未だに切れない同和と企業の関係。なにが「えせ同和」か、そうでないのか、切り分けることは不可能だ。関係者の証言と独自入手したデータから、5回にわたって検証する。
シリーズ一覧
第1回 部落地名総鑑事件から始まった
第2回 同企連の会費と講演料
第3回 NTTと同和
第4回 同和と企業は持ちつ持たれつ?
最終回 同和に対抗できる企業とは?
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同和に対抗できる企業とは?
さて、糾弾の嵐が吹き荒れる不動産業界であるが、それでもあえて同和地区の土地に目をつけている企業もある。最近、大阪の部落解放運動関係者から注目されているのが、大阪府守口市にある「富士工務店」である。なぜ注目されるのかというと、この会社が売り出している物件が、ことごとく同和地区かその近辺にあるからだ。例えば最近では、大阪市の芦原橋駅近辺や、摂津市鳥飼野々、茨木市沢良宜といった場所の建売住宅が売りだされている。大阪の運動団体関係者はこう語る。
「あの会社のことは、解放同盟の中でもすごく話題になってますよ。大阪では同和行政をどんどん廃止になってますから、いらなくなって行政が売りに出した土地を狙って買っているのではないですか」
しかし、実際に売り出されている物件を見ると、元は民間の工場だった場所もあり、必ずしも行政が売りだした土地ではない。とすると、何か別の信念のようなものがありそうだ。
筆者がこの件について富士工務店に尋ねたところ、即座に取材拒否されてしまった。
解放同盟に糾弾されかけた、あるいは糾弾されたにも関わらず、その手から逃れた企業もある。もちろん、前述のような金で解決という方法もあるが、他にも様々な方法があるようだ。
例えば、大阪市の中堅工務店の「ヤマヒサ」は、2011年に滋賀県草津市に同和地区の場所を問い合わせる「差別事件」を起こした(小舎刊「同和と在日⑤」参照)。解放同盟はこの事実を把握し、糾弾しようとしたが、結局糾弾を断念せざるを得なかった。その理由について、解放同盟滋賀県連は、ヤマヒサが対応を全日本同和会に一任すると言ってきたためとしている。
全日本同和会によればヤマヒサは以前から全日本同和会の法人会員であり、この問題はヤマヒサと草津市と全日本同和会の間の問題であって、解放同盟の動きは知らなかったという。しかし、結果的には全日本同和会の存在によってヤマヒサは解放同盟による糾弾を免れたことになる。
一方、解放同盟に糾弾されながらも孤軍奮闘したのが滋賀県湖南市の「アートホームサービス」である。同社は2010年に社員が滋賀県野洲市内の物件について「同和地区だから家賃が安い」と従業員が発言するという「差別事件」を起こした。また、そもそも同和地区だから家賃を安くしたとアートホームサービスに説明していたのは、この物件の管理会社であるパナホーム滋賀の従業員である。
アートホームサービスは最初はおとなしく糾弾に応じていたものの、解放同盟滋賀県連側の事実確認があまりにもズサンだったので、それについて苦情を言ってかなり強気に出た。その途端に、解放同盟に態度が変わって、まるで解放同盟に対してアートホームサービスが「お客様」のような扱いだったという。結局この件については、アートホームサービスが型どおりの見解書を書いて終わりとなった。
この件は小舎刊「同和と在日⑦」で詳しく採り上げたが、実は後日談がある。
2013年、ある外国人がアートホームサービスに物件を探しに来たものの、家主の都合で外国人入居不可となっていたので断った。すると、滋賀県人権センターの職員とその外国人が一緒にやって来たという。
「うちはその外国人が、家賃300万円を滞納して別の物件を追い出されたことを調べて知っていました。そのことを言うと、人権センターの職員もしっかりとそのことを知っていて「あなたもプロですなあ」みたいなことを言われましたよ。それで、「うちは精神病者でも同和でもこばんだりはしない、どういう商売するからはうちの自由だから、あんたらにとやかく言われたくない」と言って追い返しました」(アートホームサービス関係者)
それ以来、音沙汰はなかったそうだ。
また、同和対策事業の全盛期の頃なので、かなり昔のことになってしまうが、日本中央競馬会(JRA)の元関係者がこんな話をしてくれた。
「JRAは同和との接点がかなりありました。例えば死んだ競走馬の処理をする業者というのは、やはり被差別部落の方が多かったです。それから、競馬場建設のために被差別部落の用地を買収することもありました。また、競走馬の世話をする従業員にも同和地区の方が多くおられましたね。当時は身元調査が当たり前の時代でしたが、こういう事をするのはよくないということで、JRAは比較的早く止めていたのです」
実際、九州でも最大級の部落である北方地区の傍らにある小倉競馬場は、昭和5年に北方地区の小作人により耕されていた農地を潰して整備されたものである。それゆえ、小倉競馬場の従業員は北方地区の住民が多い。それだけでなく、滋賀県栗東市にあるJRAのトレーニングセンターでも、このような歴史的な経緯から競走馬の扱いに長けた北方出身者が数多く働いているという。
そのためか、解放同盟の力が強かった時代には、労働争議に解放同盟の関係者が出てくることがあったという。
「無茶な要求をされることもありましたが、JRAは大きな組織ですから、ちょっとした事でも全国に影響が出てしまうので、簡単に要求を飲むことはできませんでした。そんな時、私は当時の解放同盟中央本部の幹部と幼なじみだったので、その人の名前を出したら、途端に相手の態度ががらりと変わりましたね。あれは非常に有効でした。しかし、そのことで私自身も同和関係者ではないかと疑われたのですが、さすがにそれは否定しましたよ」
そういうわけで、解放同盟関係者との付き合いもあったのだが、同和対策全盛期らしいこんなエピソードもあったという。
「ある時、付き合いのあった同和の人間の家に招かれて、一緒に酒を飲んでいたのです。その時、自分はこの家の他にもう1軒家を持っていて、それは同和住宅で今は他人に貸していると自慢するんですよ。つまり、税金で建てた同和対策の公営住宅を必要もないのに借りて、また貸しして儲けているわけですな。それで私が、「そんなことをしているモンの酒は飲めん」と言って席を立ったら、驚かれましたよ。逆にそのことがきっかけで、彼らから一目置かれるようになりました」
ちなみに、東京で勤務していた頃、部落解放同盟の創立者である故・松本治一郎参議院議員から、JRAへの裏口採用を依頼されたこともあったが、やはり断ったそうだ。
同和に対抗するためには、彼らを知ることと、少しばかりの度胸が必要と言える。
また、体面を気にする企業というのは、同和の格好のターゲットと言える。部落地名総鑑事件により同企連を組織させられた企業というのは、体面を気にして差別を行った結果、体面を気にして同和との関係を断てなくなってしまった。
同和というものが、企業の評価に与える影響は、良い意味でも悪い意味でもごく小さなものでしかない。同和に振り回されないためには、そのことをしっかりと認識しておくべきだろう。
在日と企業
人権問題と企業について、まことしやかに語られるのが同和枠の存在である。つまり、企業が同和地区住民を優先的に雇用するための枠があるのではないということだ。結論から言ってしまえば、これは「まことしやか」どころか事実そのものである。そして、そのことは何らはばかれることなく堂々と行われた。
大阪市に「一般社団法人おおさか人材雇用開発人権センター」(C-STEP)という団体がある。この団体は1981年に設立され、もとは「社団法人同和地区人材雇用開発センター」という名前であった。センターの設立趣意には「従来の雇用慣行にとらわれず、その実態を考慮した雇用の場の提供」とあり、これは端的に言えば「同和枠」を意味する。
例えば「ザ・企業訪問」によれば、1990年に福岡シティ銀行の大阪支店でセンターを通じて同和地区出身者を採用していたとある。センターには同企連会員企業はもちろん、他にも多くの企業が加入しており、同時期には940社が加入していたという。
同じ頃、企業と在日コリアンの間にも同様のことが起こった。同和枠だけではなく「在日枠」も行われるようになったのである。
「ザ・企業訪問」によれば、安田生命保険では1983年と1985年に在日コリアンに対する身元調査を行って採用から排除していたことが発覚。それにより糾弾を受け、1988年以降、逆に大学をまわって在日コリアン学生に応募依頼を行うようになったとしている。
在日コリアンの就職については、有名な事件がある。それが1974年6月19日に横浜地裁で判決が出された「日立就職差別事件」である。この事件は日立ソフトウェアが在日コリアン2世の朴鐘碩氏が本名と本籍と職歴を偽って応募していたとして、一旦決まっていた採用を取り消して解雇したことについて、朴氏が慰謝料の支払いと解雇の無効確認を求めて日立ソフトウェアを提訴したものである。
結果として朴氏は勝訴した。それだけでなく、横浜地裁の判決文は「在日朝鮮人が置かれていた状況の歴史的社会的背景、特に、我が国の大企業が特殊の例外を除き、在日朝鮮人を朝鮮人であるというだけの理由で、これが採用を拒みつづけているという現実」にまで踏み込んでいた。三菱樹脂事件とは正反対の結果だが、三菱樹脂事件では一審、二審で敗訴した三菱樹脂が最高裁まで上告した一方、日立ソフトウェアは控訴せずに地裁判決を受け入れたということが大きいだろう。
この裁判を支援したのが、現在の「在日コリアン人権協会」(八尾市)であるという。
実はこの在日コリアン人権協会は、現在は部落解放同盟と対立しており、2005年には大手ゼネコンの大成建設と、前出の解放同盟大阪府連委員長の北口末広氏を訴えた。その時の裁判の資料が協会のウェブサイトで公開されている。裁判では、お互いがお互いを「エセ同和」、「エセ人権」と非難する有様で、まさに泥沼である。
事のあらましはこうだ。協会が大成建設と人権研修を行う契約をしたが、北口氏の妨害により中止となったため、協会が大成建設に講演料の10万円を、北口氏に対して名誉棄損の慰謝料10万円を支払うことを求めたものである。
裁判資料には、企業から協会への金の流れが赤裸々に書かれている。例えば、大手旅行代理店の近畿日本ツーリストが協会関連団体に機関紙購入代金として1000万円近くを支払った。また、天理教が1993年の在日コリアン学生に対する暴行事件が契機として様々な名目で協会に2000万円を支払った。さらに、キリンビールはコンサルタント料として毎月50万円を3年間、計1800万円を協会に支払った。このことから、北口氏は協会をエセ同和、エセ人権であると非難したわけである。
キリンビールの件は、前出の北口氏の著書「必携エセ同和行為にどう対応するか」に、固有名詞こそ出さないものの、「エセ同和」の一例として書かれている。
確かに、いずれの企業から支払われた金額は相当な額である。これは果たして妥当なのか? 在日コリアン人権協会副会長の徐正禹氏に聞いてみた。
「例えばキリンビールの1800万円については、年に100回くらい研修会をやって、もしキリンで人員をつければ年に1000万円の経費では済まないので、(協会に)委託したほうが安いということになった」
また、大成建設の人権研修の費用10万円というのは、相場通りであるという。
「北口氏の講演料は1回10万円から30万円。それを年に100回くらいやっているんですよ。それに、解放同盟は企業から直接金は受け取らなくても、ヒューライツだとか人権協会とか関係団体から間接的に金を受け取っている」
なるほど、北口氏の講演料については前出の愛知人企連会員企業の内部資料と一致する額だ。
ヒューライツとは「一般財団法人アジア・太平洋人権情報センター」のことである。この団体は言わば解放同盟系の在日コリアン団体であり、在日コリアン人権協会とは対立関係にあると言える。また、ここで言う人権協会とは一般社団法人八尾市人権協会であり、その理事長は北口氏と同じく近畿大学教授である奥田均氏だ。
「経費を受け取る事自体は否定していません。しかし、金を払うから差別事件を握りつぶすようなことはおかしい」
徐氏が北口氏をエセ同和、エセ人権と非難する理由は、金額の問題ではなく、金を払った企業の差別事件を握りつぶすからだという。
例えば1999年に近鉄百貨店で、詐欺常習者として韓国名を持つ人物の顔写真が各部署にファックスされたことがあり、協会はそれを糾弾したが、北口氏の圧力で百貨店との関係を切られたという。また、1997年には神戸連続児童殺傷事件の犯人は在日コリアンであるというような放送をTBSがしたことについて協会が詰め寄ったところ、「北口氏と相談しているから」と言ってTBSは協会を相手にしなかった。
関係者は北口氏の経歴についても疑問を呈した。特に、1993年に近畿大学助教授になっている点だ。
「近畿大学は部落地名総鑑事件で解放同盟大阪府連に糾弾されているのに、そこのポストに収まっている。もちろん、どのような経緯で近畿大学に入れたのかは分からないけど、おかしいでしょ。例えば糾弾した側が糾弾された企業に入って給料をもらったら、周囲はどのように見ますか」
さて、裁判の結果、大阪地裁では協会が全面敗訴したものの、大阪高裁では大成建設が10万円を協会に支払うことが命じられた。大成建設は確かに在日コリアン人権協会に人権研修の講演を委託する契約をしていたと認められたからだ。
一方、北口氏の言動には公益性があり、エセ同和、エセ人権であるとの非難も厳しい言い方ではあるが、運動のあり方に対する批判としては不当なものではないので、名誉棄損ではないとして、北口氏の勝訴となった。
結局は大成建設のひとり負けとなった形だ。
同和と宗教
さて、うって変わって次は同和と宗教界の関係の話である。同和と宗教の関係は、企業との関係よりもさらに根が深いと言えるかも知れない。
部落解放運動の出発とも言える、全国水平社が創立された1922年3月3日、全国水平社創立大会では3つのことが決議された。1つは最も有名な差別者に対する徹底糾弾をするという内容である。次に、機関誌である月刊「水平」を発行することである。そして、最後の1つが実は最も重要かもしれない。決議にはこうある。
「部落民の絶対多数を門信徒とする東西両本願寺が、此際吾々の運動に対して抱蔵する赤裸々なる意見を聴取し、其の回答により機宜の行動をとること」
この決議に対して、両本願寺ともおおむね水平社運動への協力に同意したのだが、全国水平社とは距離を置いて自主的に取り組むとした西本願寺(浄土真宗本願寺派)に対し、東本願寺(真宗大谷派)は翌年には全国の被差別部落寺院を調査して地域の改善事業に努めると宣言して積極的に協力した。このためか、現在においても両本願寺の同和問題に対する取り組みには温度差がある。
さて、そして現在、「同和問題にとりくむ宗教教団連帯会議」(同宗連)という団体がある。後で述べるが、これは言ってみれば同企連の宗教版のようなものである。もちろん、東西本願寺は加入しているし、日本基督教団、神社本庁も加入している。
2012年5月、この同宗連でちょっとした出来事があった。佛教タイムス(同年5月31日)によれば、同宗連を構成する一団体である「同和問題にとりくむ大阪宗教者連絡会議」(大宗連)から、東西本願寺と同じく浄土真宗の一派である真宗佛光寺派大阪教区が脱退したというのである。
2013年の夏、筆者はその事実を確認すべく、大阪のとある佛光寺派寺院を訪れた。住職にそのことを聞いてみると、自分は詳しくは知らないが、脱退はしておらず、少なくとも今は大宗連に入っているという。
ひょっとすると誤報だったのか、そう考えつつもさらに訪ね歩くと、京都のとある西本願寺派僧侶が事情を知っているというので、早速その寺を訪れた。
「あの件で、同宗連は慌てました。それだけ佛光寺派の脱退は衝撃的だったのです。しかし、結局は佛光寺派は復帰しました。双方が歩み寄って、ひとまず今回のところは穏便に済まそうということです」(西本願寺派僧侶)
しかし、一度脱退したことは事実である。脱退の背景は、やはり同宗連が部落解放同盟の方針に沿った活動しかしないことに対する反発である。そこには、部落解放同盟と対立する人権連系の僧侶の動きがあったという。
「同宗連のはじまりは、今から30ほど前にあった「町田事件」です。それ以来宗教団体が次々と糾弾されて、解放同盟に言いなりにされてきました。例えば西本願寺では1200から1300ヶ寺程度の被差別部落寺院がありますが、同和問題に関してはこれらの寺院が他の10000ヶ寺を支配しているという状況です」
町田事件とは、1979年8月にアメリカで開催された「第3回世界宗教者平和会議」の席上で町田宗夫・曹洞宗宗務総長が「日本には、部落問題は存在しない、部落問題、部落差別ということを理由に騒ごうとしている」と発言したという「差別事件」である。これに端を発して、過去帳に穢多などの身分を記載していた問題、部落民に対して差別的な戒名を付けていた問題など、宗教界に糾弾の嵐が吹き荒れた。そして、1981年6月に同宗連が発足した。
さて、筆者が気になるお金の問題はどうなのか?
「同宗連の分担金は年間10万円。同和研修の講師料は昔は1回15万円から30万円でしたが、今は下がって5万円から10万円といったところです」
その他にも、様々な集会や講座に動員されるという。
仏教系の主要な宗教団体のほとんどが同宗連に加入している中で、異色なのが日蓮宗である。日蓮宗は宗派の中で「人権対策室」を設置して、独自に取り組むとし、同宗連への加入をしなかった。それは、日蓮宗の中でも力を持っていた故・中濃教篤氏の影響が大きいという。中濃教篤氏は、共産党と関わりのある日本宗教者平和協議会の常任理事でもあった。
それにしても、NTTの場合と同様に、ここでも解放同盟への反発の陰には、対立団体である人権連、共産党の陰がちらついている。それとは関係なく、一般の僧侶から反発が出ることはないのだろうか。
「ほとんどの人は、部落問題には無関心です。それに、坊主もサラリーマンも、何も違いはありません。上に逆らえば昇進に響くし、面倒なことはしたくないのです」
なぜ企業は同和との関係を切れないのか、この一言がその理由を一番的確に言い表していると言えよう。