昨年8月の貧困女子高生“うららちゃん”ことを覚えているだろうか。
2016年8月18日のNHKニュース7で放送された「貧困女子高生」の話題。アニメの専門学校に進学したい、PCを買えないのでキーボードだけを買ってもらったと訴えるその放送内容自体も突っ込みどころが多いものだった。さらに、放送直後に出演者の女子高生“うららちゃん”の周辺人物のSNS等が発掘され、実はアニメ等のオタク趣味には金をつぎ込んでいるのではないか、PCがないのにiPhoneは持っているのではないかと次々と疑惑が生まれ、「貧困というより金の使い方がおかしいだけなのではないか」「そもそもNHKの放送が捏造ではないか」という批判が噴出し“うららちゃん”を揶揄するコラ画像が作られるなど、ネットでは炎上状態になった。
なぜ、「貧困女子高生」がゴールデンタイムのニュース番組に出ることになったのか。この背景を負っていくと、「貧困」にからむメディアと行政の認識の“お粗末さ”が明らかになってきた。
きっかけは、2016年から神奈川県に設置された「かながわ子どもの貧困対策会議」である。これは、「子どもの貧困対策」を行うという安倍政権の意向を受けて、設置されたものである。つまり、「かながわ子どもの貧困対策会議」は神奈川県特有のものではなくて、国策のために全国の地方自治体で行われている政策の1つである。
それでも、各自治体はそれぞれの特色を出そうとし、神奈川県では会議の中に「子ども部会」を設け、高校生と大学生を委員として参加させた。件の“うららちゃん”はその委員の1人だったわけである。
実は、この会議については筆者は設置される前から注目しており、委員を一般公募していたので応募してみた。
神奈川県は2015年に「神奈川県子どもの貧困対策推進計画」という文書を出しているのだが、率直なところ筆者がそれを読んだところで、具体的に何を問題とし、何を目標としているのか分からなかった。そもそも「子どもの貧困」というのが何を意味するのかが分からない。
“うららちゃん”の一件で、彼女は多くの人が抱く「貧困」のイメージとはかけ離れているのではないかという批判が噴出した。それに対して、メディアや行政は「相対的貧困」という言葉を繰り返して“火消し”をしようとした。つまり、多くの人がイメージする「貧困」とは「絶対的貧困」だが、問題としているのはそうではなく、絶対的貧困と平均的な生活レベルの中間以下の「相対的貧困」だということなのだ。
確かに「神奈川県子どもの貧困対策推進計画」にも「相対的貧困」という用語が出てきて、その定義を「普通の生活水準の半分以下の所得水準での生活を余儀なくされている」ことだとしている。
しかし、筆者が感じたのは、「所得格差は世帯全体の問題であって、わざわざ“子どもの貧困”と言う意味があるのか」「子供の生活レベルは親など周辺環境にもよるので、単純に所得で判断できるものではないのではないのか」ということである。
本サイトで以前取り上げた福祉教育の名著、「きょうも机にあの子がいない」にはまさにそのことが書かれている。親が教育の価値を理解していなければ、いくら金があっても一時の享楽のために消えてしまう。そのような家庭環境にある子供は、所得が人並みにあっても豊かであるとは言えないはずだ。
「神奈川県子どもの貧困対策推進計画」にもそれを匂わせる記述がある。例えば2013年度の神奈川県内の中学校の長期欠席児童は8,775人で、そのうち経済的理由によるものは6人だけで、圧倒的に別の理由である。ただ、大学進学率については全体が61%なのに対し、生活保護世帯は44.9%、児童養護施設では21.6%と経済的理由が重荷になっていることを示唆するデータがある。しかし、生活保護世帯というのは言わば「絶対的貧困」であって「相対的貧困」についてのデータはない。
そこで、公募委員の応募にあたって、本当にお金の問題が子供の教育の障害になっているのか現状のデータでは分からないので、もっと個別の例も含めて調べるべきではないかということを小論文に書いたのだが、落選であった。
どのような選考基準になっているのか興味があったので、神奈川県に「個人情報開示請求」してみた。あまり知られてはいないが、最近は公立高校の試験結果も個人情報開示請求により開示してもらえる自治体が多い。皆様もやってみるとよいだろう。
そして、出てきたのが次の文書である。
神奈川県と言えば、本来は情報公開の先駆けとなった自治体であるはずが、このように同和絡みの行政文書のごとく黒塗りだらけであった。他の応募者の情報が黒塗りなのは分かるにしても、本人についてもほとんど黒塗りなのは「審査基準を公表することにより、次回公募の際の公平な運営に支障をきたすため」だという。
地方議会の議員は「選挙」というこの上なく公明正大な方法で選ばれ、行政職員にしても登用試験の採点基準が秘密ということはないだろう。その一方で、地方自治体で乱立され、政策を審議する審議会の委員がこのような不透明な方法で選ばれていることには、もっと問題意識を持つべきかもしれない。
さて、前述のとおり会議には「子ども部会」が設置された。子供の問題なのだから、「当事者」である子供に議論させようという考えなのだろう。
しかし、これはあまりにも安直な考えだ。どのような事柄でも「当事者」だから問題を一番理解しているとは限らない。殊に、貧困問題となれば財布を握っているのは親なのだから、「なぜ親が出てこないんだ?」という疑問を持って当然のはずなのだが、そのまま会議は進められた。
そして、結果は皆様の知るとおりである。“うららちゃん”炎上は起こるべくして起こったことかも知れない。
(次回に続く)