(この裁判の全記録はこちらで見ることができる)
2014年11月7日、筆者は国会議事堂前から隼町にある最高裁判所へと歩いていた。とある裁判の弁論に出席するためである。
裁判所の西門から入り、立っている守衛に「被上告人」であることを告げると、階段を登って中の職員の案内に従って進むように指示された。黒い背広姿の職員に案内され、赤い絨毯が敷かれた通路を進む。最高裁判所の中は厳かさを演出するためなのか、神殿のような雰囲気になっており、何かに例えるならRPG「ゼルダの伝説」に出てくるダンジョンのようである。
そして、椅子とテーブルが置いてある控え室に案内された。10分も待つと、再び職員が入ってきて、時間なので法廷に行くように言われた。再び赤い絨毯の上を歩き、立派な扉をくぐると、テレビなどでも時々目にする小法廷の中である。筆者は、被上告人席に座って、開廷を待った。
最高裁で被上告人席に座るということは、大抵の場合、それは敗訴を意味することになる。
しかし、「最高裁までやる!」と息まいたところで、実際に最高裁が上告を受理して弁論を開くことは非常に少ないので、本当の意味で最高裁に持ち込むことが出来たことは、感慨深いものがあった。
同和地区の場所を情報公開請求
2007年8月16日、滋賀県愛知郡愛荘町で「愛荘町役場への東近江市民による電話での同和地区差別問い合わせ事件」が発生した。これは、隣の東近江市の男性が愛荘町役場に、愛荘町内の同和地区の場所を問い合わせた「事件」である。
この事実は愛荘町から部落解放同盟に報告され、2008年3月25日には愛荘町立ハーティーセンター秦荘大ホールで「愛荘町役場への東近江市民による電話での同和地区問い合わせ差別事件真相報告集会」が開かれた。その場で、滋賀県、愛荘町として同和地区問い合わせは差別」との見解が発表された。
そこで筆者に浮かんだのは、「電話で同和地区の場所を聞くことが差別なら、文書で“情報公開請求”すればどうなるだろうか」という疑問である。それから、筆者は行政に同和地区の場所を公開させるということに全力を注ぐことになった。
そのような中、部落解放同盟滋賀県連合会の支部員約1000人分の本名・住所・生年月日・電話番号が記載された名簿(言い換えれば部落民の名簿)がインターネットに流出し、その上解放同盟の大会に対して爆破予告が行われるという事件があった。
マスコミが全く報じなかった、これら一連の事件については、小舎では「部落ってどこ? 部落民って誰?」を発行しているので、ここではあえて詳しく説明しないことにする。
さて、筆者は2008年6月14日に滋賀県人権推進課に対して「同和地区の地名が分かる文書」「同和地区の区域が分かる地図」「同和地区に設置された地域総合センターが分かる文書」の情報公開請求をした。その結果は、「非公開」ということであった。
しかし、それであきらめるはずもなく、筆者は異議申し立てを行い、その結果対象の文書が「同和対策事業に関する地図のうち愛荘町山川原、川久保、長塚の事業に関するもの」「滋賀県同和対策新推進計画」「同和対策地域総合センター要覧」であることが明らかにされ、その上で再度情報公開請求を行った。
その結果は「部分公開」である。すなわち、同和地区名や場所が分かるような部分は黒塗りにされた状態で公開された。これが2009年5月8日のことである。もちろん、筆者はそれに対しても異議申し立てを行った。
特に興味深かったのは地域総合センター要覧だ。これは滋賀県内の同和地区に設置された「地域総合センター」という施設について説明した文書なのだが、それに書かれた施設名、施設所在地も黒塗りされた。
実はその後の2009年10月13日に、筆者は東近江市に対して地域総合センターの設置を定めた条例の全面公開を求めて裁判を起こした。東近江市が、地域総合センターの場所を問い合わせるような電話には応じないように、職員に対応マニュアルを配っていたことが明らかになったためである。
その結果2010年4月13日に大津地裁が東近江市に対して全面公開を命ずる判決を下した。東近江市は、控訴を断念し、判決を受け入れて文書を公開した。
なぜ、東近江市の条例が全面公開されることになったのかと言うと、主な理由は、東近江市情報公開条例に「法令若しくは条例(以下「法令等」という。)の規定により又は慣行として公にされ、又は公にすることが予定されている情報」は、個人に関する情報であっても公開しなければならないという規定があるためだ。東近江市は同和地区は「個人に関する情報」であると主張したが、なにせ文書は条例そのものなので、東近江市の主張は通らなかった。こうして、東近江市は体面を潰すことになった。
さて、東近江市が公開することになった条例には、地域総合センターの施設名、施設所在地が明示されていた。地域総合センター要覧に書かれた施設名、施設所在地も、条例に書かれた施設名、施設所在地も、情報としては同一のものである。とすると、少なくとも滋賀県は地域総合センター要覧に書かれた施設名、施設所在地を黒塗りにしてはいけないのではないかということは、当然浮かんでくる疑問である。
2010年4月19日、筆者の異議申し立ては棄却され、滋賀県が行った処分は変わらなかった。そこで、さらなる情報公開を求めて同年9月15日に大津地裁に滋賀県を提訴したわけである。
薄氷の一部勝訴
そこで、筆者と滋賀県との法廷バトルが展開されることになった。その過程は小舎刊「同和と在日」の①から⑦において「滋賀県同和行政バトル日記」として開設しているので、ここでは概要のみを簡単に書いておこう。
2012年4月12日に大津地裁の判決が出された。結果は原告の全面敗訴である。つまり、新たな情報が公開されることはなかった。
その判決理由では、「同和地区は個人に関する情報であるか」といった点には触れられず、代わりに同和地区は滋賀県の「事務または事業の適正な遂行に支障を及ぼすおそれがある」情報であるとされた。滋賀県の情報公開条例も東近江市の情報公開条例も大きな違いはなく、個人に関する情報であれば条例により公開されているということが問題になるだろう。そのために裁判所は「個人に関する情報」という争点を避けたのかと思われた。
しかし、地域総合センターの施設名、施設所在地が条例で公開されていたことについても説明されていて、それはいかにも珍妙な内容であった。「現実問題として条例の存在及び規定の内容につき認識を欠く住民が相当数存することは否定し難い」というのである。確かに事実かもしれないが、法令に従って判決を出さなければいけないはずの裁判所がそれを言ってしまっては、ミもフタもない。
筆者は大阪高裁に控訴し、特にさきほどの点について攻めた。一部の条例は自治体によりインターネットで公開されており、自治体によっては同和対策のための施設であることも明示されていると主張したのである。
その結果、大阪高裁では不思議な事が起こった。2012年7月13日に最初の口頭弁論が行われ、即座に結審し、9月28日に判決が言い渡される事になったのだが、9月25日になって裁判所から判決日が10月19日に変更されたとのファックスが届いた。
そうして下された大阪高裁の判決は、筆者の一部勝訴であった。ほとんどの情報は非公開であったが、少なくとも地域総合センターの施設名、施設所在地は公開しなければならないという判断だった。これは、「法令若しくは条例」により公にされていることは公開しなければならないという、情報公開条例の規定を重視したものである。しかし、同和地区が個人に関する情報なのかという判断はされておらず、また大津地裁の判決とほぼ同じ理由で残りの情報は非公開とされた。
この判決に対しては10月30日、双方が上告した。通常、上告した場合は半年程度で却下されてしまい、審理されない例が多い。実際に最高裁で弁論が開かれるのは数%である。
しかし、この件に関してはその数%に入ることになった。上告から約2年経過した2014年9月26日、最高裁は筆者の上告を却下し、滋賀県側の上告(正確には上告受理申立て)を受理する決定をした。
ただし、滋賀県側の上告を受理するにあたっては条件がついていた。同和地区が個人に関する情報なのかという点については争点から排除するというのである。これで最高裁の意図は分かった。同和地区が個人情報であるかということ、さらに条例に地域総合センターの施設名、施設所在地が記載されたことについて触れず、あくまで滋賀県の事務事業に支障が出るという理由で全て非公開にしてしまおうということなのである。
大阪高裁の判決は、既に明らかになっている情報を公開せよというものなので、それによって何か新たしい情報が明らかになるわけではない。実質的には筆者の全面敗訴である。そのため、最高裁が弁論を開いてさらに話題を増やすよりは、そのまま高裁の判決を維持して終わるのではないかと考えていた。
しかし、実際には滋賀県側の上告が受理されたことから、同和地区を特定する情報は一片足りとも公開させないという最高裁の強い意思が感じられる。司法においても、同和は鉄壁のタブーなのである。
最高裁での弁論
実はこうなる予兆はあった。上告した翌年の、2013年2月7日、筆者は滋賀県が提出した上告理由書の内容を見るために、最高裁に行った。筆者が最高裁の建物の中に入ったのはこの時が初めてである。
最高裁にいきなり行っても入らせてくれないし、そうでなくとも、目的の書類を見ることができるのか分からなかったので、事前に最高裁に電話で問い合わせをした。その時、書記官から「今、記録を裁判官が持ち出しているところなので…」という趣旨のことを言われたのである。
最高裁では、いきなり記録を裁判官が見ることはなく、まず調査官が下調べをし、事件を受理するべきかどうかの意見を付けて概要を裁判官に報告する。実際に裁判官が内容を精査するのはその後だと言われている。ということは、記録を裁判官が持ち出しているというのは、調査官が重要な事件であると判断したことを示唆していた。
ただ、結果的には記録を閲覧できるということだったので、最高裁に行くことにした。
ちなみに、最高裁というところは意外にゆるい。東京地裁では持ち物をX線検査にかけられ、自身も金属探知機の中を通される。しかし、少なくとも筆者が最高裁に記録を見に行った時は、X線検査も金属探知機もなかった(ただ、後で判決を聞きに行った時は金属探知機があった)。守衛に名前と用件を告げて、運転免許証などの身分確認書類を見せて中に入るだけである。
入口近くにいた職員から、記録閲覧室への道順が案内されるので、後はそれに従って一人で閲覧室へ向かう。中は撮影禁止であるが、職員に付けて回られるわけではないので、撮影しようと思えばできないことはない。
記録閲覧室で記録を渡され、その場で見ることも出来るし、申請すればコピー機でコピーもできる。この辺りは最高裁も他の裁判所と変わらない。
さて、滋賀県が提出した上告理由書は全部で概要説明や表も含めて54ページに及ぶものだった。もちろん、内容は未だに同和問題にからむ差別事件が起こっているといった定番の主張である。しかし、手間がかかるだろうに、これほどの長文を作成することに滋賀県の意気込みを感じるのである。
そして、件の滋賀県側の上告を受理するとの決定が筆者のもとに届いた。2014年11月7日に弁論を開く旨の呼出状も同封されていた。
最高裁で弁論が行われることになった時点で、結論は決まっているので、あとの手続きは儀式のようなものである。筆者に対しては答弁書の提出が求められたので、言いたいことを書いておいた。筆者の主張は、要は「公開しようとしまいと、分かっている情報だし、最高裁がやろうとしているのは、さらに「これらの地域は差別される場所ですよ」という情報を付け加えるだけだ」ということである。
また、普通の裁判所での審理と違うのは、口頭で「弁論要旨」を読み上げることが出来る点である。これは、上告が受理されて弁論の日程が定められた直後に、最高裁の書記官から電話があり、5分程度で読み上げられるような物を作って答弁書と一緒に提出するように言われる。
さて、冒頭のとおり、筆者は弁論にのぞんだ。第2小法廷で裁判が開かれ、普通の裁判所での手続きと同じく、それぞれ書面の通りに陳述したことが確認された。そして、まず上告人である滋賀県の担当者が弁論要旨を読み上げた。
上告審では同和地区は個人に関する情報か、という争点は排除されているため、地域総合センターの施設名、施設所在地が「滋賀県版部落地名総鑑」として利用されるおそれがあり、事務事業に支障が生ずるということが強調された。
それに対して、被上告人である筆者は、これらの情報が事実上既に秘密ではないことに加えて、同和タブーを司法が認めることになり、同和地区を利用して違法行為でも隠すことができるようになる懸念を述べた。そして、これは裁判所に提出した書面には書かなかったが、解放同盟の関係者も傍聴に来ているだろうから、最後に「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と言っておいた。
さて、2014年12月5日、予想通り筆者の全面敗訴の判決が下された。
ただ、意外だったのは最高裁が判決理由のほとんどで述べていることは、地域総合センターの施設名、施設所在地が条例で公開されていることとどう整合性を取るのかということだった。その中でも主な主張は、「同和対策地域総合センター要覧」という文書名などがより同和対策目的の施設だということを強調しているので、条例の持つ意味合いとは同等に評価できないということだった。
さて、この最高裁に筆者が納得できるかというと、無論そうだとは思っていない。例えば最も顕著な例では、現在でもインターネットで守山市が公開している「守山市地域総合センターの設置等に関する条例」には「守山市同和対策集会所」という直球な名前の施設名と住所が掲載されており、少なくともこのような自治体の施設については、最高裁の理由説明は当てはまらないだろう。
そして、もう1つ不可解な点は、判決理由からすると、仮に同和地区は個人に関する情報だとしても非公開情報だとすることも出来たのに、なぜ争点から排除したのかということだ。
おそらく一番の理由は、大津地裁も大阪高裁もその点には触れなかったので、あえて上告審で触れる必要はないと、単にそれだけのことだと思う。言ってみれば、蛇足判決になってしまうからだ。
そもそも、大津地裁がその点に触れなかったのはなぜか。これは私の想像だが、大津地裁の最初の弁論で、当時の石原稚也裁判官が「同和地区は集団であるのに、これを個人に関する情報と言えるのか?」と疑問を呈しており、途中で長谷部幸弥裁判官に交代した時にその事が何らかの形で申し送りされていたのではないかと思う。
判例集に掲載! その後…
このような結果になってしまったが、一応は最高裁判例である。従って、一部の判例集には掲載された。
1つは行政関係書籍専門の出版社である「ぎょうせい」が発行する、地方公共団体関係の判例集として定評のある「月刊 判例地方自治」(2015年3月)。もう1つは税務・自治体情報サービス会社である「TKC」のネット判例集「新・判例解説Watch」(2015年4月10日)。そして、「一般財団法人行政管理研究センター」が発行する「季報 情報公開・個人情報保護」(2015年6月)である。
いずれも共通して指摘しているのは、なぜ「同和地区は個人に関する情報か」という争点を排除したのかということだ。
「判例地方自治」は、単に判断する必要がなかったから排除したのだろうとし、もし判断するのであれば賛否両論あるだろうとしている。
一方、「新・判例解説Watch」は、事務事業に支障が生ずるという理由は濫用されがちなので、個人情報という論点について優先的に判断すべきであったのではないかという趣旨の解説をしている。
そして、最も面白いのが「情報公開・個人情報保護」である。神奈川県情報公開・個人情報保護審議会の副会長でもある、駒澤大学法学部の塩入みほも准教授が解説しているのだが、解説の冒頭から、この事件の被上告人は本人や身内が原告となって同様の訴訟を起こしまくっており、ブログに同和地区関係の地図・資料や批判的記事を載せているので、やや特殊な事例だという趣旨のことが書かれている。そして、過去に同和関係文書の開示が争われた事例では、個人情報に該当するかどうかが争点にならなかったケースはないのに、この点を最高裁が争点から外したことには大いに疑問が残るとしている。
筆者の敗訴、滋賀県の勝訴は解放新聞でも報じられた。特に解放新聞滋賀版は「鳥取ループの宮部」と呼び捨てにして大阪高裁が「不当判決」を下した経過等を報じた。そして、「インターネット上に垂れ流されている「同和地区情報」を規制するためにはこの最高裁判決の持っている意味は非常に大きなものがある」としている。
しかし、最高裁判決はインターネット上の同和地区情報には実質的な影響はないと考えられる。なぜなら、「同和地区は個人に関する情報か」という争点が排除され、あくまで行政が同和地区情報を公開する是非だけに絞って判断されたため、それ以外のルートで同和地区情報が流通することの是非には何ら触れられていないからだ。
また、「同和地区施設の設置管理条例と、同和対策地域総合センター要覧は別のものだ」という論理であるため、わざわざそのような事を言うということは、同和地区施設の設置管理条例に関してはその公開を認めていると言える。
もう1つ重要なのは、裁判を通じて事実上地域総合センターの一覧が明らかになってしまっていることだ。形式的には秘密ということになったものの、実質的にはもはや秘密ではない。
筆者は大阪高裁が公開を命じた一方、最高裁が非公開とした文書を入手することが出来た。最後にその一部を掲載する。
なお、この裁判のために滋賀県は弁護士費用だけで173万1660円を費やした。
理由は不明だが、大阪高裁で筆者に対して一部勝訴の判決を出した八木良一裁判官は2013年11月12日に依願退職した。