未だに切れない同和と企業の関係。なにが「えせ同和」か、そうでないのか、切り分けることは不可能だ。関係者の証言と独自入手したデータから、5回にわたって検証する。
シリーズ一覧
第1回 部落地名総鑑事件から始まった
第2回 同企連の会費と講演料
第3回 NTTと同和
NTTグループと同和
2011年、NTTドコモの子会社で働いている人物が、このような話をしていた。
「ドコモにて同和問題の講演をしたときの録画映像を研修で見ました。講演の講師は川口泰司さんという方でした。関西の人で部落出身の方ですが、話がとても上手な方で、笑いあり涙ありの講演でした。部落問題について、こういう伝え方もあるんだなと思いました。おそらく今回の録画映像はドコモグループで派遣社員含め全社員対象で観られるのだと思います」
NTTはドコモだけではなく、NTTコミュニケーションズ、NTTコムウェア、NTTデータ、NTT都市開発、NTTファシリティーズといったグループ企業が東京人企連の会員に名を連ねている。
ご承知の通り、NTTは1985年にそれまで特殊法人であった電電公社が民営化されたことにより発足した企業グループである。NTTと同和との付き合いは電電公社時代から始まっていた。
1963年から2005年までNTTで働いていた、栃尾淳氏から当時の話を聞くことができた。
「電電公社というのは半公務員の会社ですから、同和研修は同和事業を行うという国の方針があって、経営側から始まったものです。また、電電公社も過去に解放同盟から糾弾されたことがありました」
栃尾氏によれば、入社した当時は同和研修といったものはなかったという。同和研修が始められたのは、1970年代の終わりごろ、つまり部落地名総鑑事件の頃である。しかし、電電公社は部落地名総鑑を買っていない。一方、採用選考で身元調査をしたとして部落解放同盟から糾弾されたことがある。また、社員寮で差別落書きが見つかって糾弾されたこともあったという。
栃尾氏は最初の頃は同和研修に特に疑問を持たなかったが、ある事件をきっかけに、同和研修のあり方に反発を持つようになった。それが前出の八鹿高校事件である。
「私の母校は八鹿高校なんですよ。恩師が何人も暴力を受けたのに、警察も行政もまともに対処しないし、解放同盟は暴力はなかったと言っていました。それで、八鹿高校のOBで被害者を支援する会を作りました。また、組合の分会として八鹿まで調査に行きました。もちろん、暴力があったのは間違いのない事実ですよ」
ここで言う組合とは「通信産業労働組合」のことである。当時の電電公社では総評系の「全国電気通信労働組合」(全電通)が主要な組合であり、98%の従業員はこちらに加入していた。一方、栃尾氏が加入していた通信産業労組は共産党系の弱小組合である。しかし、栃尾氏は別に共産党員という訳ではなく、通信産業労組に入るまでには複雑な経緯があった。
「私は最初は全電通の組合員でした。1966年に国鉄で労働争議があって、国労(国鉄労働組合)の応援に行ったんです。しかし、大阪環状線の電車を停めたのと、警官を蹴ったということで、威力業務妨害罪と傷害罪で私を含め5~6人が逮捕されました」
そのため、裁判が終わるまで会社からは停職ということになり、その代わり書記として組合で専従することになった。そして13年後、裁判の結果執行猶予付きではあったが有罪が確定し、懲戒免職となり、それに伴って組合からも離脱した。
しかし、直後に再雇用され、その時に半ば御用組合になっていた全電通を嫌って通信産業労組の方を選んだということなのだ。
部落問題に関して言えば、全電通は社会党系、それゆえ同じく社会党系である解放同盟に近い立場であり、全電通が組織として解放同盟に逆らうような活動はできなかった。
「経営、組合、部落問題、これはそれぞれ別のものです。同和研修は経営側がやっていることですから、組合は関係ありません。そうなのだから、同和研修の内容は中立であるべきなのに、解放同盟の方針でやるから疑問を持ったのです」
栃尾氏をはじめとした会社の同和研修のやり方に反発した従業員が、1986年に電通部落問題研究会(部落研)を設立した。もちろん、どちらかと言えば反解放同盟の研究会である。解放同盟の方針に反発した、主に共産党系の元解放同盟員が結成した全国部落解放運動連合会(全解連、現在の全国地域人権運動総連合(人権連))から講師を読んで、数十人規模で独自の研修を行っていたという。
しかし、この活動は長くは続かなかった。直後に部落研の会長が死去してしまい、栃尾氏も精神的に沈んだ状態になってしまったことから、続けられなかったという。
もちろん、だからと言って、その後も栃尾氏が会社の同和研修に出ることはなかった。というより、通信産業労組の従業員にはそもそも研修の案内が来なかった。
「会社の同和研修への参加は、建前としては自由です。出なかったからと言ってペナルティはないと会社は言いますが、出ないと評定に影響が出るのではないかと言われていました。もちろん、そんなことが明文化されているわけではないですが、ただ“空気”としてそのようなものがあるということです」
確かに、サラリーマンとして働いた経験のある読者であれば、何となく理解できるのではないだろうか。
「全電通の組合員は、組合からも同和研修に出るように言われていました。研修に参加しないのは差別だと、そういうことを口頭で言われるのです」
栃尾氏は、もはや部落問題には関わっていない。筆者が冒頭で述べたNTTドコモ子会社の同和研修のことを話すと、「まだやっているのか」と驚いた。
金を払えば糾弾されない?
企業と同企連の関係はえせ同和と紙一重である。総会屋のような会社ゴロは厳しい取り締まりによりほぼ一掃されたが、同和と企業の関係は終わる気配がない。部落地名総鑑事件から40年が経過した今も、なぜ企業は同和との関係を断つことができないのか。
この当たりの事情をよく知るという、関西のとある人権団体関係者から話を聞くことができた。
「それは、解放同盟と行政が一体だからですよ。解放同盟に逆らうと、許認可権を持つ行政から企業が嫌がらせをされるからです」
しかし、国の同和事業が終わり、地方においても同和事業は縮小される一方で、解放同盟と行政が離れつつある今、解放同盟の行政に対する影響力も衰えつつある。そのためか、解放同盟と企業の間の関係も「逆転」しつつあるという。
「企業は不祥事つぶしのために解放同盟を利用しています。解放同盟も企業に離れられると困るから、差別事件があったとしても、同企連の企業のことは解放新聞に書かない」
また、同企連に入っていくら学習やら啓発をやったからと言って従業員の意識が全て変わるわけでもないし、大きな企業ならそれなりに「差別事件」というのはあるものだという。そして、いざというときに同企連会員かどうかで差が出てしまうものなのだ。
解放同盟滋賀県連の事務局に出入りしていたという関係者に聞いてみると、解放新聞が同企連会員企業の不祥事を書かないというのは当然のことだという。
「同企連に入っていれば、差別事件があっても解放同盟に載らないですよ。これは、他の府県でも通用します。例えば大阪の同企連に入っていれば、解放新聞大阪版はもちろん滋賀版にも載りません」
しかし、同企連に入っていれば、愛知人企連の例のように、会費以外にも様々な支出が必要だ。例えば、滋賀ではこんなことがあるという。
「同企連の会合の度に、滋賀県人権センターが1冊2000円の冊子を企業に売っています。年に10冊くらい同じ冊子を買う人もいますね」
また、同企連に入らなくても、解放同盟に差別事件のことを書かせないようにし、なおかつ糾弾をやめさせる方法があるというのだ。
「解放新聞滋賀版には年初と夏の2回、企業の広告がまとめて載ります。ほとんどは同企連会員企業の広告で、毎回同じような企業が広告を載せています。だけど、時々単独で企業の広告が載ることがあります。あれは、糾弾されかけた企業で、解放同盟と何かしらの裏取引があったと見るべきです」
また、同企連に入っていないにも関わらず、ある年から突然広告を出すようになった企業も、糾弾されかけた企業だろうということだ。
具体的には、糾弾されそうになった企業が、菓子折りでも持って解放同盟に行き、広告の掲載を申し込む。ついでに、広告料の他にいくぶんか上乗せした金額を支払う。そうすると、「差別事件」のことは解放新聞には載らないし、糾弾されることもないのだという。
「例えば役所に同和地区の場所を問い合わせたとかで問題になりかけた場合に、解放同盟にツテのある人に相談して、そういう方法を紹介してもらってるんじゃないかな」
過去の解放新聞滋賀版を調べると、確かに年に2回、それぞれ「新年のあいさつ」と「暑中見舞い」という名目で、まとめて企業の広告が乗っている。しかし、2012年にはやや時期がずれて「残暑見舞い」として、広告を掲載している会社が1社だけあった。広告主は、東近江市にある小林事務機という会社である。
どうして解放新聞に広告を掲載したのか、小林事務機に聞いてみると「担当者に確認しましたが、その件についてはお答えはいたしかねます」とのことだった。
ちなみに広告料は、2008年の時点では1段7行で5000円である。一面にこの広告が54個掲載可能で、広告がまとめて掲載されるときは少なくとも3面くらいの紙面が広告に割かれる。それが年に2回である。単純計算すると、解放新聞滋賀版の広告収入は少なくとも年あたり162万円あるというわけだ。
仮に不祥事つぶしで儲けようという意図が解放同盟側になかったとしても、解放新聞に金を払って広告を掲載した企業を叩きづらいというのは人情というものだろう。人情と言えば、前出の人権団体関係者は差別事件があった時に企業名が解放新聞に載るかどうかは他の要因も関係するという。
「差別事件が解放新聞に載る場合も、社名が伏せられている場合とそうでない場合があります。社名が伏せられるのは小さな企業。会社が潰れてしまっては元も子もないし、その会社の従業員の生活もあるからね」