阿波市の主な部落は吉野町西条にある。その中でも最大の部落は井ノ元で、隣は庄境である。1935年の記録では戸数がそれぞれ225戸,168戸で、人口はそれぞれ772人,1032人。生活程度は極端に悪くはなかったようだ。
写真は隣保館の吉野一条ふれあい会館の近くにある建物で、「君が代会」とは近くにある一條神社の氏子の集まりだ。
Youtubeに昨年の祭りの様子がアップロードされていた。
この地域をパノラマ撮影したので、現地に訪れた気分でご覧頂きたい。
ご覧の通り、この井ノ元部落はニコイチ、空き地、廃墟という三要素があまり見られない。
自身も部落在住であり、市役所職員であったという地元部落マニアによれば、徳島の部落には古物商が多いという特徴があるそうだ。確かに、この付近にもいくつかスクラップ業者が見られた。そして、映像にもあるソーラーパネルが比較的小さな土地にも設置されていることである。これは、土建業者が設置している例が多いという。
部落の人間がいつまでも部落に縛り付けられているかと言えば、意外とそうでもないという。各部落に特徴的な姓とその分布を調査し、地元への聞きこみを行うという研究を続けたところ、部落内のある区域がまとまって一般地区に移転している箇所があちこちにあるし、過去の文献には見られないが、同和地区指定された部落もあるという。
また、貧富の差が大きいのも特徴だ。部落の中にも豪邸がいくつか見られ、それらは土建業者のものである場合が多いという。
部落外ではあるが、近くにある、昭和44年に作られた市営住宅に案内していただいた。これもパノラマ撮影したので、ぜひ体感していただきたい。
ここにも部落の住民がかなり入居しているという。かなり老朽化しており、今となっては完全に時代遅れの建物だが、建て替えの予定はない。
団地には高齢者が多いが、一方、若い人でも幼い頃から同様の団地に住んでいると、それが「当たり前」となってしまい、結婚して一度は他の地域に出るものの、夫婦で戻ってくるケースが多いという。なにしろ家賃が安いので居心地がよく、こうして階層が定着してしまうのだそうだ。
氏が選挙の際に投票所で仕事をした経験では、そのような住民は「見た目で分かる」と言う。住宅等にお金をかけない分、衣服や自動車にお金をかけるので、身なりで分かるのだそうだ。
余談だが選挙と言えば、白票を持ち帰らせて、それに特定の候補者の名前を書いて再び投票所に持ち込んでまとめて投票するという手法は徳島県が元祖だという。
「部落差別はどうやればなくなるでしょうか?」
そう問うと、
「う~ん、なくならないでしょう」
と身も蓋もない答えが返ってきた。
ただ、かつてのように解放同盟と行政がべったりだった状況は徳島ではなくなったという。同和事業が行われていた時代は、解放同盟が隣保館を間借りしていて、解放同盟がまるで役所の一部署の状態で、個人給付等の同和行政の事務を行っていたのだが、同和事業が終わったらあっさりと出ていき、長々とトラブルになるということはなかったそうだ。