターの施設名、施設所在地が明示されていた。地域総合センター要覧に書かれた施設名、施設所在地も、条例に書かれた施設名、施設所在地も、情報としては同一のものである。とすると、少なくとも滋賀県は地域総合センター要覧に書かれた施設名、施設所在地を黒塗りにしてはいけないのではないかということは、当然浮かんでくる疑問である。
2010年4月19日、筆者の異議申し立ては棄却され、滋賀県が行った処分は変わらなかった。そこで、さらなる情報公開を求めて同年9月15日に大津地裁に滋賀県を提訴したわけである。
そこで、筆者と滋賀県との法廷バトルが展開されることになった。その過程は小舎刊「同和と在日」の①から⑦において「滋賀県同和行政バトル日記」として開設しているので、ここでは概要のみを簡単に書いておこう。
2012年4月12日に大津地裁の判決が出された。結果は原告の全面敗訴である。つまり、新たな情報が公開されることはなかった。
その判決理由では、「同和地区は個人に関する情報であるか」といった点には触れられず、代わりに同和地区は滋賀県の「事務または事業の適正な遂行に支障を及ぼすおそれがある」情報であるとされた。滋賀県の情報公開条例も東近江市の情報公開条例も大きな違いはなく、個人に関する情報であれば条例により公開されているということが問題になるだろう。そのために裁判所は「個人に関する情報」という争点を避けたのかと思われた。
しかし、地域総合センターの施設名、施設所在地が条例で公開されていたことについても説明されていて、それはいかにも珍妙な内容であった。「現実問題として条例の存在及び規定の内容につき認識を欠く住民が相当数存することは否定し難い」というのである。確かに事実かもしれないが、法令に従って判決を出さなければいけないはずの裁判所がそれを言ってしまっては、ミもフタもない。
筆者は大阪高裁に控訴し、特にさきほどの点について攻めた。一部の条例は自治体によりインターネットで公開されており、自治体によっては同和対策のための施設であることも明示されていると主張したのである。
その結果、大阪高裁では不思議な事が起こった。2012年7月13日に最初の口頭弁論が行われ、即座に結審し、9月28日に判決が言い渡される事になったのだが、9月25日になって裁判所から判決日が10月19日に変更されたとのファックスが届いた。
そうして下された大阪高裁の判決は、筆者の一部勝訴であった。ほとんどの情報は非公開であったが、少なくとも地域総合センターの施設名、施設所在地は公開しなければならないという判断だった。これは、「法令若しくは条例」により公にされていることは公開しなければならないという、情報公開条例の規定を重視したものである。しかし、同和地区が個人に関する情報なのかという判断はされておらず、また大津地裁の判決とほぼ同じ理由で残りの情報は非公開とされた。
この判決に対しては10月30日、双方が上告した。通常、上告した場合は半年程度で却下されてしまい、審理されない例が多い。実際に最高裁で弁論が開かれるのは数%である。
しかし、この件に関してはその数%に入ることになった。上告から約2年経過した2014年9月26日、最高裁は筆者の上告を却下し、滋賀県側の上告(正確には上告受理申立て)を受理する決定をした。
ただし、滋賀県側の上告を受理するにあたっては条件がついていた。同和地区が個人に関する情報なのかという点については争点から排除するというのである。これで最高裁の意図は分かった。同和地区が個人情報であるかということ、さらに条例に地域総合センターの施設名、施設所在地が記載されたことについて触れず、あくまで滋賀県の事務事業に支障が出るという理由で全て非公開にしてしまおうということなのである。
大阪高裁の判決は、既に明らかになっている情報を公開せよというものなので、それによって何か新たしい情報が明らかになるわけではない。実質的には筆者の全面敗訴である。そのため、最高裁が弁論を開いてさらに話題を増やすよりは、そのまま高裁の判決を維持して終わるのではないかと考えていた。
しかし、実際には滋賀県側の上告が受理されたことから、同和地区を特定する情報は一片足りとも公開させないという最高裁の強い意思が感じられる。司法においても、同和は鉄壁のタブーなのである。
実はこうなる予兆はあった。上告した翌年の、2013年2月7日、筆者は滋賀県が提出した上告理由書の内容を見るために、最高裁に行った。筆者が最高裁の建物の中に入ったのはこの時が初めてである。
最高裁にいきなり行っても入らせてくれないし、そうでなくとも、目的の書類を見ることができるのか分からなかったので、事前に最高裁に電話で問い合わせをした。その時、書記官から「今、記録を裁判官が持ち出しているところなので…」という趣旨のことを言われたのである。
最高裁では、いきなり記録を裁判官が見ることはなく、まず調査官が下調べをし、事件を受理するべきかどうかの意見を付けて概要を裁判官に報告する。実際に裁判官が内容を精査するのはその後だと言われている。ということは、記録を裁判官が持ち出しているというのは、調査官が重要な事件であると判断したことを示唆していた。
ただ、結果的には記録を閲覧できるということだったので、最高裁に行くことにした。
ちなみに、最高裁というところは意外にゆるい。東京地裁では持ち物をX線検査にかけられ、自身も金属探知機の中を通される。しかし、少なくとも筆者が最高裁に記録を見に行った時は、X線検査も金属探知機もなかった(ただ、後で判決を聞きに行った時は金属探知機があった)。守衛に名前と用件を告げて、運転免許証などの身分確認書類を見せて中に入るだけである。
入口近くにいた職員から、記録閲覧室への道順が案内されるので、後はそれに従って一人で閲覧室へ向かう。中は撮影禁止であるが、職員に付けて回られるわけではないので、撮影しようと思えばできないことはない。
記録閲覧室で記録を渡され、その場で見ることも出来るし、申請すればコピー機でコピーもできる。この辺りは最高裁も他の裁判所と変わらない。
さて、滋賀県が提出した上告理由書は全部で概要説明や表も含めて54ページに及ぶものだった。もちろん、内容は未だに同和問題にからむ差別事件が起こっているといった定番の主張である。しかし、手間がかかるだろうに、これほどの長文を作成することに滋賀県の意気込みを感じるのである。
そして、件の滋賀県側の上告を受理するとの決定が筆者のもとに届いた。2014年11月7日に弁論を開く旨の呼出状も同封されていた。
最高裁で弁論が行われることになった時点で、結論は決まっているので、あとの手続きは儀式のようなものである。筆者に対しては答弁書の提出が求められたので、言いたいことを書いておいた。筆者の主張は、要は「公開しようとしまいと、分かっている情報だし、最高裁がやろうとしているのは、さらに「これらの地域は差別される場所ですよ」という情報を付け加えるだけだ」ということである。
また、普通の裁判所での審理と違うのは、口頭で「弁論要旨」を読み上げることが出来る点である。これは、上告が受理されて弁論の日程が定められた直後に、最高裁の書記官から電話があり、5分程度で読み上げられるような物を作って答弁書と一緒に提出するように言われる。
さて、冒頭のとおり、筆者は弁論にのぞんだ。第2小法廷で裁判が開かれ、普通の裁判所での手続きと同じく、それぞれ書面の通りに陳述したことが確認された。そして、まず上告人である滋賀県の担当者が弁論要旨を読み上げた。
上告審では同和地区は個人に関する情報か、という争点は排除されているため、地域総合センターの施設名、施設所在地が「滋賀県版部落地名総鑑」として利用されるおそれがあり、事務事業に支障が生ずるということが強調された。
それに対して、被上告人である筆者は、これらの情報が事実上既に秘密ではないことに加えて、同和タブーを司法が認めることになり、同和地区を利用して違法行為でも隠すことができるようになる懸念を述べた。そして、これは裁判所に提出した書面には書かなかったが、解放同盟の関係者も傍聴に来ているだろうから、最後に「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と言っておいた。
さて、2014年12月5日、予想通り筆者の全面敗訴の判決が下された。
ただ、意外だったのは最高裁が判決理由のほとんどで述べていることは、地域総合センターの施設名、施設所在地が条例で公開されていることとどう整合性を取るのかということだった。その中でも主な主張は、「同和対策地域総合センター要覧」という文書名などがより同和対策目的の施設だということを強調しているので、条例の持つ意味合いとは同等に評価できないということだった。
さて、この最高裁に筆者が納得できるかというと、無論そうだとは思っていない。例えば最も顕著な例では、現在でもインターネットで守山市が公開している「守山市地域総合センターの設置等に関する条例」には「守山市同和対策集会所」という直球な名前の施設名と住所が掲載されており、少なくともこのような自治体の施設については、最高裁の理由説明は当てはまらないだろう。
そして、もう1つ不可解な点は、判決理由からすると、仮に同和地区は個人に関する情報だとしても非公開情報だとすることも出来たのに、なぜ争点から排除したのかということだ。
おそらく一番の理由は、大津地裁も大阪高裁もその点には触れなかったので、あえて上告審で触れる必要はないと、単にそれだけのことだと思う。言ってみれば、蛇足判決になってしまうからだ。
そもそも、大津地裁がその点に触れなかったのはなぜか。これは私の想像だが、大津地裁の最初の弁論で、当時の石原稚也裁判官が「同和地区は集団であるのに、これを個人に関する情報と言えるのか?」と疑問を呈しており、途中で長谷部幸弥裁判官に交代した時にその事が何らかの形で申し送りされていたのではないかと思う。
このような結果になってしまったが、一応は最高裁判例である。従って、一部の判例集には掲載された。
1つは行政関係書籍専門の出版社である「ぎょうせい」が発行する、地方公共団体関係の判例集として定評のある「月刊 判例地方自治」(2015年3月)。もう1つは税務・自治体情報サービス会社である「TKC」のネット判例集「新・判例解説Watch」(2015年4月10日)。そして、「一般財団法人行政管理研究センター」が発行する「季報 情報公開・個人情報保護」(2015年6月)である。
いずれも共通して指摘しているのは、なぜ「同和地区は個人に関する情報か」という争点を排除したのかということだ。
「判例地方自治」は、単に判断する必要がなかったから排除したのだろうとし、もし判断するのであれば賛否両論あるだろうとしている。
一方、「新・判例解説Watch」は、事務事業に支障が生ずるという理由は濫用されがちなので、個人情報という論点について優先的に判断すべきであったのではないかという趣旨の解説をしている。
そして、最も面白いのが「情報公開・個人情報保護」である。神奈川県情報公開・個人情報保護審議会の副会長でもある、駒澤大学法学部の塩入みほも准教授が解説しているのだが、解説の冒頭から、この事件の被上告人は本人や身内が原告となって同様の訴訟を起こしまくっており、ブログに同和地区関係の地図・資料や批判的記事を載せているので、やや特殊な事例だという趣旨のことが書かれている。そして、過去に同和関係文書の開示が争われた事例では、個人情報に該当するかどうかが争点にならなかったケースはないのに、この点を最高裁が争点から外したことには大いに疑問が残るとしている。
筆者の敗訴、滋賀県の勝訴は解放新聞でも報じられた。特に解放新聞滋賀版は「鳥取ループの宮部」と呼び捨てにして大阪高裁が「不当判決」を下した経過等を報じた。そして、「インターネット上に垂れ流されている「同和地区情報」を規制するためにはこの最高裁判決の持っている意味は非常に大きなものがある」としている。
しかし、最高裁判決はインターネット上の同和地区情報には実質的な影響はないと考えられる。なぜなら、「同和地区は個人に関する情報か」という争点が排除され、あくまで行政が同和地区情報を公開する是非だけに絞って判断されたため、それ以外のルートで同和地区情報が流通することの是非には何ら触れられていないからだ。
また、「同和地区施設の設置管理条例と、同和対策地域総合センター要覧は別のものだ」という論理であるため、わざわざそのような事を言うということは、同和地区施設の設置管理条例に関してはその公開を認めていると言える。
もう1つ重要なのは、裁判を通じて事実上地域総合センターの一覧が明らかになってしまっていることだ。形式的には秘密ということになったものの、実質的にはもはや秘密ではない。
筆者は大阪高裁が公開を命じた一方、最高裁が非公開とした文書を入手することが出来た。最後にその一部を掲載する。
なお、この裁判のために滋賀県は弁護士費用だけで173万1660円を費やした。
理由は不明だが、大阪高裁で筆者に対して一部勝訴の判決を出した八木良一裁判官は2013年11月12日に依願退職した。