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Channel: 宮部 龍彦 - 示現舎
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全国「くろんぼ」探訪(5)―愛知県大府市 クロンボ

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今回は、愛知県大府おおぶ市にあるクロンボにやってきた。

今度のクロンボも喫茶店である。愛知、岐阜の喫茶店と言えば、モーニングサービス(単に「モーニング」と言われることが多い)である。最近はコメダ珈琲によって全国区になってしまったが、もとはこの近辺が発祥らしい。

モーニングとは、営業開始から朝10~11時の間であれば、コーヒーを注文すると軽食が一緒に付いてくるサービスのことである。

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無論、このクロンボにもモーニングがある。レギュラーコーヒーを注文すると、厚切りのトーストと、ゆでたまご1個が付いてくるという、オーソドックスなものであるが、350円と安い。さらにこのお店の特徴があるとすれば、テーブルの上のマーガリン、ジャム、マーマレード等を自由にトッピングできることだ。

ちなみに、岐阜辺りのモーニング激戦区に行くと、さらにサラダ・ハム・デザートが付くなど、もはやコーヒーよりも食事がメインという状態になる。さらに、格安の弁当が店に積み上げてあるので、喫茶店でモーニングを食べて、昼食の弁当を買って出勤するのが日課になっているビジネスマンも多いだろう。

さて、定例の質問タイムである。なぜクロンボなのか?

クロンボが開店したのは38年前の8月のこと。店主の子供が皆日焼けしていて、周囲の人に「あんたんところの子供はみんなクロンボだ」と言われたのが由来。「ダッコちゃん」とも「ちびくろサンボ」とも関係ないという。

例の堺の親子については知らないそうだが、こんなことがあったという。

「お客さんで、クロンボは差別用語だと言う人がいたけど、ずっとこの名前でやってきたので、そんなん言われても知らんし」

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帰り際にマッチを頂いた。イラストは日焼けした子供とは関係なさそうな気がするが、深くは突っ込まないことにした。


全国部落調査の出版禁止を横浜地裁に申し立てたのは…

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去る3月24日、写真の書類が編集部に届けられた。厚さは15センチはあっただろうか、これは部落解放同盟と5名の「被差別部落出身者」により横浜地裁に申し立てられた「出版禁止等仮処分命令申立」の関係書類である。

事のあらましはこうだ。

3月22日に部落解放同盟と、執行委員長の組坂繁之氏ら5名が、示現舎に対して全国部落調査の出版禁止と、同和地区Wiki等の関連するウェブページからの情報の発信中止を求める処分命令申立を横浜地裁に行った。翌23日に解放同盟側はウェブページ関連の請求を取り消して、請求内容を全国部落調査の出版禁止に絞った。

そして、3月28日11時に横浜地裁で審尋を行うので、答弁書の提出と裁判所への出頭を示現舎が求められたわけである。

驚いたのは、申立書の中で、組坂繁之氏ら5名が「被差別部落出身者」を自称していること。なぜ、そのような事を裁判所に言う必要があるのだろうか?

今回の問題は、「80年前に財団法人融和事業協会が発行した出版物の復刻を止めろと」全く無関係な第三者が裁判所に申し立てたことである。部落解放同盟は財団法人融和事業協会とは関係なく、無論、示現舎と取引や契約関係があるわけでもない。

全国部落調査と部落解放同盟を結びつけるものは「部落」のみ。そこで、「「被差別部落出身者」である我々には、当事者としての権利がある!」ということなのだろう。

しかし、残念ながら組坂繁之氏らが「被差別部落出身者」であるという根拠を筆者は見たことがない。そもそも、解放令以降被差別身分は法律上存在していないし、その後の経緯から考えても、証拠となるものが残っているとは到底思えないのだ。すると、結論としては「被差別部落出身者」ということは、単に自称に過ぎないということになる。

結局のところ、その辺に歩いている見ず知らずの人が、いきなり「あの出版物は気に入らないから発行するな」と言いがかりをつけてきたのと全く変わらないのである。このような場合、裁判所は「当事者不適格」ということで却下してしまう。

また、「被差別部落出身者」を自称することで、裁判が有利に進むということを期待するのであれば、それは「えせ同和行為」ではないだろうか。出自によって人を差別してはいけないのだから、なにも「被差別部落出身者」を自称しなくとも、ただの一個人の立場で申し立てればよいだけのことである。

それを踏まえて、筆者は答弁書を作成した。

さて、横浜地裁に出頭し、審尋室に通されたところ、解放同盟側は代理人が3人、後ろに申立人のうちの2人と思われる人が控えていた。書類を提出したあと、やり取りらしいやり取りと言えば、裁判官と筆者の次の会話だけである。

裁判官「全国部落調査を、4月1日に出版するのですか?」

筆者「その質問に答える必要はないと思います」

さて、出版禁止の仮処分というのは本来はハードルが高く、特に今回のようなケースが認められることはほぼあり得ないのだが…今までの経験上、同和が絡むとしばしばあり得ないことが起こったものである。仮処分の申し立ては迅速に処理されるので、数日中には結果が出ることだろう。

参考のため、主な書類を掲載しておく。

出版禁止等仮処分命令申立書-H28-3-22.pdf
訂正申立書-H28-3-23.pdf
陳述書-H28-3-17.pdf

答弁書-H28-3-28.pdf

横浜地裁による全国部落調査出版禁止の仮処分

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同和が絡むとしばしばあり得ないことが起こる。前回の記事でそう書いたが、やはりその通りであった。

既に新聞等の報道でご存知と思うが、横浜地裁により全国部落調査出版禁止の仮処分命令が発せられた。

めったにない事だからこそニュースになるわけで、裁判所が出版物の事前差し止めをするのは珍しいことである。今回特に珍しいのは、出版物の内容に直接関係がないのに「被差別部落出身者」を騙ったら仮処分が通ったというところである。

以下がその決定文である。

仮処分決定-H28-3-28.pdf

要は解放同盟側が50万円を預ければ、出版を禁止して、製品を差し押さえできるということである。しかし、種を明かせば、全国部落調査は1冊も印刷していない。現物がない以上、出版禁止も差し押さえも出来ないので、この仮処分は空振りである。

これはあくまで「仮」の処分なので、通常であればこれから解放同盟が実際に訴訟を提起するということになり、示現舎側は裁判所に異議を申し立てるといった対抗措置があるのだが、いかんせん、問題の著作物の現物がないゆえに「訴えの利益なし」で終わってしまうので、このまま放置するのが妥当だろう。

仮処分関係の書類はもう不要で、かと言って捨てるのも勿体無いので、ヤフオクに出品しておいた。もちろん、解放同盟側が印刷した全国部落調査の全文コピーもあるので、物好きな方はオークションに参加されたい。

http://page14.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/s484804015

ただ、部落地名総鑑の元ネタは戦前に作られた全国部落調査であるという、今までタブーだった事実が新聞報道によって知れ渡ったことは1つの成果である。当然、これは序章に過ぎないので、今後の展開に注目である。

ところで、本日は以下の文書を東京法務局に受け取りに行ってきた。人権擁護部長がこの文書を読み上げて、表彰状のように筆者に手渡すという仰々しい儀式であった。職員に聞いてみると、これは「説示」であって、「行政指導」のように何かをやってくれというわけではなくて、単に文書を読んで渡す、それだけの意味しかないという。

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「不当な差別的取扱いをすることを助長・誘発する目的」とは事実無根のことなのだが、実は先日岩城光英法務大臣が参議院の法務委員会でそのようなことを言ってしまったので、こうでも書いておかないと格好がつかんということなのだろう。

上原善広氏も橋下徹前大阪市長に訴えられていた。結果は上原氏勝訴!

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もう4年ほど前のことだが、新潮社が発行した新潮45(2011年11月18日号)に掲載された、ノンフィクション作家・上原善広氏による「孤独なポピュリストの原点」という記事を覚えているだろうか?

橋下徹氏と言えば、昨年12月に大阪市長としての役目を終え、政界から引退したところではあるが、当時の橋下氏は大阪府知事を辞職して大阪市長選に立候補するという大胆な行動に出たところで、まさに時の人だった。そんな折掲載されたのが上原氏による記事で、橋下氏の実父の之峯ゆきみね氏は同和地区出身のヤクザで最期はガス管をくわえて自殺、従兄弟は金属バットで人を殴り殺して逮捕といった、橋下氏の親族の過去を赤裸々に暴露するものだった。

同時期に同じく新潮社の週刊新潮は「「同和」「暴力団」の渦に呑まれた独裁者「橋下知事」出生の秘密」というタイトルで上原氏の取材に基づく同様の記事を掲載。

いずれも非常にインパクトのある記事だったため、関西地方を中心に両紙は売れに売れまくった。

公人とは言え、ルーツが「同和」であることを暴露した記事は今までにないものであり、当時の常識では大問題になりそうなものだったが、取材を行ったのが自ら同和地区出身を公言している上原氏だったためか、部落解放同盟も腰が引け気味で、ほとんど「お咎め無し」に近い状態でその話題は収束した。

と思いきや、翌年、朝日新聞出版が発行した「週刊朝日」2012年10月16日号が佐野眞一氏による「ハシシタ 奴の本性」という記事を掲載してこの話題を蒸し返した。しかし、朝日新聞出版には新潮社ほどのバックボーンがなく、しかもその記事が二番、三番煎じで質の悪いものだったから、さあ大変。部落解放同盟に目をつけられた朝日新聞出版は申し開きが出来ず、世間の同情もあまり集められなかったため、朝日新聞出版と佐野氏はお約束通り糾弾されて「フルボッコ」状態にされてしまったのである。

さらに、朝日新聞出版と佐野氏は橋下氏にも訴訟を起こされ、金銭(金額は非公表)を支払って和解するはめになってしまった。

無論、新潮社も無傷では済まず、こちらも橋下氏に訴訟を起こされ、2015年10月5日に大阪地裁は橋下氏に対する名誉毀損とプライバシー侵害を認めて、新潮社に275万円の支払いを命じた。

しかし、不可解なのは戦犯中の戦犯とも言える上原氏にはノータッチなところだ。これはおかしいのではと思っていたら、やっぱり上原氏も橋下氏に訴えられていた。

橋下氏が上原氏を訴えたのは2014年3月5日。実は2014年4月17日の毎日新聞が橋下氏が当時6件の訴訟を提起し、朝日新聞出版、新潮社、文藝春秋、そして佐野氏が相手方であることを報じている。しかし、不思議なことに上原氏も被告に加わっていることはどこも報じていない。

筆者は大阪地裁を訪れ、訴訟記録を確認したところ、上原氏が訴えられたのは、新潮45の件。橋下氏は新潮社と上原氏が共同して1100万円(1000万円が慰謝料で、100万円は弁護士費用)を支払うことを請求している。では、橋下氏が新潮45の記事の何が問題だと主張しているのかというと、これも不思議な事に「同和」に絡む事柄は一切スルーしており、「死亡した橋下氏の実父は暴力団員」という記述が名誉毀損であるという、ただ1点のみが問題とされている。

上原氏が絡む裁判で同和の話題を出すと、言ってみれば同和vs同和の争いとなり、同和に甘い傾向のある裁判官としては判断に困り、こじれることは必死で、裁判が長期化するのを避けようと考えたのだろう。

それはさておき、上原氏に勝算はあるのか?

当然、新潮社及び上原氏側は、記事は真実であり、橋下氏の名誉を毀損するものではなく、公益性があると主張している。それに対して、橋下氏は実父の前妻による「之峯がヤクザだったというのは嘘八百」という趣旨の陳述書を提出。前妻によれば、之峯の体に刺青はなかったという。

しかし、上原氏側の取材メモや陳述書によれば、他の親族や周辺人物は、之峯は刺青を入れていたし、下っ端ではあったもののヤクザだったのは間違いないと証言。前妻は橋下氏や之峯氏をかばうために、嘘をついているのではないかということなのだ。

新潮45の記事では所属していたのは「土井組」となっていたが、実際には下部組織の「津田組」であるという若干の違いはあるものの、些末なことであり、筆者が記録を見た限りでは「橋下氏の実父は本当に暴力団だったか、そうであると信じるに足る十分な理由があった」ように思える。

とすると、おそらく事実だとしても、亡き父親が暴力団だったということを暴露することが、相手が公人であっても許されるのか、ということが争点となるだろう。

ただ、新潮45の記事は週刊新潮ほどえげつなくはなかった上、裁判では同和絡みの問題がスルーされているので、ひょっとすると上原勝訴ということもあり得るか、仮に上原敗訴となっても比較的少額の賠償で終わるのでは、というのが筆者の予想である。

さて、本日3月30日13時10分、さきほどのことであるがに大阪地裁で判決が下された。判決は、橋下氏の請求を棄却。上原氏勝訴である。

判決の理由、今後橋下氏側が控訴するかどうかは不明である。

訴訟を担当した「橋下綜合法律事務所」によれば、今後の対応について「個人の訴訟であり、コメントはない」ということである。

部落地名総鑑の元ネタは全国部落調査

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「部落地名総鑑の原典は全国部落調査」。先日、横浜地裁が全国部落調査の復刻を差し止めたニュースと共に、この事実が全国を駆け巡った。

部落地名総鑑が全国部落調査を元に作られたということは、おそらく部落地名総鑑事件に関する最大のタブーであり、これは部落解放同盟内部でさえ半ばタブーであったようである。以前、解放同盟系の講演会で、講師が「部落地名総鑑の元になったのは何か、これは分かっているのですが、どうしてもこの場で言うことはできません」といった趣旨のことを話していたことが記憶に残っている。

それが解放新聞のみならず、全国紙にまで掲載され、一般人の知るところとなったのだから、大きな変化である。部落地名総鑑の原典は全国部落調査であるという事実を一般紙が書くことは以前ならはばかられたであろうが、横浜地裁の仮処分の直後、解放同盟側が東京地裁の司法記者クラブで大々的に会見を開いたので、一般紙もためらう必要はなかったのであろう。

今、起こりつつあるのは「タブーの価格破壊」だ。特に部落地名総鑑事件以後、全国部落調査は事情を知る所有者には慎重な扱いをされてきたのだろうが、もはや意味はなくなった。この本が持っていたであろう重厚なオーラは既に剥ぎ取られた。

ところで、ご存知の通り全国部落調査は今から80年前、2・26事件があった1936年に作られた書。事情の知らない人は「部落地名一覧を出版するのはけしからん!」と脊椎反射的に思うようだが、そのような方々にぜひとも知っていただきたいのは、部落の地名一覧が掲載された出版物は、何も全国部落調査だけではないことだ。

例えば、最も新しいのは大阪市人権協会(大阪市の同和事業の窓口団体で、実質的には解放同盟の関係団体である)が2003年に出版した「50年のあゆみ」である。この本には大阪市内のそれぞれの同和地区の区域が地番までかかれており、まさに大阪市版部落地名総鑑あるし、全国部落調査よりもずっと正確で詳細だ。この本は例えば大阪市立中央図書館では開架に置かれており、当たり前のように借りてコピーすることもできた。

それがネットで明るみになった時に、「部落解放運動のためだからいいんだ!」と最後まで言い張るのかと思えば、現在この本は大阪府内の図書館では利用制限がかけられている。つまり、皮肉にも行政からは要注意図書との扱いを受けている。

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これに限らず、有志がまとめた同和地区Wikiの文献のページには、大阪府、和歌山県、高知県、長野県、群馬県等の部落一覧が掲載された文献がまとめられている。いずれも古書店などで手に入ったり、図書館などで閲覧、コピーできるような資料だ。

鳥取県東部の「穢多村」の場所が記載された「因幡誌」に至っては、国立国会図書館がインターネットで公開している

もちろん、これはごく一部であって、図書館の資料をくまなく探せば、部落一覧が掲載された出版物はもっと出てくるだろう。それをわざわざ探して見つけては、制限図書にするのは現実的ではない。また、さきほどの因幡誌などは、江戸時代に書かれた純粋な歴史資料で、これを制限図書にするのはあまりに馬鹿馬鹿しいことだろう(もっとも、解放同盟に配慮して江戸時代の地図や過去帳を秘密扱いにするという馬鹿馬鹿しいことが現実に行われているが)。

それなのに、全国部落調査にここまで激烈に反応するのはなぜか、ということが問題なのである。その答えは、「部落地名総鑑の元ネタは全国部落調査」だからだろう。

解放同盟は、なぜ全国部落調査がだめなのかというと「部落差別がある現状で」というような趣旨の条件をつけているが、これも矛盾している。

差別がなくなれば部落の場所を公開してもいいという理屈なら、将来的には公開されるものという前提となるはずだが、解放同盟は永久に発禁にする勢いで「糾弾闘争」をしている(要は「差別をなくす気はありません」ということかも知れないが)。また、部落解放同盟や関連団体が過去に部落地名を掲載した本を出版していたのに今になって同じような本を糾弾するというのは、完全に順序が逆だ。

部落地名総鑑については、以下の動画で解説しているので、ぜひ最後までお聞きいただきたい。

さて、おそらく読者が気になっている思われる、冒頭の写真の本は、「フリマアプリ界の西成」と名高い「メルカリ」で発売中である。メルカリでは売り手と買い手が互いに個人情報を知らせずに取引でき、弊舎と小林健治・解放同盟のイザコザに巻き込まれる心配はないので、安心してご購入頂きたい。

メルカリで出品停止にされたので、ぐるぐるオークションのフリマモードで販売します。

転売用の10冊セットもあります。売り切れ次第終了です。

箱根で本物の温泉卵を作るには(前編)

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昨年5月、箱根の火山活動が活発化し、火口地帯である大涌谷周辺は立入禁止とされた。周辺の規制は徐々に解除されたものの、肝心の大涌谷への立ち入りは未だに規制されたままだ。

名物の「黒たまご」も、卵をゆでる場所に立ち入りできないため、残念ながら製造ができず、販売もされていない状態だ。

しかし、箱根には大涌谷以外にも、卵をゆでることが出来る場所があるという。その場所は、「硫黄地獄」と言うそうだ。

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グーグルマップで調べると確かに出てくるのだが、ストリートビューは入っておらず、航空写真で見ても何があるのかよく分からない。

とにかく、これは実際に行ってみようということで、昨年の9月にグーグルマップのナビを頼りに行ってみたのだが…

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結果はこの通り。看板には午後5時から午前7時まで通行止めとあるが、今はずっと閉鎖されたままのようだ。

やはり火山活動の活発化でここも規制されてしまったのかと思い、一旦は帰ったものの、よくよくネットで調べてみると、今でもそこに行ったという報告が見受けられる。ということは、何らかの方法で現地に行けるということだ。

再度現地を訪れたのは昨年の12月。近くのホテルの関係者に聞いてみたところ、車両通行止めというのは、あくまで車両が入れないということであって、人の立ち入りが規制されているわけではない。しかし、「行ってもいいけど、ガスが出ていて気分が悪くなったりすることもあるので自己責任で」ということだった。

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そこで、今度は通行止めをまたいで越えて、先へと歩いて進んでみた。

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途中に分かれ道がある。左に進むと、「工事関係者以外立入禁止」の看板があって道がふさがれており、これ以上進めなかった。そこで右へ進むと、道の向こうにぼんやりと湯気が上がっているのが見えた。

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道路の脇に温泉が湧いている。硫黄が主成分と思われる、黄色っぽい湯の花が沈殿しており、まさにこれが硫黄地獄と見て間違いないであろう。

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観測のためか、温度計が設置されている。現在の温度は79.9度。卵をゆでるには十分な温度だ。

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早速、コンビニで買った卵を投入。温度センサーが取り付けられた鉄筋が差し込んであるところが泉源らしい。

ちなみに、周囲には卵のパックに貼られていたと思われるラベルが落ちていたので、度々誰かがここに卵をゆでに来ているようだ。

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30分ほどゆでた卵。硫黄のためか表面がまだらに黒ずんでいる。名物の黒たまごほど黒くはないが、中はしっかりと固ゆで卵だった。

しかし、何か物足りない。温泉卵と言えば、白身がトロトロで黄身は固まっている、あれだろう。

この温泉はかなり熱いが、源泉温度日本一の湯村温泉の98度よりはかなり低いので、工夫すれば温泉卵を作ることができそうである。

(次回に続く)

全国部落調査の再発見は何故都合が悪いのか

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去る4月7日、示現舎の事務所に横浜地方裁判所川崎支部の通知書が置かれていた。要は、不在だったのでピッキングして勝手に中に入りましたということなのだ。

執行官で電話で聞いてみると、全国部落調査を差し押さえる仮処分の強制執行を解放同盟側が裁判所に申し立てたのこと。当然、現物は存在しないので強制執行も空振りに終わり、その旨の調書を作るということである。

プライバシーだ、人格権だと言いながら、ありもしない本を探しに、他人の住居にピッキングして入るというのは、本末顛倒もいいところだろう。

さて、そして同時期に筆者に対して再び仮処分の申立てがされた。

ウェブサイト削除等仮処分命令申立書-H28-4-4.pdf

審尋期日呼出状及び答弁書催告状-H28-4-8.pdf

今度は「同和地区Wiki」等に掲載された全国部落調査の削除を求めるというものだ。

仮処分の審査のための審尋期日は4月18日10時、横浜地裁相模原支部である。

それにしても、なぜ解放同盟は「全国部落調査」をここまでして隠したいのだろうか。

理由の1つは、部落地名総鑑は差別図書だと言ってきたのに、実は元ネタが融和事業の資料だったという事実が彼らのメンツを潰したことである。解放同盟は部落地名総鑑自体は差別ではないと言った広島法務局呉支局総務課長や塩見鮮一郎を批判したが、彼らの言ったことが正しいことが証明されてしまった

要は、差別目的で作られたものであろうと、部落解放の目的で作られたものであろうと、部落リストは部落リストであって、それが差別かどうかはそれを使う人次第ということなのだ。

もう1つの理由は、全国部落調査の内容を精査すると、今までのステレオタイプな部落像が大きく変わってしまうことだ。

全国部落調査によれば、ほとんどの部落の産業は農業である。部落と言えば肉屋や皮革というステレオタイプは明らかに間違いで、こちらのページのように、むしろ一部の部落だけにしか当てはまらないようなことを、あたかも全ての部落に当てはまるかのように言って偏見を広めたのは解放同盟ではないかということが疑われるのである。

また、富山県には233の部落が掲載されているのに、戦後指定された同和地区は1つもない。石川県、東京都、東北各県でも同じ状況がある。

部落の位置情報が公になると、解放同盟だけが、誰が「被差別部落出身者」かということを恣意的に認定できなくなる。「お前は地区外だから差別者だとか、君は地区内だから“きょうだい”」だと都合よく言えなくなる。

自らを「被差別者」とすることで同情を集めることで作られた、ある種の権威が崩壊してしまうのである。

さて、今回の仮処分の請求は「鳥取ループは今後一切全国部落調査の内容を公言するな」という強力なもので、これもまたあり得ないようなものだが、横浜地裁の例からすると、また仮処分が通ってしまう可能性はある。しかし、また大きく報道されるという二番煎じがあるのか、そこまでは予想がつかないところである。

箱根で本物の温泉卵を作るには(後編)

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温泉卵は、卵の黄身が65から70度で固まるのに対し、白身が固まるには70度以上の温度が必要なことを利用して作るものである。要は65から70度の温度をキープした状態で卵を茹でればよい。

そこで、今度はキッチン用の温度計を持っていくことにした。

卵にもごだわるため、遠回りになるが山梨県の道志村を通るルートで箱根に向った。道志村と言えば名水で有名なところで、丹沢の湧き水を引いてきた大渡おおわたの水汲み場があるのだが、その隣の販売所で、地鶏の卵が売られている。これが名古屋コーチンやアローカナの卵で、1個あたり100円以上もする高級品だ。

しかし、残念ながら販売所は休みだったので、次善の策としてさらに道を進んだところにある、直売所で地卵を買った。こちらは13個で700円。

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さて、現地に到着。早速卵をネットに入れて準備する。

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しかし、今日は源泉の温度がかなり高いようだ。写真では見づらいが、例の温度計は88.3度を示していた。どうも、この温泉は日によって温度が大きく変わるらしい。

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写真の上から温泉が湧き出し、下に向かって流れている。下流にいくほど温度が下がるはずなので、どこかにちょうどいい温度のポイントがあるはずだ。温度計があってよかった。

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下流に温度計を差し込むと、80度、75度と徐々に温度が下がっていき、67.9度と、まさに温泉卵にはこれ以上ない最適温度のポイントを発見。

現地には親切にもプラスチックのスコップが置いてあったので、最適温度のポイントに穴を掘って、そこに湯をためて卵を投入した。

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卵を投入してしばらく置いてみたが、湯の温度は相変わらず68度前後の安定した温度をキープ。これで30分放置してみた。

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温度が低いためか、殻は黒くならなかったが、割ってみると、まさにパーフェクトな温泉卵である。

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温泉卵と言いながら黄身もドロドロということはありがちだが、この温泉卵は、箸で割ってみると黄身にはしっかりと弾力があった。一方、白身は箸で軽くかき混ぜると崩れるくらいトロトロである。

冷静に考えれば、わざわざ箱根まで行かずとも、温度計さえあれば家でも同じものが作れるのだが、やはり本物の温泉で作ったというところにプレミア感がある。しかし、現地は本当に硫黄臭い場所なので、あくまで自己責任でやっていただきたい。


北海道アイヌ探訪記(13)金子市議応援セミナー

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アイヌ協会も支部によって考えは様々であり、また旭川のように独自路線を突き進むアイヌがいる。一方、「アイヌ利権」を追求する側の思惑も様々だ。

2014年9月20日、金子市議応援セミナー「絶体絶命・金子市議、アイヌ利権の闇を語る」が開催された。このセミナーを主催したのは、札幌市の保守系政治団体「日本のため行動する会」(日行会)である。

セミナーの表題通り、この時金子市議は絶体絶命で、札幌市議会で議員辞職勧告が決議される直前だった。

保守系団体主催で、金子市議が元自民党会派ということもあって、セミナーの参加者の多くも自民党・安倍政権支持ではあるのだが、この場は「オフレコ」ということで、ここぞとばかりに、公明党との連立にからむ自民党のあり方や、自民党の一部の国会議員を批判する発言が飛び交った。

特に北海道、そして自民党の重鎮、町村信孝前衆議院議長(故人)に対しては、辛辣な声が多かった気がする。町村氏といえば自民党内保守グループ「清和会」を森元首相から引き継ぎ、町村派として派閥の長となった。このため”タカ派”のイメージが強いと思いきや、アイヌ問題に対するスタンスは”ズブズブ”。「オヤジの金吾(元北海道知事)の時代からアイヌにバラマキを始めた張本人」「金子議員をかばわなかった」といった声が漏れた。官房長官時代には、「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」が開催され、「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議、国会両院で採択」でも一役買った。

そして、このセミナーの中盤で演壇に立ったのはアイヌ研究者・河野こうの本道もとみち氏である。

実は、筆者がこのセミナーに参加した主な目的が、河野氏の講演だった。そして、河野氏は約半年後に他界することになるので、河野氏の講演を聞くのはこれが最初で最後になってしまった。

河野氏は、かつてのウタリ協会と決別した理由を次のように語った。

「歴史づくりを外注するようなものなんです。研究者に自分たちの都合のよい歴史を作ってもらって、それを武器にして行政にねじこむ。そういう魂胆が見えたわけです。そうはさせないぞというのが私の生き方であって…」

そして、アイヌは本州の同和行政とは一線を画していたのに、同和行政で多額の予算が出されたのを見て、やっぱりアイヌの側がそれを欲しくなった。そういう経過があったという。

2008年の「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」は、「アイヌ」も「先住」も「民族」も何も明確な定義がないままで、「アイヌのことを大事にも思っていない国会議員」が何も議論せずに決めてしまったこと、というのが河野氏の主張だ。

河野氏の後、セミナーのトリを務めたのが金子市議本人である。金子市議は、今回の経緯を説明した。

問題が拡大した発端は、8月16日に毎日新聞が報道したことである。金子議員は特に悪意はなく、当然のことを発言したつもりであったので、毎日新聞の取材には素直に答えたという。

8月18日までは、自民党会派は発言は問題ないという見解だった。その時点の見解の内容が次の通りだ。

(今回の発信の真意と認識)

今回の金子議員の「ツイッター発言」につきましては、これまでも金子議員が取材等で発言されておりますように、アイヌについて否定するものではありませんし、アイヌの歴史・文化を否定するものではありませんが、金子議員は、百科事典に記載されており、アイヌの言語学者であり北大の教授でありました、知里真志保(ちりまちほ)教授が瀬地名に使用していた内容を引用したとのことであります。

※引用した内容は、一般的な百科事典であり、問題ある内容とは考えていないものであります。

(会派としての見解は)

アイヌの歴史、文化等に対する考え方は、人それぞれ多様な意見がありますので、会派の中でも金子議員の考え方だけではなく、全く違う考えをお持ちの方もいるものと考えます。

(会派として統一的な見解は示さないのか)

アイヌの歴史や文化等を否定するものではないことは、統一されている見解でありますが、その施策等への対応については、議員個々人によってアプローチの仕方は違いがあると考えます。

8月21日にNHKの報道があってから、公明党や野党から議員辞職を求める動きが広がり、自民党会派からも金子議員に「インターネット禁止処分」が出されてしまった。

8月28日には自民会派から会派離脱勧告が出て、9月1日付けて金子市議は自主的に会派を離脱。

この日に「少数民族懇談会」と名乗る団体が事務所に直接抗議に訪れたのだが、この団体の電話番号を調べると、なぜか共産党の事務所の番号だった。他に、2団体が直接抗議に訪れ、9月4日には、なぜか福岡県の「部落解放同盟飯塚市協議会」から金子市議に郵送で抗議文が届いた。

9月10日には自民党から除名された。そして、予定通り9月22日には議員辞職勧告決議案が可決されたのである。

セミナーの後、懇親会があり、セミナーの参加者に話を聞く機会があった。やはり、ほとんどの参加者は札幌周辺の住民であり、はるばる本州からやってきたのは筆者くらいだ。また、日行会や保守系の政治団体のメンバーで、普段はサラリーマンなど普通の仕事をしている人というのが多かった。

ある参加者に、

「アイヌというのは北海道民にとってはどういうものなのですか?」

と問うと。

「別にどうというものでもない」

といった感じの返事だった。

例えば、小中学校の同級生にアイヌが何人かいるが、就職支度金のような制度のことを聞いても、制度の存在自体を知っている人というのが、まずいないという。

「北海道にアイヌが何万人かいて、そのうちアイヌ協会に入っているのが1割くらい、さらにその中で給付金や貸付金を受けている人というともっと限られる」

結局、北海道でも「アイヌ利権」のことはほとんど知られていないし、アイヌ民族がいるかどうかであるとか、差別がどうといったことについても、そもそも大多数が無関心なのが実情なのだという。

一方、金子発言の支持者の中には、セミナーについて次のような苦言を呈する人もいる。

「日行会のメンバーには在特会(在日特権を許さない市民の会)のメンバーがいる。(日行会の)チラシに「品位ある確実な行動を」と書いてあるでしょ。裏を返せば、品位のない行動をする奴がいるから、わざわざこんなことを書かないといけないわけ」

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確かに、与党からも野党からもメディアからも四面楚歌になっている状態で、例えばどこかの労働組合が動員をかけてくれるわけもなく、協力する政治団体というのは限られてしまうだろう。

ところで、「在特会」の名前が出てきたが、このような状況こそが在特会のような団体が現れた理由の1つなのかも知れない。

「政治に不満のある若者は選挙に行け!」と言うが、こうしてせっかく当選した議員も多数派が決めた「公式見解」に反することを言えば、メディアの力によって、いとも簡単に排除されてしまうのである。議員1人を辞職に追い込むということは、その議員だけの問題ではなく、その背後にいる何千人、時には何万人という投票した有権者の問題でもあるはずなのだが、同和、アイヌのような「人権課題」が絡むと、それが顧みられることはないように思う。

選挙に行ったところで、政治家が自分の考えを代弁してくれることを期待できないのであれば、それ以外の手段、例えばデモに訴えるしかないだろう。

デモというのは、世間にアピールするものなのだから、要するに目立った者勝ちである。事実、過激な行動を取ればニュースになるし、実際に意見を聞いてもらえる。それは右も左も関係ない。2014年10月20日に橋下徹大阪市長(当時)と桜井誠在特会会長(当時)の会談が実現したことが好例だろう。

政治の世界では「ヘイトスピーチ」という言葉がもう何年も流行しているが、かくいう金子発言も「ヘイトスピーチ」と非難されたところである。政治家がツイッターで思ったことをつぶやくのも、集団で朝鮮学校に押しかけて叫ぶのも、同じヘイトスピーチとの評価をされるなら、いっそ「毒食わば皿まで」ということになってしまわないだろうか。

(次回に続く)

「復刻・全国部落調査」を入手する方法

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示現舎では、「同和が絡めば歴史文書の出版妨害をしてもよい」という、同和問題解決に反する動きに対抗するため、「復刻・全國部落調査」の印刷用マスタデータを広く配布することにしました。以下を各自手元に保存してください。

表紙.pdf
本文.pdf
A4用紙に両面印刷し、中央を裁断して背を綴じて周囲を裁断.pdf
A3両面印刷対応プリンタ用.pdf

これらは127mm x 180mmのA5版縮小サイズとなっています。家庭用のプリンタでA4用紙に両面印刷して断裁し、キンコーズ等で「くるみ製本」することで、誰でも復刻・全國部落調査の本を手にすることができます。

少部数印刷に対応した印刷業者に依頼して、さらに高品質なものを作ることも出来ます。「オンデマンド製本 格安」といったキーワードで検索すると、業者を見つけることができます。安いところでは、千円程度で作成可能です。

A5サイズ(148mm x 210mm)のマスターも用意しました。A4対応のプリンタでは紙1枚に2面しか割り付け出来ませんが、こちらの方が文字が大きくて読みやすいです。印刷業者に全て任せる場合にはこちらのサイズがよいでしょう。

A5表紙.pdf
A5本文.pdf

以下は高画質な表紙画像です。表紙の入稿を画像データで受け付けている業者で利用してください。

表紙_600dpi_CMYK.jpg
A5表紙_600dpi_CMYK.jpg

部落についての情報は国民共有の財産です。特定の団体が情報を独占することは、自由な議論の妨害であり、部落の住民にとっては団結権の侵害でもあります。部落とは何なのか、研究と議論の自由を守るため、どんどん印刷しましょう。また、これを期にオンデマンド製本を体験してみるのも一興です。

示現舎とは何か

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昨日、横浜地裁相模原支部の仮処分決定が届きました。決定の内容はこちらです。

仮処分決定-H28-4-18.pdf

おそらく今度は間接強制がかけられるので、「同和地区.みんな」ドメイン及び筆者が対処可能なサイトは別サイトに転送しておきました。ただし、「全國部落調査のミラーサイト」についてはドメインを含めて筆者にはどうにもできません。

さて、ニュースを見て本サイトを訪れた人が多いようなので、示現舎について簡単に説明します。

弊舎は2010年から2012年まで「月刊 同和と在日」という本を発行していました。

また、原点とも言える、滋賀県での同和地区地名の問い合わせ問題と、部落解放滋賀県の名簿流出、爆破予告事件を扱った、こちらの本が弊舎の代表的なものです。

「同和」と「在日」に象徴される(昨今はアイヌやLGBTもそうなりつつありますが)、メディアの自主規制によりまともに議論できない問題の核心に踏み込み、真のジャーナリズム、言論、表現の自由を実現することを目的とします。少しでも「公式見解」から外れたことを言えば排除されるような昨今の状況を打開しなければ、問題の解決はあり得ない、それが示現舎の信念です。一部の人々からは、悪質な差別主義者とかヘイト出版社と言われておりますが、そうではないことは弊舎の本をお読みになれば分かっていただけると思います。

そもそも「同和」とか「部落」とかよく分からない方は、こちらの入門動画を御覧ください。

北海道アイヌ探訪記(14)アイヌの認定基準

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結局のところ、「アイヌの定義」とは?

さて、いよいよアイヌ探訪も終盤となるわけだが、未解決の問題が1つある。結局のところ、アイヌの定義とは何なのかということだ。

誰でも自分がアイヌだと主張すれば、アイヌになれてしまうのではないか。その1つの反証がアイヌ協会の入会基準である。

アイヌ協会を訪問し、アイヌの定義について尋ねると、次のように説明された。

「誰でもアイヌになれるというわけではありません。例えば、協会ではアイヌの地を引いているか、養子であれば1代限りというルールがあります」

そして、示されたのが次のアイヌ協会の入会申込書である。

nyukai1

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アイヌ協会の説明と、申込書からは次のことが読み取れる。

まず、アイヌの定義は①アイヌの直系子孫であること、②アイヌの直系子孫の子であること、③①または②に該当する者の配偶者、この3つのうちの1つに該当することである。そして、それを証明する手段は、戸籍や信憑性のある文書、地元の人の証言等である。

現在の戸籍には「アイヌ」や「旧土人」といった記載はないので、いわゆる「アイヌらしい名前」の人が先祖にいるということが手がかりになる。また、先祖がウタリ協会の会員であったということも1つの証拠になる。先祖が著名な人物であれば、アイヌとして過去の新聞や書籍に記載されている可能性もあるだろう。また、旧土人保護法により土地を給与されたといった文書も証拠となるだろう。

いずれにしても、アイヌの定義は、文化や言語、国籍、コミュニティということではなくて、あくまで血筋なのである。

以前の記事、明らかに韓国系の名前のアイヌがいたという話に触れたが、注意すべきは仮にそのような事があったとしても矛盾はないことだ。例えば韓国人男性の金さんが、日本人アイヌ女性の貝澤さんと結婚したとする。その子供が金と名乗り、なおかつ韓国籍を選択し、韓国語を話していたとしても、血筋の上ではアイヌということなのだ。無論、そのような極端な事例は稀だとは思うが、制度上はあり得ることになる。

法律上のアイヌの定義はどうだろうか?

旧土人保護法が生きていた1986年、猪熊重二参議院議員が「「北海道旧土人」とは、何人を指称するのか。アイヌ民族を指称するものと理解してよいか」「右法律を適用するためには、当然に、「北海道旧土人」すなわちアイヌ民族とそれ以外の日本国民とを識別することが前提となるが、この識別の法的基準はどのようなものか」という内容の質問主意書を提出した。それに対して、当時の中曽根内閣は「アイヌ」を「ウタリ」と言い換えて「「北海道旧土人」とは、ウタリの人たちを指称するものである」「現在、北海道旧土人保護法の適用に当たり、ウタリの人たちであるか否かを識別する必要は生じていない」とそれぞれ答えている、

つまり、アイヌの存在を認めつつ、アイヌの定義については、定義する必要性がないとして明言を避けている。

旧土人保護法が廃止され、代わりにアイヌ文化振興法となった現在でも、法律上アイヌの定義は存在していない。その代わりに、アイヌ文化振興法には「「アイヌ文化」とは、アイヌ語並びにアイヌにおいて継承されてきた音楽、舞踊、工芸その他の文化的所産及びこれらから発展した文化的所産をいう」と、アイヌ文化が定義されている。

少なくとも現行法が予定しているのは。「アイヌの保護」ではなくて、あくまで「アイヌ文化の保護」である。従って、文化と血筋は別のものなので、本来はアイヌ文化の担い手であれば、アイヌの血筋を引こうが引かまいがどうでもよいはずなのである。

しかし、「アイヌ民族」に対する施策を実施しようとしている現在の政府は、アイヌの定義について責任をアイヌ協会に丸投げしているのが実情であり、法律は「文化」を保護する趣旨であるのに、施策は事実上「血筋」を基準としている点で、法律と施策のねじれが生じている。

筆者は、アイヌに対する政策は法律通りに「文化」を保護するのが正道だと考える。人間は天然記念物ではないのだから、「血筋」を遺すように強制できるものではないし、おそらく多くの国民は将来も見ることが出来ることを望んでいるのは、アイヌの血筋を引いた「人間」ではなく、変化しつつも細々と北海道に残っているアイヌの「文化」であると思うからだ。

(次回に続く)

部落探訪(5)京都府京都市“崇仁”

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京都の部落と言えば、周囲との隔絶感が半端ないと言われることがある。そういう人は、おそらくこの部落を思い浮かべるのだろう。しかし、時代の流れか、崇仁は急激な変化を迎えている。

2013年3月27日の京都新聞の報道により、京都市立芸術大学が崇仁地区への移転を計画していることが明らかになった。

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従って、現在崇仁地区は開発の真っ最中である。地区の中心部ではあちこちが整地され、フェンスで囲われている。その空き地を縫うように細い道が路地の面影を残している。付近で仕事をしているという人に聞いたところでは、これらの土地は大学の敷地になるのではなく、新しい市営住宅が建設されるようだ。

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筆者が訪れた時にはまだ古い住宅も残されており、路地の面影もわずかに残されるようだ。

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地区の西側の古い市営住宅の中心には公園があり、公園の脇には神社がある。この神社の由来は残念ながら不明である。

この市営住宅は大学の移転に伴って取り壊される予定だ。

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地区の南側の市営住宅の1階には店舗がある。

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地区内には「平成の京町家」というモデルハウスの展示場があったので、入ってみた。案内の方に聞いてみると、たまたま崇仁に展示場があるだけで、崇仁に住む人をターゲットにしているというわけではないという。ただ、展示場には地元崇仁の町内会長も時々訪れるそうで、モデルハウスの中では「崇仁まちなかスケッチ体験作品展」が行われていた。

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崇仁の一番の名物と言えば、写真の「ラーメン第一旭」だろう。一本道路を隔てているので正確には地区外ということになるかも知れないが、いつも行列が出来ている。いわゆる「京都ラーメン」で、京都というイメージからは意外に感じられるかも知れないが、濃い色のスープである。

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線路沿いには大きく傾いてしまった神社があった。

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崇仁の特徴は、都会のど真ん中にあり、京都駅から歩いて行ける距離にあるところである。

一方、京都といえば建築制限が厳しいことで有名で、崇仁地区も20メートル以上の高さの建物は建設できないことになっていたが、最近になって31メートルに緩和された。京都では外国人観光客の増加でホテルが不足しており、新たに建設しようにも制限が厳しいことがネックになっていたことが背景にあるという。

今後崇仁における建設ラッシュは加速し、数十年後にはこの部落はすっかり都市に飲み込まれてしまうかも知れない。

全国部落解放協議会の加入者を募集します

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部落研究の自由への妨害に対抗するため、全国部落解放協議会(全国協)の加入者を広く募集することにしました。

活動内容の詳細については追ってメールで連絡します。グループサイトの開設、会員の親睦会等を予定しています。入会金、年会費は不要です。本会は自主・自立・自由の組織です。入会後何かを強制することはありません。抜けることも自由です。

本会は部落民(過去に部落に住んでいた等、部落に縁のある人等)により結成される団体です。本会は、部落民に対する差別に対抗します。特に部落研究の自由への侵害、「部落に住むと差別される」「部落出身と知ってショックで自殺する人が後を絶たない」といった風評被害の拡散・部落民への侮辱、えせ同和行為には断固対抗するものです。

参加をご希望の方は、以下の加入申込書に記入して送信してください。

加入申込書

さて、示現舎は5月8日までゴールデンウィーク休暇に入ります。皆様、よい休暇をお過ごしください。

部落探訪(6)神奈川県厚木市下古沢、飯山

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神奈川県最大の部落は、唯一の隣保館がある秦野市曽谷であるが、2番めの規模の部落はどこかというと、意外なことに厚木にある。

今回は厚木市下古沢しもふるさわにやってきた。

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場所は厚木市の中心部から離れた所にあるので、アクセスするにはバスで行くか、車で行く必要がある。地区の中心には広場のようなところがあったので、ここに車を停めさせていただいた。

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広場の近くに早速全日本同和会の支部を見つけた。工務店の事務所が支部を兼ねている。神奈川県で全日本同和会と言えば、同和団体というよりも土建業者の組合と評されるくらい、土木・建設関係の業者が多い。

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地区内には建設関係の業者が多く、広い土地に建築資材や廃材が置かれている。

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地区にある寺は本照寺で、これが大きな立派な寺である。その理由は、檀家が多いためで、周辺地域をはじめとして800戸くらいあるという。もちろん、檀家は部落に限らない。また、特徴的なのは西日本の部落に多い浄土真宗ではなく、日蓮宗であることだ。

日蓮宗は開祖である日蓮自身がインドの賤民である「旋陀羅せんだら」の子を自称していたと言われる。それゆえ、他の宗派に比べて日蓮宗は歴史的に賤民に対する別け隔てをしなかったと言われ、部落に対する「負い目」がない。そのため、浄土真宗等が解放同盟により「同宗連」を組織させられ過去の差別を責められ続けているのに比べて、日蓮宗は独自路線を進んでいる。

本照寺は室町時代の頃に建立され、当初は真言宗の寺であったが、当時の住職が日蓮宗の教えに感銘を受けたことから、日蓮宗に改宗して今に至っている。

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下古沢地区の自治会の掲示板。掲示されているのは「本照寺だより」やイベントの案内で、同和だとか部落だとか人権だと言った掲示物はない。同じ形の掲示板が隣接する飯山いいやま地区にもあり、内容も似たり寄ったりだ。

下古沢と飯山は隣接しているため、外見では1つの集落のようになっている。

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白山神社は飯山にあり、急坂を登った途中のところにある。

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白山神社は簡素な神社だが、中に太鼓があり、地元住民により祭りも行われているようだ。飯山ではなく、白山という別の自治会によって管理されていることが伺える。

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白山神社から部落の一部を見下ろすことができる。

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地区内には新しい家と古い家が混在している。政治団体のポスターはその地域の特色を示すバロメーターだ。解放同盟が強い地域では、やはり民進党(旧民主党)のポスターが多いが、下古沢・飯山では自民党あるいは自民党系の政治家のポスターしか見受けられなかった。

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全体的には典型的な神奈川の農村という佇まいなのだが、路地の面影を遺す風景もところどころに見ることができる。

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筆者が個人的に気に入ったのが、この子供の遊び場である。この門といい、奥にある土壁の倉といい、田舎育ちの筆者としてはノスタルジアを感じる。また、一見何ともないように見えるが、周囲と隔ててありながら、死角がないところが、非常に子供の安全に配慮した工夫がされている。

余談だが、日本の部落は外国人にも興味を持たれている。実は筆者自身、欧州から来訪を受け、関東の部落を紹介したことがあった。2020年東京オリンピックに向け、部落を日本の観光地として売り出すべきであろう。


鳥取市の同和減免住民訴訟の顛末

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2012年9月26日に、2011年まで行われていた鳥取市下味野地区の同和対策固定資産税全面の違法性確認を求めて住民訴訟が提起された。しかし、今年2016年4月19日の最高裁判所決定により、「却下」という結果に終わった。つまりは内容について審理をせずに門前払いということなのだが、どうしてそうなったのかレポートする。

これがその判決文である。

鳥取地裁-判決-H270605.pdf

広島高裁松江支部-判決-H271125.pdf

裁判所は、概ね次の事実を認定した。

  1. 鳥取市では遅くとも平成9年からいわゆる「同和対策減免」が行われていた。
  2. 同和減免は平成23年度に25%となり、平成24年度には廃止された。
  3. 昭和51年から55年にかけて、下味野地区内で同和事業として小集落改良事業が行われた。
  4. 文献によれば、下味野地区内に「穢多村」があった。
  5. 鳥取市の広報誌に下味野地区の住民が同和問題に対する取り組みや、同和問題に係る経験を投稿した。
  6. 遅くとも平成9年以降、下味野地区には隣保館が設置されている。
  7. 平成23年7月20日以降、鳥取市全体で1623件、2558万7400円の同和減免が行われた。
    1. ここまで認定すると、もはや「鳥取市下味野には同和地区があります」と言っているようなものだと思うのだが、「それでも下味野で同和減免が行われたどうかは分からない」というのが裁判所の結論である。

      こうなった要因は、同和減免に関する文書の提出命令を申し立てたのに対し、裁判所が却下されたからである。

      鳥取地裁-決定-H260326.pdf

      この決定に対して、最高裁まで抗告したが、結論は変わらなかった。曰く、「租税法律主義があっても、行政には課税要件を開示する義務はない」ということなのである。

      結局のところ、司法は個別の部落の問題についての議論や救済をすることはなく、地区ごとに違いがあるはずの部落というものを一括りにして一般化した議論しかできないということだと考えられる。

      さて、おそらく読者が気になるのは、この結果が示現舎が訴えられている「全国部落調査」の裁判にどう影響するかだと思うが、これはよく分からない。

      「意地でも同和地区の特定を阻止する」ということが最高裁の意図なら、当然示現舎にとっては不利だろう。しかし、「同和地区を特定するような裁判は意地でも審理をしない」ということであれば、示現舎にはある意味有利に働く。「却下」ということは、すなわち現状維持であるからだ。

      いずれにしても「全国部落調査」の件は審理から逃げるという選択肢はそう簡単には選べないと思うので、どのような結果になるのか、注目である。

志木市市議会議員に当選した「平成の龍馬」独占インタビュー(前編)

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先月10日に行われた、ある街の市議会議員選挙の結果がネットを中心に話題となった。その街とは埼玉県志木市、最下位ながら当選した候補の名前が「多田光宏」であった。所属政党は、その名も「NHKから国民を守る党」。

2012年に起こった、有料衛星放送をタダで見られる方法がネットで拡散してしまった、いわゆるB-CAS騒動をご存知の方であれば、すぐにピンと来たはずだ。

多田光宏氏と言えば、当時「平成の龍馬」を名乗ってブログ等でこの方法を拡散し、そのために警察に目をつけられてしまい、「私電磁的記録不正作出・供用」の罪で逮捕され、2013年12月3日に懲役1年6ヶ月、執行猶予3年の判決を受けたその人である。この騒動については弊舎刊、「B-CAS 事故 ‘8674422’」をお読みいただきたい。

「2ちゃんねる」等でも早速多田氏の当選は話題となり、概ねその反応は「ワロタ」の一言に尽きる。B-CAS騒動の時は無鉄砲な人物として半ば馬鹿にされていたのだが、それの人物が市議会議員選挙に出て、しかも当選した、もはや言葉が出てこない。

それにしても、多田氏はなぜ市議会議員選挙に出馬したのか、そして、なぜ当選することができたのか。その謎を解明すべく、筆者は志木市へと向かった。

埼玉化する日本」という本が出るくらい、埼玉というのは特徴のない地域の代表格のようなところだ。一方、東京のベッドタウンとして賑わいがあり、若者が多く、活気のある一面もある。

志木市も率直に言えばこれといって特徴のない街で、しかも小さな自治体である。人口は7万人程度で、東西が5キロメートル程度しかないので、少し頑張れば徒歩でも市内全域を廻れてしまう。

筆者は市内のファミリーレストランで多田氏に会うことができた。もう昼食時は過ぎていたのだが、それでもほとんどの席が埋まっていて、しかも若い女性が多い。

早速、筆者は多田氏に疑問をぶつけてみた。まずは「NHKから国民を守る党」とは何なのかということだ。

「政治的な部分で、“左”“右”というのは関係ないです。NHKが受信料を徴収する制度を廃止させたい、それだけです。例えば立花さんと大橋さん(後述)は“ブルーリボン”(北朝鮮に拉致された被害者の救出を願うバッヂで、昨今は保守系議員の目印のようになっている)を付けているような人ですが、僕は付けてないです」

NHKから国民を守る党は国政選挙での実績はないので、政党要件を満たしてはいないのだが、それでも地方議員を多田氏を含めて3人抱えている。代表の立花たちばな孝志たかし氏は千葉県船橋市議会議員で、さらに埼玉県朝霞市議会議員の大橋おおはし昌信まさのぶ氏が党に所属している。

党是は一言で言えば「反NHK」であって、その理由までは問わない。

NHKと言えば、最近の例では2009年に放送されたNHKスペシャル「JAPANデビュー」を巡って、日本の台湾統治を悪として描くという偏向報道があったとして、主に“右”の人々によって訴えられたことがあった。

一方、2001年に放送されたETV特集「戦争をどう裁くか」において、「女性国際戦犯法廷」について批判的な報道をしたことを巡って主に“左”の人々によって訴えられたこともある。

最近でもNHKを始めとして放送局が安倍政権寄りの報道をしているという“左”の人々の批判があり、そのため「思いっきり左翼」(多田氏談)な人が党の活動に参加することもあるという。

それでは、多田氏の政治的立場はどうなのかと言うと、このような答えが返ってきた。

「小さな政府というのが僕の考えです。しかも、もっと強力な。フリードマンの「資本主義と自由」のような考え方です」

フリードマンの「資本主義と自由」と言えば、いわゆる「新自由主義」のバイブルのようなものだが、しかし、多田氏は新自由主義という言葉は好まないということだ。

「新自由主義と言うと、最近ではどうしても右みたいに思われてしまう。左翼の人は自由主義というと弱者切り捨てみたいに言うけど、そうではなくて最低のラインは確保して、その上で自由な競争をするということです」

例えば、年金などの福祉政策を一切廃止する代わりに、一定の金額を全員に給付する「ベーシックインカム」や、低所得者に一定の所得に満たない分を給付する「負の所得税」という考えに多田氏は賛成だという。そして、自らの考えには「リバタリアン」という言葉が合致するだろうということだ。

また、B-CAS騒動で逮捕された経験から、警察とメディアの癒着にも疑問を持っているという。例えば、メディアは警察から本来は守秘義務の対象となる情報を提供してもらっている立場なので、警察を批判しにくいという問題である。

あえて既存の政党で考えが近い政党を挙げてもらうと、多田氏は「大阪維新の会」を挙げた。

そして、自由主義と言っても、様々な分野がある中で、多田氏が斬り込みたいのが特に放送業界というわけである。多田氏の考えは、「NHKは民営化するべき」ということだ。無論、NHKが巨大企業として参入してくれば、広告料収入の取り合いになるので、民放が猛反発することは必至であることは十分に承知の上だ。

NHKから国民を守る党は、とにかく受信料の徴収を止めさせることが目的なので、NHK民営化が唯一の選択肢ではない。党の中では、衛星放送のようにスクランブルをかけるべきだ、国有化して税金で運営するべきだという主張もあるという。

しかし、いずれにしても地方議員だけで出来ることではない。「夜間に集金人が来ることを禁止する条例を作る」「事前連絡なしに訪問して集金することを禁止する条例を作る」といった提案はあるが、条例制定のハードルは高いし、一地方自治体はそれをやったところで焼け石に水である。

多田氏を始め、党の目標は国政への進出であり。地方選挙はその足がかりである。党の存在意義は、率直なところ、そのための資金、人材集めという面がある。

さて、後編では「どうして当選できたのか」「市議会議員としてどのような活動をするのか」これらの疑問を通じて、地方議員選挙の裏側に迫っていきたいと思う。

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解放同盟との裁判の日程が決まりました

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去る5月21日、東京地方裁判所から訴状および関連文書が届けられました。

以下が、訴状と証拠説明書です。部落解放同盟および212名の「被差別部落出身者」が、示現舎に対して全国部落調査の公表中止と2億3320万円の損害賠償の支払いを求めるものです。

訴状-H28-4-19.pdf
証拠説明書-H28-4-19.pdf

当然、弊舎は全面的に争います。

口頭弁論の日程は次のとおりです。

日時:2016年7月5日 15:00
場所:東京地方裁判所 103号法廷

傍聴したい方は、当日裁判所にお越しください。

志木市市議会議員に当選した「平成の龍馬」独占インタビュー(後編)

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前編では志木しき市市議会議員に当選した多田光宏氏の政治的な背景が概ね理解していただけたかと思う。しかし、まだ疑問は残っている。それは、「なぜ志木市市議会議員に当選できたのか」ということだ。

なぜ志木市なのか、という点を問うと、答えは単純だった。

「たまたま、志木市の選挙の時期だったからです」

当選の見込みがあるNHKから国民を守る党は都市部を中心に、落下傘候補を送り出している。そのため、どの自治体かということは重要ではない。多田氏も昨年の12月に急遽志木市に引っ越して、選挙に臨んだ。

そして、多田氏の場合は党からは、選挙管理委員会に提出する被推薦書を1枚書いてもらっただけで、それ以外は党から特別何かもしてもらったわけではないし、逆に党に多額の金銭を納めることもしてしないという。

選挙にかかった費用といえば、選挙コンサルタントに支払った着手金30万円、成功報酬50万円。そして、コンサルタントに紹介してもらった業者によるビラやポスターの製作・印刷費用、ポスティング費用、選挙カーのレンタル費用等だ。概ね200万円を要したという。

多田氏自ら行ったのは、ビラの配布、街頭演説、個別訪問という基本的なことで、志木市に来てから3ヶ月、毎日のように行ったという。そこまで情熱を傾けることができた理由の1つとして、この選挙は勝てるという確信があったからだ。

「どうしてかと言うと、ビラがものすごいけるんですよ。1日200枚とか、300枚、これが毎日のようにずっと続く」

NHKから国民を守る党には他の党にはない強みがある。公職選挙法により、投票依頼は選挙期間中はできないが、反NHKの運動ならいつでもできるので、候補者名が書かれていないビラなら年中配ることができる。しかも、このビラが地域によってはものすごく捌ける。

そもそも、有権者に候補者の名前を覚えてもらうことが目的ではない。投票所に「NHKから国民を守る党の誰々」ということが掲示されるので、その場で党の名前を見て候補者の名前を書いてもらえばよいのである。

想定する主な支持者は「NHKの集金人が嫌いな人」である。多田氏によれば、「NHKの集金人のしつこさ」には地域差があるのだという。反NHKビラの捌け具合はそれを反映するもので、この地域でビラが捌けるとういうことは、それだけNHKの集金人に反発する人が多いということだ。

ビラと一緒に「NHK集金人撃退ステッカー」も配っている。これも持っていく人が多くて、今回の選挙では1万枚作成してもまだ足りなかったという。

NHK集金人撃退ステッカー

NHK集金人撃退ステッカー

1つの政治問題に狙いを絞った選挙をシングルイシュー選挙と言うが、さまざまな政治問題の中でも反NHKというのは特別なイシューなのだという。

「自民党はもちろん、共産党でさえNHK解体しようなんて言わないでしょ。これが反原発とか、反安保だったら、票がみんな共産党に流れちゃう。でも、反NHKは既存の政党の受け皿がないから、NHK嫌いな人はみんなこっちに入れてくれるんです」

戸別訪問先で、ステッカーを張っている家もちらほら見るという。一方、「志木市の市議会選挙とNHKがどうして関係あるんだ」という批判が出そうなものだが、これが意外に少なく、そのような批判は「3回しかなかった」というのだ。

「(反NHKについて)応援する人と、無関心な人と、受信料払わないなんてダメじゃないかと怒る人と、3種類だけです」

しかも、怒る人に比べれば、応援する人の方がはるかに多いという。

しかし、それでも多田氏は最下位当選するのがやっとだった。当選できたのは、他の要因もあった。

「志木市の場合、現職が1人(選挙)直前になって引退したんです。それがなかったら当選できなかったですね。それから、僕みたいな落下傘候補でも、若い人に入れたいと有権者は考えるんです。大阪でも党から出た候補がいたんだけど、その人が60歳くらいだったんですが落選しました。そのくらいの歳だとバックに組織がないと無理です。組織がなくても戦えるのは、せいぜい40代くらいまで」

さて、ともかく当選した以上は市議会議員としての仕事をしなければならない訳だが、そもそも多田氏は率直なところ志木市についてまだほとんど知らないという。落下傘候補として突然市にやってきたのだから無理からぬ事だ。ただ、以外にも他の会派からの誘いがあったり、地元のイベントへの出席依頼があるのだという。

イベントの出席については呼ばれたら出ているのだが、会派については様々な理由で留保している状態なのだという。志木市議会の最大会派は「しきの会・維新」で、自民党が支持する議員もこちらに入っている。そのことについて、多田氏はこう語る。

「(NHKから国民を守る党に所属する地方議員の)立花さんも大橋さんも自民党系の会派に入っています。でも、反NHKが自民の会派に入るなと怒る人がいるんですよ」

つまり、「NHK利権を守っている自民党の仲間に加わるとは何事か」と支持者から言われてしまうのである。

「それから、志木市議会のホームページを見ると、「NHKから国民を守る党」って載っているんだけど、他の会派に入ってしまったらこれがなくなるんですよ」

前述の通り、NHKから国民を守る党は、候補者の名前ではなくて、その党名のインパクトゆえに支持されている党である。そのため、個人としての多田氏の名前を売るよりも、党の存在感を示すためには、議員としての活動に制約があっても、1人会派でいる方が都合がいいという考え方もあるのだ。

多田氏が当選して、最初の議会は6月に行われる。そこで何を質問したいか問うと、それは多田氏が実感した選挙に関する問題だ。

「期日前投票が、志木駅で出来るんだけど、その宣伝がされてない。看板もないからどこが投票所か分からない。それで選管に文句を言ったら、A4の紙が貼りだされただけ。さらに文句を言ったら大きくなったけど。そもそも選管にやる気がない」

埼玉県は選挙での投票率が低い。ここ10年は知事選挙でも30%を上回ることはなく、これは東京都よりも20%程も低い。選管にやる気がないから投票率が低いというより、政治に無関心な風土が選管のやる気のなさに反映されているのかも知れない。

さて、NHK利権の解体を訴えて当選した多田氏ではあるが、無論、志木市の市議会議員という立場だけでそれを実現することは不可能である。しかし、ワンイシューで選挙に臨んだ候補者が当選後、純粋に市議会議員としてどのような活動をするのか。志木市民はぜひ関心を持つべきだろう。

部落探訪(7)埼玉県狭山市富士見一丁目

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今回訪れた部落は、西武鉄道新宿線狭山市駅の東側にある。ここは1963年5月1日に発生した、1人の女子高生に対する強盗・強姦・殺人事件「狭山事件」の現場として知られている。

狭山事件当時は「入間川駅」だった駅名は1979年に「狭山市駅」と改名され、周辺地域は中心市街地として発展した。狭山市駅から西武特急に乗れば新宿まで37分で行ける。

1935年当時の部落の世帯数は59世帯。狭山事件関係の書物には「菅原4丁目」という部落の呼称が出てくるが、1967年に「富士見」に改められるまでは「入間川」が正式な町名だった。

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駅の近くには白山神社がある。周囲はビルで囲まれ、飲食店があり、典型的な地方都市の駅前である。

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少し歩くと、静かな住宅地になっている。

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古くからある民家と、マンションが入り混じっている。はっきり言って、住宅地としてはかなりいい立地である。この地域に古くから土地を持っていれば、その土地の価値はかなり上がっているはずだ。同和地区の法律上の定義であった「歴史的社会的理由により生活環境等の安定向上が阻害されている地域」には、既に当てはまらないと思われる。

狭山事件で逮捕され、無期懲役判決を受けた石川一雄氏も1994年仮釈放された後は地元のマンションの一室で暮らしている。ペントハウスなどではなく、すこし築年数のたった、ごく普通のマンションの一室である。

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石川一雄氏の自宅があった場所。現在は「狭山再審闘争勝利現地事務所」となっている。立入禁止の看板があって中に入ることはできなかったが、内部には石川一雄氏の自宅の様子が再現されているという。事務所の横に停められた自動車に貼られた四つ葉マークが時の経過を物語っている。

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事務所の横には、かつての路地を思わせる風景が少しだけ残っていた。

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「石川」という表札の家が何軒かあった。石川という苗字は、この地に多いことが伺えるのだが、どの家も大きく立派な家だ。

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富士見集会所。狭山市のウェブサイトによれば「同和問題をはじめとするさまざまな人権問題の解消をはかり、明るい地域社会の創造をめざすことを目的に設置された施設」とされる、職員に聞いてみると、所管部署は教育委員会ということである。なので、位置づけとしては隣保館ではなくて、教育集会所ということなのだろう。

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実際は普通の公民館と同じく、地元のサークル活動等に使われているようで「同和」や「部落」に関わるものは一見すると見当たらない。

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それでも探してみると、廊下の脇にひっそりと写真の物件が置かれていた。狭山事件関係のチラシは1~4年前のもので、地元ではあまり大きな関心があるようには見受けられなかった。

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