5月22日の朝日新聞に「けがれる…獅子舞参加を許されず 「同じ氏子」と訴えて」という記事が掲載された。書いたのは小若理恵記者で、実は本サイトでも話題にした「隠れた部落差別、今も ふるさとの料理出したら離れた客」を書いたのと同じ記者である。
前回と同様5W1Hが判然としない記事であったが、示現舎では今回も具体的な場所を特定することができた。そして、場所や人を特定した上で検証すると、不可解な点が見えてくる。
記事中に出てくる「最近まで獅子舞への参加を許されなかった被差別部落」とは、鳥取市吉岡温泉町にある谷山部落のことである。そして、「地区の男性(61)」とは部落解放同盟鳥取県連合会谷山支部長のことである。
そのように特定される手がかりの1つは、記事中の獅子舞の写真である。これは見る人が見れば麒麟獅子だと分かり、鳥取県東部の特徴的な獅子舞の様式だ。さらに読み進めると、筆者には思い当たるものがあった。
今年の2月2日、名古屋で第31回人権啓発研究集会があった。その分科会で「春の神社祭り ~やっと実現した獅子舞~」という講演が行われた。講演の資料として、部落解放・人権研究所の『ヒューマンライツ』(2015年3月号)の記事が配布されており、その内容は朝日新聞の記事とよく一致する…どころか、まさにそのままである。
人権啓発研究集会で配布された資料は、さらに詳細なもので、配布された鳥取市人権情報センターの機関紙『架橋』8号(2003年2月)には谷山部落の詳細な歴史が掲載されている。それを見ると、朝日新聞の記事から受ける印象とはかなり事情が違ってくる。
何も知らない人が見れば、「同じ村の中でも部落民だけは仲間はずれにされていて、祭りから排除されてきた」と思ってしまうのではないだろうか。しかし、そもそも吉岡温泉町には複数の自治会(区)があり、それぞれ別の村と認識されてきた。
『架橋』には年表が掲載されており、部落である「谷山区」と、温泉街のある「吉岡区」との間の確執の歴史が見て取れる。
実は、吉岡温泉はオールロマンス事件に刺激されて、行政闘争として「山林解放闘争」が行われた地と筆者は認識していた。しかし、この歴史を見ると部落差別というよりは、山林の資源等にからむトラブルと確執が自治会の間で長らく続いてきたように見える。ちなみに、吉岡温泉では2015年に「元総区長」による3900万円の横領問題が起き、さらに昨年は吉岡区の副区長が1200万円を着服したとして実刑判決を受けている。
また、年表にある通り、谷山区が地元の神社の氏子に加わったのは1950年のことである。一方、麒麟獅子舞は300年以上の歴史があるので、谷山区は排除されたというより、もともと獅子舞をやらない村だったと考えたほうが正しいように見える。
筆者も経験があるが、獅子舞の準備はそれなりに大変なもので、振り付けやお囃子の練習をしなければいけない。今まで獅子舞をやらなかった村が、ただ何となく参加できるものではない。しかも、別々の自治会の住民が合同で練習して祭りを行うのだから、それなりの根回しが必要だ。田舎の自治会を知っている人には、実感があることだろう。
すると、谷山区が獅子舞から排除されたのではなく、1950年に谷山区が氏子に加わった後も獅子舞は吉岡区の行事であるとお互いに認識しており、あえて手間をかけて合同で獅子舞をやろうという話を誰もしなかっただけなのではと思ってしまう。
朝日新聞の「「ムラの人が獅子に触れるとけがれる」。この地区のことを「ムラ」と呼ぶ町にはそんな迷信があった。」ということについては、支部長による『ヒューマンライツ』の記事に、2点そのことに触れた箇所がある。
あれから何十年が経つのだろうか。私はPTA同推部活動を始め、いろいろなところで部落問題、部落差別について学習していく中、獅子のメンバーに村の人がいないのは、部落差別の一つであり、この現実をなんとかしたいと考えるようになった。温泉町の友人や頼りにしている人に、この気持ちを伝え、なんとかしてほしいと訴えたりもした。友人たちは誠実に受け止めて動いていたようだが、町の年寄りたちが今なお反対するらしいとか、簡単にはいきそうにないと苦労している様子が伝わってきた。私の村の人々が獅子に触ると穢れる、ということが理由らしい。何一つ変わっていかない現実を前に、いつしか自分の中にも諦めの気持ちが広がっていた。
ある日、村の代表者を訪ね、二人で話す時間を取ってほしいことを伝え、承諾を得た。お酒を飲みながら、ゆったりと話したいと思った。私はなんとしても、この人に分かったと言ってほしかった。彼の言い分は変わらなかったが、まるっきり否定的にも思えなかった。しかし甘くはなかった。彼は獅子連のリーダーをしていた若い頃のことを語った。当時村の区長をしていた私の祖父から「村へも獅子を廻してほしい」と頼まれ、獅子が汚れないよう庭先を掃除することを条件に了解したと話した。しかし全戸を回すのではなく、村の役員宅数カ所だったということだった。それでも村の人は喜んで獅子連をもてなしたそうだ。その中で、獅子連の者は村の人が作ったものに箸をつけず、ちくわや買ってきたものだけを食っていた。わしは、何でも食ったけど。そのような話が出てきた。
これを読むと、「穢れる」というのが迷信なのか、単純に「物理的に汚いから掃除しろ」ということなのか、判然としない。
後者のエピソードについては、地元の獅子舞事情を知らないと、誤解してしまうだろう。そもそも獅子舞はごく内輪の行事なので、部落に限らず他の村に廻すということが珍しいと考えられる。「全戸を回すのではなく、村の役員宅数カ所だった」とあるが、獅子舞を1回廻すには1戸あたり10分くらいかかるので、休憩時間も考えれば、簡単に「全戸回してくれ」と言えるものではない。同じ神社の氏子になったという事情があるにせよ、交代要員や時間と費用の問題も生じ、何の根回しもなしに出来ることではない。
むしろ、山林問題で確執があった村同士でこれだけの交流があったことの方が驚くべきことだろう。朝日新聞の記事には「当事者が隔たりを感じる場面もある」とあるが、たとえ部落問題がなくとも、過去にあれだけの確執があれば、隔たりを感じない方が不思議なことだろう。
しかし、いずれにしても朝日新聞の記事にはまだ不可解なことが多すぎる。「インターネット上での同和地区の地名リスト掲示」を問題にするが、具体的な場所を隠し、証言者が部落解放同盟の支部長である事実を隠して、一方的な「キャンペーン記事」を書くことが、果たして部落問題の解決につながるだろうか。この問題はさらに調査していこうと思う。