隣保館職員と共にハローワークへ
さて、それから1ヶ月後、増田氏から「ハローワークの職員と話をした」との連絡があった。
「同和住民の失業保険延長はあると。隣保館担当に当事者が伝えて手続きしていくと。私の場合、90日が150日に延長とのこと」
やはり、申請はできるようだ。しかし、増田氏が言うには、この手続が少し面倒らしい。隣保館(地域総合センター)を通さなくてはならないのだ。
「(地域総合)センターには関わりたくないけど仕方ない。ハローワークはセンターが関係しないと許可しないと言います。県によって違いがあるのかな?」
増田氏の疑問への答えは、既に説明した通りである。それにしても「センターが関係しないと許可しない」というのは、ドンピシャリの言い回しではないか。例の資料をハローワークの職員が読んでおり、それ故に「連携」ということを意識していることは疑いない。後述するが、この後も、ハローワークの職員は一貫して例の資料に忠実に対応することになる。
さて、あまり気乗りしない増田氏であったが、背に腹は変えられず、隣保館に相談に行った。そして、増田氏から日程が決まったとの連絡があった。さらに、
「隣保館の職業協力員が同行したいと言っています」
とのことだった。
隣保館が紹介状の1枚でも書けばそれで済むのかと思ったら、そうでもないらしい。
2015年春の某日、筆者は滋賀県へと向かった。増田氏と落ち合うためである。増田氏に再会した私は、これまでの経緯を聞いた。
「最初、センターの職員が自分に同行するのを渋っとったんだけど、ハローワークにそのことを言ったら、やっぱり同行するって言ってきた。ハローワークからセンターに電話があって「それがあんたの仕事やろ」って言われたらしいで」
なるほど、そこまでやるから「連携」ということなのだろう。
また、増田氏によれば、昔はハローワークに“同和担当”の職員が常駐していたという。その頃なら、その場で申請できたのかも知れない。実際、県内の別の同和地区関係者によれば、「自分の時はハローワークで申告するだけでよかった」という。しかし、当時は同和上乗せの存在を増田氏は知らなかった。
しばし雑談したあと、草津市にある、草津公共職業安定所(ハローワーク草津)へと向かった。ハローワークに着くと、我々は早速2階の雇用保険の窓口に行った。そこで、隣保館職員が既に我々を待っていた。なお、今日同行する隣保館の職員には、筆者も同行することが既に増田氏から伝えられていた。また、職員は増田氏の地元の部落の方だということだ。
「手続きはどこまで済んでるの?」
隣保館職員は、開口一番にこう聞いた。それに対して、増田氏が答える。
「いま来たとこです」
「統括の方に行って、受付してきて」
「ここでするんじゃないの?」
「いや、まず下で受付してきて」
同和上乗せとは言っても、例えば別室に通されたり、特別な窓口があったりするわけではなく、まずは一般の来所者と同じ様に受付を済ませなければいけないということらしい。
「そんなとこで、ちんたらやらんでも、ここ(2階の雇用保険の窓口)が担当やからここでやったらいいのに」
増田氏はそうぼやきつつも、1階の受付けへと向かう。受付けを済ませたあと、我々はしばらく1階の待合室で待った。その日は月曜日だったが、ハローワークは職を求める人で賑わっていた。
「ここは、近江八幡とか甲賀の方からも人が来はんね。なんでっていうと、求人が多いんよ。大津なんかよりも」
増田氏はそう話す。
地方が衰退する中でも、滋賀県は人口増加が続く稀有な地域である。その中でも、草津市は特に成長が著しい。そういったことが、このような場所からもうかがえるのだろう。
受付けをしてから10分ほどすると、今度はハローワークの職員が現れた。
「今日は3人で来はれたんですか? 状況をお伺いできますか」
「雇用保険の申請て2階じゃないんですか? 2階に言ったらここに行けって言われたんですよ」
「ええ、雇用保険は2階ですよ」
「最初から2階に行ったらだめなんですか? ここで全部できないでしょ」
「まあ、いろいろありますわ」
何がいろいろあるのか分からないが、万事この調子である。
「同和の延長がなかったら、こんなところ来ないで一般の人と同じ様に申請したらいい話でしょ。延長がなかったら自ら名乗り出ることもないですよ。何がどうなるのか知りませんけど、早く済ませたいんです」
増田氏の訴えに対し、職員の答えはこうだ。
「申し出するのはあくまで本人さんで、必ず申し出してくださいっていうもんでもないんで…」
現在の同和上乗せの位置づけがおおよそ想像できる一言である。ハローワークとしては、積極的に勧めておらず、知っている人だけ自分から申告してくださいといったところだろう。まさに裏メニューといった状態だ。公平性を考えると、本来は好ましくないことだのだろうが。
その話は程々にして、職員は離職日や雇用保険に入っていた期間などの状況を増田氏に聞いた後、一旦立ち去った。
「本当に回りくどい人やな」
増田氏がぼやく。
しばらくして、件の職員が再び戻ってきた。
「就職困難者の申し出をされるということでよろしいですね?」
「はい」
「今日隣保館の方が来られてますが、今後も連携して活動されるということでよろしいですね?」
「私は分かりませんけど」
確かに、そんなことを増田氏に聞いてもしょうがないだろう。とっさに横に居た隣保館職員がフォローすると、ハローワーク職員がしつこいように「就職困難者に該当しますね」と隣保館職員に念を押していた。もちろん、ここで言う「就職困難者」とは、同和関係者のことである。ハローワークでは一貫して就職困難者という用語が使われ、さすがに同和関係者という直球な用語は一度も使われなかった。
ハローワーク職員によれば、「就職困難者」の場合は1つ余計に書類が必要になるという。それは、隣保館で相談を行った旨を記入した書類である。書類には本人の名前、生年月日、最終学歴、職歴を記入し、最後に隣保館職員が相談年月日を記入する。失業手当の給付対象に該当することが確定すれば、就職困難者としての給付期間が設定される。
ここで職員が強調したのは、まずは失業手当の給付対象に該当することの確認が必要で、確認できなければ就職困難者の申し出は意味が無いということだ。
ともかく、書類を記入した後、我々はしばらく2階で受付の順番が来るまで待機することになった。
その間、ハローワーク職員が隣保館職員を呼び出し、我々から離れて廊下の隅で2人でずっと何か話していた。遠くなので声は聞こえなかったが、「連携」についての打ち合わせをしていたのだろう。
「結局、隣保館抜きでそんな申請通らんよと言いたいんね、あちらは。(自分は)「属人」なんやからそんなん関係ないはずなのにね。障害者の人が来て、障害者就労の財団法人の職員と同行することがあるんよ。それに近い状態ですわ」
増田氏はそう語った。
ショック! 救いようのない展開
さらに増田氏は、同和対策の特措法が残っていた当時の話もしてくれた。
「昔はね、なおさら「同和地区の方」とか「母子家庭の方」とか(ハローワークに)掲げてあったんやんか。で、同和担当の嘱託職員がここにおったんですよ、専属で。失業保険でも何でもそこに行けば相談できたんですよ、以前はね。その時は待たなくていいから便利でしたよ。電話しておいたら、すぐしてくれはるねん。その時、自分も何度か失業保険申請したけど、そんな話(同和上乗せ)は全然言わんかったね。そんな制度があるなら、教えてくれたらいいのにね」
さて、再び待つこと15分、ようやく増田氏の順番が回ってきた。しかし、そこで職員に言われたのは予想外の一言だった。
「雇用期間とかが書いた契約書って、今日お持ちではないですよね?」
「まあ、指示がないからね」
「ちょっと確認させてもらっていいですか…」
実は、ここに至るまで筆者はあまり聞いていなかったのだが、増田氏が派遣会社で働いていた期間は6ヶ月である。通常、失業手当は1年以上働いて雇用保険料を納めていなければ支給されない。しかし、2008年から2009年にかけての「年越し派遣村」の影響もあり、2009年3月からは雇用保険料を納付した期間が6ヶ月であっても、失業手当が支給されるように雇用保険法が改正された。しかし、この納付期間が6ヶ月でも給付ということについては条件がついていた。
職員がさらに説明した。
「なんで契約書をお持ちかどうか聞いたのかといいますと、離職票の通りであれば、期間が足りてないという扱いになるんですよ。あらかじめこの日に次の更新はしませんよと契約書に書いてあったとありまして」
2009年の雇用保険法の改正は、いわゆる「派遣切り」対策である。そのため、納付期間が6ヶ月でも給付されるのは、正社員の場合は会社都合での退職、派遣社員の場合は派遣切りにあった場合に限られる。では、派遣切りとは具体的に何を指すのかというと、派遣社員としての雇用期間が満了後も契約を更新できる場合に、雇用者側の都合で契約を更新しなかった場合である。
しかし、増田氏の場合は、働いた期間が6ヶ月に達する前に、あらかじめ契約を更新しない旨を雇用者が通告し、増田氏も了承していた。そのため、「6ヶ月働いた後に派遣切りにあった」とは見なされないことになってしまうのだ。
もちろん、増田氏はそれでは納得出来ない。今までハローワーク、隣保館とたらい回しにされた不満もあって、かれこれ1時間以上押し問答することになった。しかし、職員は少なくともこの書類では受け付けられないと繰り返すのみであった。
また、増田氏によれば契約を打ち切られた際に、派遣会社からは失業手当を受けられるとの説明を受けたという。それが事実だとすれば、派遣会社が失業手当の受給条件を間違って認識していたということだろう。
増田氏のような「就職困難者」の場合は、特別に救済されることはないのかというと、そのようなことはない。考えてみれば、もっと解放同盟が力を持っていた時代なら、法改正時にドサクサに紛れてそのような条項を入れるだけの知恵もあったかもしれないが、2009年当時にそれは無理だろう。一般の加入者であろうと、就職困難者であろうと、必要な納付期間についての条件は同じである。法改正はあくまで派遣切り対策のためで、就職困難者は関係のないことだった。
「とにかく、この書類に書いてあることが事実であれば、申請は受けれません。もし、この書類書いていることが誤りであれば、派遣会社に行って訂正してもらってきてくださいとしか言えません」
それがハローワーク職員の答えだった。
「明日、会社に一緒に行こ」
と、隣保館職員が増田氏にうながした。増田氏も「分かりました」と言わざるを得なかった。
そして、ハローワーク職員は、後で書類の不備を訂正するという前提で、とりあえず失業手当の申請を行うことを提案した。こうしておけば、一応は本日付けで申請したことになるのだそうだ。
さて、その後のことであるが、結論から言えば増田氏は失業手当を受けられなかった。
増田氏が契約した派遣会社は、ほぼ季節ごとに契約を行っているのだが、増田氏の場合、最後の契約書に次回から契約を更新しない旨が書かれていた。さすがに契約書を後で書き換えることはできない。
労働紛争解決支援センターや弁護士も相談したが、やはり駄目だったという。増田氏は、「失業手当を受けられる」と説明した会社に対してもさらなる抗議をするつもりだという。
何とも後味の悪い結果で取材を終えた。