静岡市の中心部近くに部落があったようだ。かつては白山町(はくさんちょう)という名前で、昭和初期の戸数は77だった。さらに昔は毛皮町、屠児(えとり)町とも呼ばれており、その名前からどのような職業の人々が住んでいたのか想像で […]
The post 学術・研究:部落探訪(243) 静岡県 静岡市 葵区 新通・駒形通 first appeared on 示現舎.
静岡市の中心部近くに部落があったようだ。かつては白山町(はくさんちょう)という名前で、昭和初期の戸数は77だった。さらに昔は毛皮町、屠児(えとり)町とも呼ばれており、その名前からどのような職業の人々が住んでいたのか想像で […]
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2018年から2019年にかけて、ハーバード大学法科大学院の J ・マーク・ラムザイヤー教授らにより、日本の部落問題について2つの衝撃的な論文が発表された。1つ目は部落民と犯罪・暴力団の関係を真正面から分析したものであり […]
The post J・マーク・ラムザイヤー教授 『日本の 被差別民政策と 組織犯罪:同和対策事業 終結の影響』① first appeared on 示現舎.
今回は草津駅前の指定同和地区を訪れた。戦前の戸数は51、かつては留守川村、新町と呼ばれていたようだ。現在の地名は西草津一丁目。略して西一というのが同和地区の呼称となっている。 1996年の同和対策地域総合センター要覧によ […]
The post 学術・研究:部落探訪(244) 滋賀県 草津市 西草津1丁目 first appeared on 示現舎.
Outcaste Politics and Organized Crime in Japan: The Effect of Terminating Ethnic Subsidies の日本語訳の続きを掲載する。前回はこち […]
The post J・マーク・ラムザイヤー教授 『日本の 被差別民政策と 組織犯罪:同和対策事業 終結の影響』② first appeared on 示現舎.
吹田市には戦前に「新町」という63戸の部落があったようだ。しかし、この部落は戦後の同和対策関係の文献には見当たらない。 しかし、 吹田市に「新町」という地名の場所が存在したことは確かなようである。それがアイキャッチ画像の […]
The post 学術・研究:部落探訪(245) 大阪府 吹田市 高浜町 first appeared on 示現舎.
Outcaste Politics and Organized Crime in Japan: The Effect of Terminating Ethnic Subsidies の日本語訳の続きを掲載する。前回はこち […]
The post J・マーク・ラムザイヤー教授 『日本の 被差別民政策と 組織犯罪:同和対策事業 終結の影響』③ first appeared on 示現舎.
今回の部落探訪は箕面市萱野である。最近はNHKのバリバラで紹介されたが、大阪の衛星都市の部落では珍しく「北芝」という旧村名が全面に出されることが多い。戦前の記録ではここは芝村の一部であり、戸数は54戸あったとされる。 「 […]
The post 学術・研究:部落探訪(246) 大阪府 箕面市 萱野1,2丁目“北芝” first appeared on 示現舎.
Outcaste Politics and Organized Crime in Japan: The Effect of Terminating Ethnic Subsidies の日本語訳の続きを掲載する。前回はこち […]
The post J・マーク・ラムザイヤー教授 『日本の 被差別民政策と 組織犯罪:同和対策事業 終結の影響』④ first appeared on 示現舎.
A.I.チートツールを使ってFPSで無双していたら、そのツールを買いたいという人が現れて… 好評だったら続くのニャ! 無料で読む
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ここはかつては「南新堂」と言い、戦前には268戸の部落だったとされている。さらに昔は「富田」と言い、応仁の乱の落人の7戸から始まったとされる。 この場所を探訪しようと思ったのは、地元研究者からリクエストがあったからだ。し […]
The post 学術・研究:部落探訪(247) 大阪府 富田林市 若松1丁目 first appeared on 示現舎.
9月に部落解放同盟全国連合会から再質問が送られてきたことをお伝えしたが、それに回答したら、今度は「公開質問状 3の1」なるものが送られてきた。3の1というのは、3番めの質問状で、とりあえず1つ目の質問に争点を絞ったものと […]
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大阪にも、それなりの数の未指定地区がある。今回はその1つである。事前に地図等で調べてみたところでは、確かに部落が存在していたとは考えられるものの、そこに何か痕跡があることはあまり期待できなさそうであった。 かつての部落名 […]
The post 学術・研究:部落探訪(248) 大阪府 守口市 金田町1丁目 first appeared on 示現舎.
今回は大東市にやってきた。ここには2つの部落があり、いずれも元は農村にあった。そして、その後都市化して今に至っている。 野崎は戦前の記録では138戸と既にそれなりの戸数であった。過去の航空写真では比較的家が密集しており、 […]
The post 学術・研究:部落探訪(249) 大阪府 大東市 野崎1丁目 first appeared on 示現舎.
前回は大東市野崎を訪れたが、当然北条も訪れねばなるまい。戦前の記録では333戸とされているが、1958年の記録には200戸とある。しかし、この地は一貫して都市化していることから、戸数が減ることはあり得ない。戦後間もない頃 […]
The post 学術・研究:部落探訪(250) 大阪府 大東市 北条3丁目“東之町” first appeared on 示現舎.
本サイトでも取り上げ、様々なメディアでも話題となった「破産者マップ」のことを覚えているだろうか。当初から様々な弁護士が過敏に反応し、運営者に対して法的措置を取るためにクラウドファンディングまで行われていたが、ようやく運営 […]
The post 「破産者マップ事件」裁判の全貌が 分かってきた first appeared on 示現舎.
筆者が長塚を訪れるのは初めてではなく、実は10年ほど前にも一度訪れている。その頃と何も変わっていないように見えた。その時の様子は『同和と在日②』に書いている。 昭和初期の戸数は50。生活程度は悪くなく、明治21年の調査記 […]
The post 学術・研究:部落探訪(251) 滋賀県 愛知郡 愛荘町 長塚 first appeared on 示現舎.
「夜も煌々と電燈の光が川久保村の白一ぱいに輝き、まるで不夜城のようでした」―いにしえの滋賀県の部落を記録した書、『滋賀の部落』にはそう記されている。1931年(昭和6年)当時の戸数は25戸134人、 1996年時点で72 […]
The post 学術・研究:部落探訪(252) 滋賀県 愛知郡 愛荘町 川久保 first appeared on 示現舎.
戦前の記録では、山川原の戸数は144、生活程度は中。あそこは部落ではないと言われるくらいに、住民は豊かだったと言われる。江戸時代は「川原村枝郷皮田」が正式な名称であり、野良田村という通称もあった。それが、明治4年の解放令 […]
The post 学術・研究:部落探訪(253) 滋賀県 愛知郡 愛荘町 山川原 first appeared on 示現舎.
笠置町は京都府内では井手町に次いで同和関係者の比率が高い自治体として知られる。その理由は、笠置町自体が全国でも最少クラスに人口が少ない町である上、有市という農村部にしては大規模な同和地区を抱えているためである。 戦前の記 […]
The post 学術・研究:部落探訪(254) 京都府 相楽郡 笠置町 有市(前編) first appeared on 示現舎.
日本最少人口の町笠置町で、4年ほど前に総務省の補助金の不正受給が発覚した。2020年2月13日にこの件に関連して3人が書類送検されたが、不正受給された補助金が返還されたとして不起訴となっている。 しかし、この事件の背景を […]
The post 【京都 笠置町】堕ちた「笠やん」 補助金不正支給事件の裏に 町に寄付された 土地の横取り計画 first appeared on 示現舎.