今年の夏、示現舎にある映画のDVDが送られてきた。タイトルは「人間みな兄弟 部落差別の記録」。1960年に作成された記録映画である。
この映画では、当時の様々な部落の映像が映し出される。それらの部落のその後を見ると、様々な発見がある。DVDを見たくなった方は、日本ドキュメントフィルムに問い合わせてみよう。
後援団体の表示。部落解放同盟と部落問題研究所の協力のもとに制作されたことが分かる。現在では、解放同盟と対立している部落問題研究所も、当時は協力関係だった。
最初に映し出されたのが、「一般と部落」の境界となる場所。部落に入った途端に道が細くなっている。
石柱に「光雲寺」とあることから場所が特定される。実はこの場所は京都市左京区の錦林地区で、現在の様子をグーグルストリートビューで見ることが出来る。
このように細い道は拡張され、部落には市営住宅が立ち並んでいる。しかし、石柱と石垣、生け垣、電柱の位置は当時と全く変わっていない。
こちらは奈良県御所市の小林部落。住井すゑの小説「橋のない川」に出てくる「小森部落」のモデルになったとされる部落である。
Youtubeに現在の様子の動画があった。
和歌山県西牟婁郡上富田町朝来にある大谷部落。文字通り谷間にある。
和歌山県田辺市本宮町本宮にある苔という部落。
現在は、階段状の土地がコンクリートで固められて整備され、ニコイチ住宅が立ち並んでいる。
ナレーションによれば奈良県五條の川原にあるという部落。現在の奈良県五條市五條と考えられる。ゴミが散らばっているのは、伊勢湾台風の被害に遭ったためである。
和歌山県和歌山市杭ノ瀬の平坦地にある部落。現在地を地図で見ると、かなり都市化が進んでいる。
京都八幡の部落。おそらく現在の八幡市八幡軸と考えられる。
和歌山県串本の部落。おそらく現在の東牟婁郡串本町和深と思われる。
和歌山県有田郡湯浅町湯浅。
山の稜線からすると、現在地はここだろう。
小諸の部落。詳しくは部落探訪(15)を御覧いただきたい。
大阪の矢田部落。現在の大阪市東住吉区矢田は市営住宅が多くて空き地も多く広々としているが、当時はこのように住宅が密集していた。
堺市の耳原部落。詳しくは部落探訪(3)を御覧いただきたい。
就職差別により吹田駅で女学生が列車に飛び込み自殺したという部落。猫の毛皮が干してある。残念ながらどの部落かは分からなかった。なお、映画ではその女学生の轢死体と思われる映像が映し出され、製作者の本気度がうかがえる。
※読者の方によれば、これは1959年1月の吹田市立第二中学校3年生に対する住友信託銀行による「就職差別事件」で、映し出されている部落は「大阪の同和事業と解放運動」によれば獣皮加工が主産業とされる、現在の吹田市岸部中ではないかとのことでした。女学生は両親が部落外の出身で戦後ここに移り住んできており、本人は、自分より成績の悪い同級生が合格したので、落ちたのは差別によるものと思い込んでいたとナレーションがされています。
食肉で有名な大阪府羽曳野市の向野部落。ハンナンの浅田満元会長の出身地としても有名になった。映画では屠場の様子も映し出されていた。
奈良県曽我川の土手下にある部落。おそらく磯城郡三宅町上但馬のこと。野球グローブ等の革製品の製造で潤い、豪邸が立ち並ぶ珍しい部落として描写されている。現在も奈良県スポーツ用品工業協同組合があり、野球用品の一大産地である。
三重県有馬の南地部落。現在の熊野市有馬町の海岸沿いにある。映画では、ここには「鈴木」姓が多く、研究の結果武士の末裔であることが分かり、「もはや部落ではない」として記念碑を建てる様子が映し出されている。
その記念碑が今はここにあるようだ。現在は紀州の典型的な田舎町のたたずまいで、同和地区指定された形跡がない。
日高川の土手下の薗という部落。現在の御坊市薗のことである。日雇い労働者の部落であった。
(次回に続く)