同じ神社の氏子ではないながら、他の4地区と一緒に伊和神社の祭りに参加するようになった宍粟市一宮町嶋田部落。2009年11月の「広報しそう」にその祭りの様子が掲載され、「幼いころから憧れてきた」と部落の出身者の喜びのコメントも載せられた。無論、市の広報に「同和」や「部落」といったことは一言も書かれていない。しかし、解放同盟から差別ではないかといった申し入れが市役所にあり、「誤解を招く表現」であるとして広報から消されてしまった。
未だに西日本に残る、行政による「同和タブー」の実態の1つだ。
「真宗大谷派同和関係寺院協議会」が発行した『同関協だより』(2013年5月31日)にフリーライター・平野次郎氏による「伊和神社に見る巧妙な差別」という記事が掲載された。その記事は、宍粟市の『広報しそう』(2009年11月号)にある「伊和の秋燃ゆ」という記事を問題にしている。その記事によれば「部落解放運動にかかわる人たち」が市長あてに申し入れ書を出し、その内容が「なぜ神事にA地区が入れないことまであえて記述するのか」「偏見をあおる内容となっている」地区出身者の実名で出ていることに対し「あまりにも無警戒で人権に対する配慮のかけらもない」ということなのだ。
さて、問題の『広報しそう』の内容がどのようなものかと言えば、次の通りである。
伊和の秋燃ゆ
『播磨一の宮』で知られる伊和神社の秋季大祭が10月16日、本宮を迎えた。練り子の半てんや屋台には「頑張れ!一宮」のステッカーがはられ、豪雨災害からの復興も祈願された。
復興願う豪快な練り
巨樹のすき間からこぼれる秋の日差しが境内に差し込む午後3時20分。揖保川河川敷の御旅所で神事を済ませた氏子屋台4台が、次々と伊和神社の境内に戻り、嶋田地区の屋台1台が加わった本宮の練り合わせが幕を開けた。
「エーンヤー、エーンヤー」太鼓の音とともに威勢のいい掛け声が響き、東市場地区の屋台が勇ましく境内の中央に練る。続いて安黒地区、伊和地区、須行名地区、嶋田地区の順で境内へ。豪快な差し上げや2台練り、3台練りを競い合うように繰り返し、絢爛豪華な屋台が上下に激しく揺れるたびに観衆からは大きな拍手が起こった。練り子に疲れが見える終盤、すべての屋台が一直線に揃う5台練りを繰り広げ、祭りはクライマックスを迎えた。
友人に誘われ嶋田地区の屋台で初めて練り子を務めた一宮町百千家満の薄木亮辰さん(りょうたつ・26)は「高校時代から憧れていた。想像以上の楽しさで興奮している。これからも続けたい」とすがすがしい笑顔を見せた。
最高齢の練り子となった田中譲さん(神戸市・57)は一宮町嶋田の出身。「10年前に嶋田地区の屋台が誕生したときはうれしかった。幼いころから憧れてきた練りに参加できて満足している。力の続く限り務めたい」と話していた。
沖縄から板前の修業に
伊和地区の練り子を務めた沖縄県出身の上原寛弥さん(ともや・23)は、勤務する市内の料亭の仲間に誘われたのがきっかけで今年が2年目となる。「根っからの祭り好き。9月からほぼ毎晩練習をしてきた。スカッとするのがいい」と話す。
『同関協だより』には「広報の記事はどこが問題なのか。事情を知らない人が読んだら、そのまま読み過ごしてしまうかもしれない。しかし、被差別部落であるA地区が氏子から排除された歴史があり、ようやく2000年から祭りに参加できるようになった事情を知っている人なら、この広報の記事が差別を容認し助長するものだと思うだろう。」とある。
しかし、ご覧の通り「読み過ごしてしまうかもしれない」どころか、100%「部落」とか「同和」と結びつける要素などとこにもない記事である。また、「氏子から排除された」ということも、はっきり言って何の根拠もない。事情を知って読めば、差別が解消された事例を示した記事であるように見える。
『同関協だより』には一宮町嶋田部落はもともとは伊和神社の氏子だったが、後に氏子から排除された「らしい」と主張しているが、あくまで「らしい」であって、それが部落差別であるという根拠は書かれておらず、伊和神社とは関係のない神戸市や生田神社や住吉神社の事例を出して、部落差別を結びつけている。
『同関協だより』は一貫して地名を伏せているが、宍粟市の広報には地名が書かれているので何の意味もない。そして、宍粟市の広報には「部落」とか「同和」といったことは一言も書かれていないので、「地区出身者の実名で出ている」ということは、むしろ『同関協だより』を見て初めて分かることだろう。
そもそも「部落解放運動にかかわる人たち」とはいったい何者なのか、なぜ伊和神社ではなく市役所に申し入れるのか、記事には不可解な点が多い。
伊和神社に、抗議がなかったのか聞いてみるとこんな返事が返ってきた。
「うちは抗議は受けていないし、抗議をされる謂れがないです。それは部落解放同盟が勝手に言っていることではないですか」
神社によれば、嶋田部落は昔から伊和神社とは別の七社神社の氏子で、祭礼の日が一緒だから祭り一緒にやろうということになっただけだという。七社神社の歴史的な由来はよく分かっていなくて、嶋田部落を排除したというのも何もはっきりしたことはないという。
「仮に七社神社が伊和神社から別れたとしても、それぞれが祭りをして、円満にやってきたことです。伊和神社の氏子にしてくれという話もありません。(議員に)立候補した人が、「ワシの投票してくれたら伊和神社の氏子にしてやろう」みたいな話はありましたけどね」
嶋田部落は伊和神社ではなく七社神社の氏子なのだから、伊和神社の神事に参加しないのは当然のことで、そのことで嶋田部落の住人から何か言われたことはなくよその人間が勝手に騒いでいるだけのことではないかということなのだ。
確かに、嶋田部落の住人が不満を持っているなら市役所の広報にあのようなコメントを載せることはないだろう。
また、現地の地図を見ると、嶋田部落は他の4地区と比較すると伊和神社から最も離れた位置にあり、地理的に伊和神社の氏子でなかったとしても不自然な点はない。
宍粟市のウェブサイトでは『広報しそう』のバックナンバーが掲載されており、少なくとも2014年7月の時点では当該記事を見ることができたのだが、現在ではごっそり問題のページが抜けている。宍粟市広報課に電話で聞いてみると、次のような返事だった。
「誤解を招く表現があったので削除したと聞いています」
部落問題と関係あるのかと聞いて見たが、「誤解を招く表現があった」と繰り返されるだけで、そそくさと電話を切られてしまった。
先日の記事の、鳥取市吉岡温泉町谷山の事例と比べると興味深いだろう。全国各地の村々の関係は様々であると思うが、そこに「部落」が関わるだけで、差別と結びつけて何かしらイチャモンを付けたくなる人がいるのではないか。そう考えざるを得ない。