興福寺の前の三条通に「傳説三作石子詰之旧跡」という碑がある。
昔々、春日大社の鹿を殺した者は石子詰の刑に処するという掟があった。ある時、興福寺の三作という小僧が誤って鹿を殺してしまい、三作は石子詰により刑死したとの伝承である。
これが、その三作の墓と伝えられている。三作の話が史実かどうかは定かではないが、室町時代末期に鹿を殺した幼女が斬首されたという記録があり、その話がもとになったとも言われる。
石子詰の伝承の解説。一部消されているのは、何か人権上問題のある表現がされていたのだろうか。
さて、刑罰の執行は、賎民の役目であった。三作の石子詰の際に検分役だった者が住んでいたと伝わるのが、今回紹介する梅園町である。
あいにく、雪模様であったが、まず目についたのが、このスーパー。
そして、ファミリーマート。部落には工場や老人ホームもあって、完全に都市化している。
写真を撮り漏らしてしまったが、近くには「子ども発達センター」がある。実はこの建物は2000年までは「梅園隣保館」であり、その後「梅園人権文化センター」「あすか人権文化センター」と名前を変え、2011年に子ども発達センターに転用された。つまり、その頃から事実上同和地区としての扱いをされなくなったものと考えられる。
そこで、もうこの部落は融和ないし解放されたのではないかと思ったら、筆者にとってはどこかで見たような風景が現れた。一角だけ、このようなニコイチが並んでいる。
屋根が平らなので、初期のタイプの改良住宅である。一部の家は庭が荒れ果てていて、明らかに空き家になっている。
しかし、確かにここは梅園町だ。
自動車が路上駐車されていると思ったら…
タイヤが潰れていて、明らかに動かない車だ。つまり、不法投棄である。
このように放置された自動車が数台あった。
奈良市の中心部にあり、いくらでも土地の買い手はあると考えられ、実際に様々な商業施設がある中で、この一角だけは明らかに異世界である。市としては土地を転用するなり民間に払い下げたいのだが、居住者がいるので、とりあえず新規入居者の募集をやめて、既存の住民の退去を待っている状態であることが想像できる。
そして、似たような光景を、奈良の各所の部落で見ることになった。