今回の部落探訪は、奈良市の御所市にやってきた。御所市と言えば、全国水平社の創設者の一人である西光万吉の出身地であり、また住井すゑの「橋のない川」の舞台としても知られる。
ということは、今もガチガチの同和事業をやっている地域だろうと思ってしまうかも知れないが、そうでもなくて、実は御所市は2011年に同和地区のランドマークとも言える隣保館を廃止した。同和事業の歴史の長い地域に限って、同和事業を清算する努力をしているものなのである。
そして、その中でもこの元町地区は先日のプロ野球ドラフト会議で巨人から一位指名を受けた鍬原拓也投手と若干の縁のある地域だ。
探訪は、この御所市中央公民館を起点に開始する。念のために言っておくと、ここは隣保館ではなく本当に公民館である。過去に隣保館であって、後で公民館に転用されたというわけでもない。
奈良県では毎年11日は「人権を確かめあう日」となっているようだ。同和対策審議会答申が出された1965年8月11日と、「ひとはひとしい」という語呂合わせだという。奈良県民なら、毎月11日は月命日のように人権を確かめあうべきだろう。
公民館の近くに、漉割工場がある。漉割というのは、要は皮革加工の1つである。皮革工業というと、どうしても部落に結び付けられがちだが、これが関係あるのかどうかは分からない。
なお、元町の部落の旧称は「西松本」。1935年の記録では戸数232、人口1245、産業は農業、商業と日雇いであった。生活程度は悪くなかったようである。
確かに、それほど寂れた雰囲気はない。空き地や廃墟が目立っている訳ではない。
…と思ったら、同和地区特有のニコイチ群が現れた。これらは改良住宅である。
ただ、この部落の面白いところは、同じような形をした民間の建売住宅も混ざっていて、それがニコイチと妙に馴染んでいるところだ。ニコイチは古くはなくて、比較的新しいタイプに見える。民間の住宅と改良住宅を見分ける方法は難しくない。改良住宅には必ず番号が振られているので、注意深くニコイチを観察すると、どこかに「○○号」というような表記がある。番号表記があれば改良住宅、なければ民間の住宅ということだ。
改良住宅の集会所があるが、看板の文字が色あせていて読めない。
改良住宅に混じって立派なお屋敷もある。
若干の空き地と、作業場のような建物、自動車を駐車できる道路もある。
一見さんにはちょっと入りづらいお好み焼き屋がいくつかある。
こちらは、エホバの証人の会館。
特筆すべきはこの建物。「農林業同和対策事業 元町農機具保管施設」と書いてあったのだと思うが、「同和」と「元町」の部分だけ塗料が剥がされて錆びている。「同和」が削られるのは分かる気がする。要は「寝たことを起こすな」ということだろう。しかし、「元町」が削られるのは何か意味があるのだろうか。
同和対策の農機具保管施設の裏側には御所市産業振興センターがあり、見本市で賑わっていた。
保育所、公園、児童館等がある。同和地区であることを感じさせる公共施設はあるものの、あまり殺伐とした雰囲気はない。
さて、この部落の南西の櫛羅には「元町南団地」という市営住宅郡がある。この市営住宅は2017年10月26日にTBSで放送された「ドラフト緊急特番!お母さんありがとう」で、巨人から一位指名を受けた鍬原投手の実家がある場所として映されたことからネット等で話題となった。
家賃4000円という安さから、鍬原自身が部落出身ではないかとも言われたが、この住宅の場所は部落外である。
ただ、その風景は部落以上に部落らしい趣がある。しかし、ここは部落ではない。
元町南団地が作られたのは、国の同和事業が始まるよりも前のことで、先述の改良住宅とは違って、特別に同和事業で作られたものではないようである。
このような古い公営住宅は全国各地にある。元町南団地には見るからに高齢者が多く、建物は老朽化しているが、建て直すと家賃を上げざるを得ないため、入居者を新規募集せずに、住民が出ていき、建物が古くなるのを待っているのが見て取れた。
市営住宅には、今となっては珍しいデコトラが停められていた。