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Channel: 宮部 龍彦 - 示現舎
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部落探訪(8)特別編滋賀県草津市木川町(前編)

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今回は、滋賀県草津市にある「木川きのかわ新田しんでん」を訪れた。この部落は地元では単に「新田」と呼ばれる。

この部落については、様々な文献を見ることができる。

「滋賀の部落 第1巻 部落巡礼」によれば、木川新田の始まりは、明治20年頃の郡役所の記録による、山城国愛宕あたご柳原庄やなぎはらしょう(現在の京都市崇仁すうじん地区)から移住した「佐山」「増田」姓を名乗る人物であるという。一方、「月刊福祉」(1968年6月)によれば、130~14年前に「佐山」「増田」姓を名乗る世帯が木川本郷(木川町の南西側地域)から移住し、堤防の護岸工事と新田開発をしたのが始まりとされている。

このように部落の発祥は諸説あるのだが、おそらく文政から天保年間(1830年頃)に始まったことになる。

確実に言えることは、この部落の世帯数がその後急激に増えたことだ。文献によれば、1887年には22世帯、1921年には40世帯、1940年には57世帯、1945年には80世帯、1968年には218世帯、そして2011年には524世帯となっている。

つまり、木川新田の住民のほとんどは、戦後の高度経済成長期(1954年~)から同和対策事業時代(1969~2002年)に移住してきた。なぜ、高度経済成長期以降にこの地に移住してきた住民が多いのかというと、「月刊福祉」によれば交通の便がよかったからだという。この地はちょうど京阪神地域と中京地域の中間地点にあり、その上1956年に東海道本線が電化されたため、東西の大都市圏に容易にアクセスできるようになった。さらに、木川新田は草津駅まで歩いていける距離にある。そのため、土建関係の日雇いの仕事を求める人夫の街として人口が増えた一方、スラム化がすすんだ。

木川新田は交通の便はよいが、住環境としてはあまりよくなかった。その理由は、部落の北側にある旧草津川の存在である。2002年に新河道が開削されて川が付け替えられたため、現在は廃川となっているが、それより前の草津川は堤防周囲よりも水面が高い位置にある「天井川」であり、低地である木川新田は雨が降るとすぐに水に浸かってしまう状態だった。

木川新田の起源は「被差別部落」というよりは戦後に形成された「スラム」であると言える。「佐山」「増田」姓の人物にしても、柳原庄から移住したということは、あくまで伝承の1つに過ぎず確実な裏付けはない。いわゆる「部落産業」と言えるようなものはなく、前述のとおりその歴史的経緯から人夫の街であり、土建関係の自営業者が多い。

また、2011年に草津市が公開した文書「隣保館等の概要と地区の状況について(新田地区)」によれば、当時の524世帯のうち524世帯、つまり100%の世帯が「同和関係者の世帯」とされている。これが意味するところは、木川新田の同和対策事業は純粋な「属地主義」であったということだ。そのため、例えば「同和対策の対象になっている方で在日韓国人の方も何人かいらっしゃる」(行政関係者)ことになる。

部落問題に関して、しばしば「差別により部落民は環境に悪いところに住まわされた」といった言説が聞かれるが、木川新田の場合は逆で、地理的環境によってスラムが形成され、部落が拡大することになった。もとは小さな部落であったのだが、戦後の同和地区指定がむしろ滋賀県でも有数の大部落としての地位を確立させてしまったとも言えるだろう。

かつての路地の様子(「住みよい街づくりのために」より)。

かつての路地の様子(「住みよい街づくりのために」より)。

木川新田では1972年に「住宅地区改良法」に基づく住宅地区改良事業が行われた。住宅地区改良法は不良住宅地の改良を目的として1960年に制定された法律であるが、1969年に同和対策事業が始まってからは、同和地区に対しては実施要件が緩和され、国からの予算が出やすくなった。

「住みよい街づくりのために」(1998年 草津市住宅改良課)に、その事業の詳細が書かれている。この資料の見どころは、いわゆる「ニコイチ」と呼ばれる改良住宅の設計図である。実際に現地にある住宅と見比べると様々な発見がある。

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これは地区の東側にある「No1. Bタイプ」と呼ばれる改良住宅で、これは1976~1978年に建設された。図面では平屋根だが、窓の配置が一致しており、瓦屋根は後で増設されたと考えられる。

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こちらの最初から瓦屋根が付いている「No3. Bタイプ」に似ているが、窓の配置が一致しないことと、文献によれば「No3. Bタイプ」は1986年以降に地区の西側のみで建設されたとされていることから、別物であることが分かる。

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これは「No1. Aタイプ」で、これも1976~1978年に建設された。やはり後で瓦屋根が付けられている。

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これは「No3. Aタイプ」で、1986年以降に建設された比較的新しいもので、最初から瓦屋根が付けられていた。

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しかし、改良住宅をよく見ると、写真のように空き家になっているものが多く見られる。地元住民によれば、これには複雑な事情があるという。

改良住宅は、もともと不良住宅の代替として建設されたもので、入居できるのは地元に家を持っていたか、あるいは3親等以内の親族に限られる。改良事業が終わった今となっては、一般の市営住宅と同じように誰でも入れるようにしてしまうことも考えられるのだが、現在のところ草津市は一般市民はおろか、親族を入れさせることさえしていないのだという。

理由の1つは、ニコイチ住宅の今後の扱いが定まっていないためだ。おそらく、草津市が望む一番の解決方法は、全ての住宅を住民に払い下げてしまうことである。ニコイチ住宅は既に築30年から40年が経過しており、しかも耐用年数は45年とされ、もう間近に迫っている。しかし、改築には費用がかかるし、駅近くにいつまでも戸建ての市営住宅が立ち並んだ状態を続けるわけにもいかないだろう。

払い下げられたニコイチ住宅は、扱いとしてはもはや民間の建物と変わらないので、そのまま住み続けれても良いし、他人に売ってもよいし、取り壊して家を新築してもよいし、商店やアパートにしてもよいだろう。木川新田を「同和地区」から普通の街に変えるためには、ニコイチ住宅の払い下げは、近い将来やらなければならないことである。

住宅の払い下げには当然、住民の同意が必要なのだが、これがまとまらないのだという。その理由は、まず世帯数が多いことである。ニコイチ住宅は200世帯近くもある。そして、家賃が3000円程度と安く、その家賃や水道光熱費すら支払っていない住民がおり、他人に又貸ししてしまっている住民もいるという。すると、自分のものにするよりも、現状の公営住宅のままにしておく方が得だという考えもあり、今更家のためにお金を払うのは嫌だという住民もいる。このような状態で新たな入居者を入れたらまた問題を長引かせることになりかねず、そのため草津市は新たな入居者を入れることを嫌っているのだろう。

(後編に続く)


部落探訪(8)特別編滋賀県草津市木川町(後編)

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木川新田きのかわしんでんには、これといった名物というものはないのだが、飲食店が2軒ある。

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1つは、旧草津川の堤防近くにあるお店。「めし」と書かれた赤ちょうちんが目印だ。看板は出ていないが、屋号は「花」である。この店は、「ぐるなび」や「食べログ」にも載っていない、穴場中の穴場だ。

改良住宅に増築しているように見えるので、共産党の市議会議員から「公営住宅を勝手に改造していいのか」と市議会で質問がされたことがあったそうだ。しかし、改良住宅は持ち家の代替だし、住宅そのものを改造したわけではなく、あくまで継ぎ足しただけなのでセーフ、というのが市の判断のようである。

営業時間は11時から19時までで、定休日は金曜日。非常に入りにくい雰囲気だが、中はアットホームな食堂である。メニューはうどんやオムライス等。味については…実際に行って食べてみてのお楽しみである。「酔っぱらいの相手は嫌や」から、飲み屋としての営業はしていないという。

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もう1つが、「部落料理」のメニューで話題になったことがある「じんじん」である。

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部落料理だけでなく、沖縄料理や朝鮮風料理もある。日曜、祝日は休みで、営業日は11時30分から14時まではランチメニューで、18時から21時までは飲み屋として営業している。もちろん昼から酒を呑むのもOKだ。

部落料理とは言っても、新田の郷土料理というわけではない。新田は人夫の部落で、食肉産業はなかった。センマイやさいぼしといった物は、滋賀では近江八幡の末広の名物である。

しかし、名古屋の「とんやき でらホル」に決して負けていないどころか、むしろ「じんじん」の方がある意味本場と言えるだろう。仕事などで草津に来る事があれば、ぜひ立ち寄るべきである。

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地元の寺、笠堂寺りつどうじは関西の部落には多い、真宗大谷派の寺だ。「滋賀の部落」によると、この寺は同じく草津市内の部落である橋岡にあったが、1916年にこの地に移転されたという。

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こちらは神社。明治神社の名の通り、祭神は明治天皇である。1917年に作られた。

木川新田にある寺院はいずれも比較的新しい時代のものだ。今の村が出来上がったのはむしろ近代以降のことなので、地元住民によれば木川新田は部落とは言えないのではないかという説もある。筆者もその考えには同意で、前回でも述べたとおり、木川新田の起源は「スラム」である。

しかし、「滋賀の部落」によれば近世からの部落であった隣の西一地区から見下されていて、通婚もなかったと書かれている。ある西一地区の住民によれば、確かにその通りで「新田の子とは付き合うな」というような事を親から言われたこともあったという。ちなみに、「滋賀の部落」によれば西一地区は滋賀県内の部落では一番裕福な方だったという。

部落差別というと「穢れ観念」や「迷信」が原因と言われるが、決してそうではなくて、やはり所得格差や生活実態にこそに原因があるのではないかと考えさせられる。

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地元の隣保館、新田会館(ほほえみの館)は以前は市が直接運営していたが、今は地元NPOによる指定管理となった。ただ、このNPOについては、地区の一部の住民の内輪の会のようになっていて、他の住民が関わりづらいといった声が聞かれる。

また、新田では、以前は全員が部落解放同盟に加入していたが、現在は入ったり入らなかったりという状態になっているという。

実は一部住民の間で話題になっている「みの虫人生」というブログがある。このブログには「旧部落民が仕切る町内会を脱会した理由」といった直球なタイトルと直球な内容の記事がある。要は部落と知らずに新田に引っ越してきたものの、町内会の運営をめぐって揉めて、町内会を脱退し、その後村八分状態だという内容だ。最近では、この村八分が人権侵犯事件であるとして大津地方法務局に救済を申し出たようである。それでも、かれこれ10年以上木川新田に住み続けている。

このブログを作成した人物について、地元住民からは「偏屈で融通の効かない爺さん」という評価もあれば「言っていることは一理ある」という評価もある。ずっと一人の人間が町内会長になっていたのは事実で、お金の問題についても地元住民はあまり口を挟まなかった。しかし、「みの虫人生」運営者がしつこく指摘したことで、町内会の金が当時の町内会長によって私的に使われていたといった事実が明るみになった。現在は町内会長は変わったが、それでも以前の町内会長の身内により町内会が運営される状態はなかなか変わっていないという。

また、近隣住民からは地元の小学校は荒れているといった話も聞かれたが、ある住民は「今は子供も大人しいもんや」と語る。

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「属地主義」の木川新田であったが、部落には集合住宅も立ち始め、「部落民」でない住民も増え始めている。また、地区のあちこちにある空き地は草津市の土地であり、いずれ民間に売却されるだろうと言う話もある。

この部落も、着実に変わっている。

全国連から「糾弾状」が送られてきました

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去る6月10日、部落解放同盟全国連合会(全国連)から「糾弾状」が郵送されてきました。全国連が何なのかご存じない方は、「真相レポート 関西連続部落差別投書事件」をお読みください。

糾弾状の全文はこちらからお読みください。

具体的に、いつ糾弾会を行うのかということは書かれていませんが、「確信犯には実力糾弾も辞さない。「やってもいいんだ!」。胸のつかえを取っ払い、思いを解き放つ。そのような大衆行動こそが今求められる。」とのことです。

今後、何かあれば全国連のことも思い出してください。

さて、7月5日15:00に東京地裁で口頭弁論が行われる予定の「全国部落調査事件」ですが、6月1日にさらに33名が事実上原告に加えられました(別訴として提起され、前の事件に併合されます)。訴額も3630万円が加えられ、合計2億6950万円となりました。

全国部落調査は「私生活についての重大な秘密」?

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6月1日に部落解放同盟側から全国部落調査事件の訴訟記録の一部の閲覧制限が申し立てられ、本日決定書が届きました。当事者目録が晒されないように、そちらの閲覧を制限したのかと思ったら、内容は再び斜め上でした。

以下が、その閲覧制限の申立ての内容と、決定書です。

閲覧制限の申立て-H28-6-1.pdf

要は、閲覧制限の対象は、訴状と一緒に提出された全国部落調査や同和地区Wikiで、その閲覧制限を裁判所が認めたということです。

裁判は公開が原則なため、閲覧制限の申立てが通る要件というのは厳しくて、民事訴訟法では「訴訟記録中に当事者の私生活についての重大な秘密が記載され、又は記録されており、かつ、第三者が秘密記載部分の閲覧等を行うことにより、その当事者が社会生活を営むのに著しい支障を生ずるおそれがあること」と定められています。なので、80年前の本の内容が「当事者の私生活についての重大な秘密」と、裁判所が認めたということのようです。

ぜひ司法関係者の考えが聞いてみたいところです。

「同性愛は異常動物」発言の鶴指市議の自宅前に警察が張り込んでいた理由

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昨今のホットなテーマに「LGBT」がある。レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの頭文字をとったもので、自民党も「性的指向・性同一性の多様性に関する理解増進法案」の提出を目指しているところである。

そのような中で、「同性愛者に対する差別が根深い理由」として未だに引き合いに出されるのが、神奈川県海老名市の鶴指つるさし眞澄ますみ市議の昨年11月29日のツイッターでの以下の発言である。

最近のマスコミの報道は倫理観に欠けている、何でも珍しいいことがあれば良いネタのようにして報道する、報道したことでその人物はなおさら優越感が出るのだ、一例が同性愛とやらだ!生物の根底を変える異常動物だということをしっかり考えろ!マスコミで取上げる影響を考えろ!まじめ人間が馬鹿を見る

この発言はメディア・LGBT団体等からの集中攻撃を受けることになるのだが、筆者はどのようなところから抗議が来るのか興味を持ったため、渦中の鶴指市議への直撃を試みた。しかし、そこで意外なものを見ることになった。

鶴指市議へ電話したがつながらないため、筆者はやむなく海老名市にある自宅へと訪れた。昨年12月のことである。しかし、家に人がいる様子はなく、呼び鈴を鳴らしても出てこない。

諦めて帰ろうとすると、筆者に若いノーネクタイのスーツ姿の男性が声をかけてきた。彼は神奈川県警の警察だと言って、警察手帳を見せた。

「この家にどういった御用ですか?」

そう聞かれたので、取材目的だということを答えた。身分証の提出を求められ、外にも根掘り葉掘り取材の目的等を聞かれたので、正直に答えておいた。その間、近くの駐車場に停めてあるミニバンからもう1人降りてきたので、どうも2人でずっと見張っていたようだ。

そこで、逆にこちらから質問してみることにした。

「ずっと、ここで張り込んでるんですか?」

「ええ、ネットで話題になっているし、危害を加えるような団体があるかも知れないので」

「え? 何か犯行予告のようなものでもあったんですか?」

「いえ、そんなことはないですが、過激な団体もあるので」

「こんな田舎の、歳のいった地方議員なんかにテロしても何にもならないと思うんですが…」

「それでも、自分たちの存在をアピールするために、おかしなことをする人がいるかも知れないので」

ともかく、警察が言うにはここには当の本人はいないということなので、帰ることにした。

そして翌年、1月にも鶴指市議の自宅を訪れていたのだが、驚くべきことに、未だに警察が張り込んでいた。その時も同じ質問をしてみたが、「差し障りがあるので答えられない」ということだった。

その後も鶴指市議への接触を試みたのだが、電話はつながらず、海老名市の議会事務局に電話しても、本人がメディア等への対応を避けているようで、結局連絡はつかなかった。

それにしても、LGBTに絡む「過激な団体」は何なのであろうか、LGBT団体が警察にとって新たな治安へのリスクとなっているのであろうか。今後追求したいテーマではある。

新刊「アイヌ探訪」の予約を開始しました

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アマゾンにて、「アイヌ探訪」の予約を開始しました。予約はこちらから。

キンドル等での電子版も発売予定です。

本サイトの「北海道アイヌ探訪記」の書籍版です。

アイヌをテーマにした本と言えば、どうしても政治的な問題が避けられがちなのですが、本書ではそれらの問題に直球で迫ります。

また、書籍版ではウェブ版にはなかった、IMADR潜入レポート等も加わる予定です。

部落探訪(9)滋賀県近江八幡市末広町

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江戸時代は「久保くぼ村」、明治期は「南村」あるいは「南野みなみの村」そして、1958年に「末広町」と名前を変えたこの部落は、1000世帯に迫る規模の滋賀県でも最大の部落である。そして、おそらく読者が部落に持つイメージの全てが盛り込まれた部落でもある。

近江八幡市は既に同和行政を終わらせた自治体である。隣保館や集会所は取り壊されるか他の施設に転用され、改良住宅は払い下げが進められている。そこで、まず注目すべきはニコイチ住宅の「つなぎ目」である。

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上の2つのニコイチ住宅の写真を注意深く比べてみると、大きな違いがあることに気付く。

1枚目の写真の住宅は中央部がつながっているが、2枚目の写真の住宅は中央部で分かれている。さらに、2枚目の写真の住宅の中央部は、そこだけ壁が新しく塗られていることが分かる。つまり、2枚目の写真の住宅は後で中央部を分離する工事が行われたということだ。

近隣自治体の関係者によれば、これにより改良住宅が払い下げられたものなのか、そうでないのか判別できるという。改良住宅を払い下げるには、2戸の土地と建物をそれぞれ別の住民のものとしなければならないので、分離する必要が生ずるのだ。

末広地区ではニコイチ住宅の払い下げが進行中であるため、分離したものとそうでないものが混在している。

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団地タイプの公営住宅もある。

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ニコイチ、空き地、廃墟という、旧同和地区によく見られる3要素がこの地区では見事に混在している。

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ただし、同和事業が終結したため、もう隣保館はない。かつて末広会館があった場所にある「旧会館前」というバス停の名前のみがその名残を留めている。

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この川がほぼ近江八幡市と東近江市の境界にあたるのだが、東近江側も「平田ひらた駅前地区」として同和地区指定がされていた。平田駅前は末広地区から「にじみ出て」できた部落で、実質的には末広部落は近江八幡市と東近江市の市境をまたがって存在している。

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ここには肉屋が非常に多い。

近江八幡市役所が販売している書籍「くらしとしごと 近江八幡の部落史」によれば、末広部落はもともと皮革産業の村であった。それが、江戸時代末期に薗畑そのはた村(現在の東近江市御園みその町)から食肉生産の権利を買い取り、食肉の村となったと言われている。ちなみに、その御園町は同和地区指定を辞退したが、一部住民の要望により当時の八日市市が独自に施策を行うという変わった経過をたどっている。

「滋賀の部落」には、「関西において食肉業を営む人々の中の、約九割までが部落出身者で占められているという。その中で業界の中心的地位を占めて活躍している人物が、多くは近江の末広部落から出ている人々である」という記述がある。近江牛のみならず、関西の食肉産業の歴史はこの部落抜きには語れず、「肉屋と言えば部落」というステレオタイプの源であるとも考えられるが、残念ながら末広の名前が大っぴらに語られることはない。

末広でこれだけ食肉業が盛んになった理由の1つは、儲かるからである。「くらしとしごと」によれば、近江八幡市が出来る前の1960年当時の武佐むさ村役場の職員の月給が5200円だった時に、肉職人の月収が25000円ほどだったという。そのため、多くの若者が他の仕事よりも肉職人を選んだ。

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ということで、肉屋の1つでホルモンを買って帰った。これは牛の肺とセンマイ(第三胃)のミックスホルモンで、茹でてあるのでそのまま焼き肉のたれをつけて美味しく頂ける。もちろん、「部落料理」としてよく知られるようになった「さいぼし」も買うことができるが、その時々によってあったりなかったりするそうなので、事前に予約した方がよいだろう。

「ネットの電話帳事件」口頭弁論が行われないまま終了か?

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筆者が開設した無料電話帳検索サイト「ネットの電話帳」がプライバシーを侵害しているとして、昨年8月14日に筆者が京都地裁で提訴された。この種のサイトがプライバシー侵害に当たるかどうかを争う珍しい裁判ということでメディアからも注目を集めていたのだが、形式的には口頭弁論が1回も行われていない状態だ。

初回口頭弁論は去る6月27日に京都地裁で開かれた。通常は、原告が訴状を陳述し、それに続いて被告が答弁書を陳述するというのが裁判の手続きなのだが、原告代理人の島崎哲朗弁護士は、訴状の陳述前に意見があると申し出た。

島崎弁護士は、今回の事件は非常に特殊であると述べた。特に原告が書面を出すたびに、被告が原告の本名住所が掲載されたままでインターネットで公開していること、ネットで公開した書面から原告の本名住所を消すように仮処分をかければ、被告は保全異議を申し立てるなど徹底抗戦。原告はもう裁判を続ける気をなくしているということだった。

確かに筆者は訴状が来れば横浜地裁相模原支部への移送を申し立て、認められなければ即時抗告、それも認められなければ特別抗告、それだけでなく、仮処分に関連するあらゆる手続きについてもことごとく最高裁まで抗告するという全力での抗戦を貫いてきた。

それというのも、元々この訴訟で手を抜くつもりはなかったところ、筆者のもとに島崎弁護士側を京都の解放同盟が支援しているといったメールが届き、真偽はともかくその可能性があれば、なおさら手抜きは許されないと考えたのである。しかし、当の西島藤彦部落解放同盟京都府連委員長に聞いてみると「なんや住所でポンって?」という返事。どうも本当に関係なかったようである。

島崎弁護士は「もう書面をネットに載せないと約束しますか?」と筆者に問うたが、筆者は拒否。当日は京都地裁の廊下に原告の本名が張り出されてあったので、筆者はそのことなどを挙げて、別に原告や弁護士に恨みはないが、約束に応じることは裁判公開の原則や表現の自由に反するし、弁論の非公開や裁判記録の閲覧制限等のしかるべき手続きが取られていないと反論。議論は平行線で、裁判官もそういった問題までは立ち入ることは出来ない旨を述べた。

島崎弁護士は「こんなことではプライバシーに関する訴訟はできなくなる」と述べ、今回のやり取りを調書に書くように裁判所に要求し、「裁判は取り下げということになるかも知れないが、弁護士活動の妨害で私自身が提訴することを検討する」と激怒。結局両者とも書面を読み上げることなく、「休廷」という扱いとなった。

一応、弁論の再開期日は8月19日13時10分であることが指定されたが、実際に弁論が再開されるかどうかは不透明な情勢だ。ただ、6月27日に島崎弁護士が関連する仮処分を取り下げた旨の書面が送られてきたので、訴訟自体も取り下げられてしまう可能性が高い。

しかし、単なる住所氏名の公開の是非を裁判で争うことが、果たしてコストに見合うことなのか。筆者自身が言うのも何だが、結局強気に出てゴネた方が得するのが世の中というものなのか。いろいろと考えさせられることになった。

単なる電話帳をそのままネットに掲載する行為が果たして「プライバシー侵害」なのか、どのように裁判所が判断するのか興味深いところではあったが、それがうやむやになるのは残念なことである。ただし、「弁護士活動の妨害」ということで事実上は一連の訴訟として続行される可能性があり、まだ目は離せない。


7月5日の裁判の傍聴は抽選となります

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明日7月5日15時から東京地方裁判所103号法廷で「全国部落調査事件」の裁判が行われますが、傍聴は抽選となりました。

14時40分までに東京地方裁判所2番交付所で傍聴券をお求めください。霞が関駅A1出口の近くが東京地裁の正門で、門を通った後の右側にあるそうです。

「全国部落調査事件」7月5日初回口頭弁論

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7月5日、東京地方裁判所103号法廷で、全国部落調査事件の最初の口頭弁論が行われた。裁判所内は撮影、録音禁止なので、写真等は掲載できないのだが、法廷の様子を臨場感を持ってお伝えしようと思う。

当日は、裁判所の周囲にはテレビ局の中継車が何台が停まり、正門前の駐車場の出入り口にはカメラマンが陣取っていた。とは言っても、それは全国部落調査の件とは関係ない。当日はいわゆる「弁護士局部切断事件」の判決公判があったからだ。圧倒的に世間の関心の大きさとニュースバリューは局部切断事件だろう。

しかし、全国部落調査事件も傍聴人の数では負けていなかった。解放同盟から動員がかかっていたこともあり、約50席の一般傍聴席の傍聴券を求めて約200人が列をつくった。

開廷が近づいたので、筆者は一般来庁者の入り口から荷物チェックを受けて金属探知機をくぐった。裁判所の職員に案内されて被告席に着くと、傍聴席は満席、原告席にも解放同盟側の数十名が陣取っていた。また、裁判所の係員が多数傍聴席の前で警戒していた。

傍聴席も原告席も、やはり高齢者が多い。平穏ではあるのだが、あれが宮部かと指さしたり、じっと睨んでいる人がいるといった様子だ。

開廷前に、いくつか事務的な手続きがあり、裁判の書類の送達先の届けを書いて、さらに訴訟記録の一部の閲覧制限の決定書が渡された。この決定書は以前届いたのと同じものである。

さて、開廷した後、まず形式的に2つの事件になっているものを併合して1つの事件として審理することが決められた。そして、通常の裁判と同じように原告側の訴状の陳述と証拠の提出、被告側の答弁書の陳述の手続きが行われた。実際に書面を読み上げるわけではないので、これはあっさりしたものである。

しかし、これではあまりにも物足りないということなのか、解放同盟側は意見書の陳述を申し出て、片岡明幸副委員長と代理人の中井雅人弁護士がそれぞれ10分間意見書を読み上げた。

意見書とは言っても、人権作文か「糾弾要綱」のようなものである。

今回の口頭弁論の関係書類はこちらで見ることができる。

その後、次の裁判の日程が決められた。被告側の追加の書面の提出期限は8月5日で、裁判官からは訴状の内容に対する認否と反論を求められている。その後、それに対して原告側がさらなる反論の書面を提出することになり、特に裁判官からは、原告には「解放同盟関係人物一覧」に掲載されている人とそうでない人がいるので、その点を明らかにするように求められた。

次回期日は2016年9月26日11時 東京地方裁判所103号法廷である。

解放同盟側によれば、次回の傍聴者はおそらく半分くらいになるだろうとのこと。また、解放同盟側は午後の弁論を希望したものの、法廷の確保の都合上やむなく午前になった。そのため、次回は一般傍聴人も入りやすいと思われる。

さて、弁論が終わった後、筆者はすぐには外に出してもらえなかった。裁判所の係員は、まず原告と傍聴人を外に出した。この時、何やら大きな声で叫んでいる傍聴人がいた。

原告と傍聴人がすっかり出て行った後も、しばらく待つように言われた。そして、やっと出られると思ったら、5~6人の係員に囲まれて誘導されるという物々しさだった。

裁判所としては、万一何かあったら困るということなのだろう。こんなところからも、裁判所の「部落」に対する恐れを見ることになった。

部落探訪(10)徳島県徳島市不動東町

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徳島と言えば、全国でも行政の手の入った、いわゆる「同和地区」らしい光景が最も残っている場所かも知れない。今回探訪した不動東ふどうひがし町は徳島県内でも最大の部落であるが、ここも例外ではない。

この部落はかつては「高崎」と呼ばれ、戦前の資料では戸数345、主な職業は獣肉行商と古物商とある。不動東町と名前を変えた今でも、現地を訪れると、かつての産業が今でも盛んであることが分かる。

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目についたのがこの白い豪邸。ガレージには外車が何台も停まっていた。地元住民によれば、これは食肉業者の家なのだという。不動東町は徳島県の食肉産業の中心地である。ただし、食肉業に携わっているのは一部の世帯で、県内の食肉業者は藤原、長谷川、中山、前田という名字の家がほとんどを占めており、そのことは屋号からもうかがえる。

徳島県といえば日本ハムの創業地として有名であるが、日本ハムに関しては創業者は香川県の人なのだそうだ。

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こちらは古物商。今で言うところのリサイクル業者である。いくつか、このような資材置き場があり、金属スクラップ等が置かれている。

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そして、この地区には大規模な改良住宅群と市営住宅群がある。これらの住宅には、必ずと言っていいほど倉庫が付いている。駐車場には軽自動車が多い一方、ベンツやシボレー等の外車が目につく。筆者が訪れた時も、カマロが後ろからやって来たと思ったら、ニコイチ住宅の横のガレージにバックで入っていった。

同和対策最盛期時代と言えば、アメ車に乗った土建屋のおっちゃんが空き地で野焼きをするというのが原風景となっている筆者にとっては、ノスタルジアを感じる光景である。

市によれば、改良住宅と市営住宅は現在では空きが出れば入居者を一般公募しているという。つまり、制度上は徳島市民であれば誰でも入れる。

徳島遠征部落 (21)

こちらは隣保館のある不動総合センター。

徳島遠征部落 (18)

ここには、人権の碑があった。

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四国三十六不動霊場のうち第13番に当たる密厳寺みつごんじがここにはある。この寺の東側にある地区なので、不動東町というわけだ。

以下は地区内のパノラマハイビジョン映像である。マウスカードルをドラッグすると視点を変えることができる。また、スマホやタブレットであれば端末を傾けることで視点を変えられる。

以前市役所で働いていたという地元部落住民によれば、徳島では部落といえば「ガラの悪いところ」という意識が地区内外を問わずあり、それはなかなか解消されないという。公営住宅にしても、形の上では一般公募だが、現実には旧同和地区の住民でないと入りづらく、よそから人が入ったのは東日本大震災の被災者を入れた時くらいではないかという。

実際に「ガラが悪い」のかと言えば具体的なデータがあるわけではなく、筆者も特段それは感じなかったのだが、一方で確実に言えるのは、おかしな事があっても「同和地区だから」ということで見過ごされてしまう実態があるということなのだ。そのことが、同和地区を固定化させる原因になっている。

実際に、それを目で見ることができる場所に案内されたので、次回はそれをレポートする予定である。

「月とスッポン」は差別用語鳥取県大山町議会

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6月21日、鳥取県の大山町だいせんちょう圓岡まるおか伸夫のぶお町議会議員が懲罰を受けた。懲罰と言ってもその内容は用意された陳謝文を読み上げさせるだけのものである。懲罰の理由は、議会で無礼な言葉を使用したということだ。

そして、その無礼な言葉というのが「月とスッポン」である。それだけではなく、議会では「月とスッポンは差別発言である」という珍説まで飛び出した。

※画像は陳謝文を読み上げる圓岡伸夫議員。

問題の議会の録画を、以下のUSTREAMのアドレスから見てみよう。

http://www.ustream.tv/recorded/88633021

動画の11:20頃から、岩井いわい美保子みほこ議員が「この圓岡発言は、私は差別発言だと捉えております」と述べている。また、28:00では西山にしやま富三郎とみさぶろう議員が「この発言は町内医療機関を馬鹿にした発言であります。人を馬鹿にすることは差別になるんです。差別発言であります」、大杖おおつえ正彦まさひこ「町内の医療機関に対し、無礼であり差別発言と言わざるを得ない」とそれぞれ述べている。

これだけでは経緯が分からないので、もう少し詳しく説明しよう。

大山町と言えば、中国地方最高峰の大山を抱える町なのだが、鳥取県内の他の町と同様に過疎と高齢化に悩まされている。また、町内の医療機関も心もとなく、その設備は自動車で30分から1時間程度のところにある米子市のものと比べれば、まさに「月とスッポン」なわけである。実際、大山町内では肺がんの検査をすることができない。また、町営の大山診療所では緑内障予防のための眼圧検査をすることができない。

しかし、今まで米子市などの町外の医療機関でも町の助成金により1人1万円でできた町民の人間ドックについて、助成の対象を町内の医療機関に限定することについて圓岡議員は異論を唱えた。その、本年3月議会での発言が次のとおりである。

6月から大山診療所で週に1回、人間ドックを主とした健診が始まりますが、これが本当に町民のためになるのでしょうか。腫瘍マーカーこそ今後検討すると言われましたが、婦人科検診はこれまで通り個別検診ですし、結果は後日郵送です。答弁の中で人間ドックはどこで受けても一緒だと言われました。私も過去に一度だけ町内で受けたことがありますが、米子の医療機関とでは月とスッポンです。個人負担の1万円は評価しますが、町内の医療機関での人間ドック受診者数に制限を設けてまで大山診療所で人間ドックをする意味が分かりません。もし、大山診療所で人間ドックを受診した人が、緑内障を発症し、それが原因で失明をされたら誰が責任を取るのでしょうか。いますべきは、これまでの米子の医療機関も含め、今後どういう体制で健診をすれば町民の福祉の向上につながるのかを考えるべきだと思います

分かりにくいのがこの後の経過である。この時、他の議員からの抗議などにより「月とスッポン」等の発言は撤回されて議事録からも削除された。しかし、今年の6月議会で再び蒸し返されて、圓岡議員が3月議会での議事録削除に納得していない旨の発言をしたため、その事を採り上げて実質的には3月議会での発言が6月議会で懲罰動議の対象となってしまったわけである。その後開かれた懲罰委員会では懲罰の必要なしとの結論が一度は出たものの、本会議では8対6で懲罰動議が可決された。

発言の中で出てきた大山診療所は、毎年多額の赤字を出しているという。こういった背景を見ると、町営の診療所の存続を求める多くの議員と、それよりも町内外に関わらず診療の質を求める圓岡議員の間で対立があり、政争の道具として懲罰動議が使われたように見える。

それにしても、なぜ「月とスッポンは差別発言」といった言説が出てきたのか。事情通によれば、キーとなる人物は西山議員であるという。そこで、西山議員に、なぜ月とスッポンは差別発言なのか聞いてみた。

「誰が誰を差別したということになるのでしょうか?」

筆者の質問に対する、西山議員の答えが次の通りである。

「圓岡君が、町民全体ですよ私に言わせれば」

「私は部落解放運動をしてきておりますし、鳥取県の同和教育研究協議会の副会長でもありますし、部落差別をはじめ、あらゆる差別をなくし、国民が幸せに暮らせる町づくりということを標榜しておりますので」

「月とスッポンというのは比べ物にならないものだという差別表現だと辞書なんかには出てますのでね」

「月とスッポンという言葉自体が差別発言ですよ、差別用語と言っております私は」

ここから分かる通り、やはり「月とスッポンは差別発言」の裏には「同和」があったわけである。

一方の圓岡議員は、無所属・新人でなおかつ得票数最下位の議員ではあるが、これには背景がある。実は圓岡議員はもと共産党所属の議員であったのだが、票の分散を避けるために出馬しないようにとの党の方針に逆らって除籍された過去がある。現在は、言わば「一人共産党」のようになっているわけである。

議員での「差別発言」の懲罰を巡っては2014年の滋賀県甲賀市議会の事例昨年の福岡県那珂川町議会の事例があったが、いずれも解放同盟と共産党の対立が見え隠れしていた。

それにしても、「月とスッポンは差別発言」だから懲罰というのは、あまりに低レベルではないだろうか。

部落探訪(11)徳島県板野郡板野町川端

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高松自動車道の板野ICの近くには、同和施設である川端教育集会所がある。しかし、全国部落調査には川端の地名はなく、明治期の特殊部落改善資料に「板西町川端村原田」の名前が出てくるのみである。

現在の周辺地域の風景は、普通の農村と変わらず、部落には見えない。しかし、地元の部落研究家によれば、ここには徳島県でも最も古い同和住宅があるというので、案内していただいた。

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この川端団地は徳島県板野郡板野町川端中谷山にある。高速道路のインターチェンジのすぐ横にあるのだが、細い道を入っていかないといけないので、車では少し行きづらい。写真の通り、早速リサイクル業者の看板があり、自営業者の仕事場になっていることがうかがえる。

町によれば、この団地は扱いとしては町営住宅であり1970年から1973年にかけて建設されたということだ。同和事業が始まったのが1969年なので、この団地は最初期のものである。本来であれば既に耐用期限が来ているのだが、建て替えの予定は一切ないという。

なぜ建て替えをしないかというと、現状の家賃が数千円程度であり、建て替えれば家賃を上げざるを得ないため、それを住民が希望しないからだ。

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空き部屋が出来ても、新たに入居者を募集することはしていないため、空き部屋が目立つ。住人のいなくなった部屋は荒れるがままにされている。

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建物はそれぞれ平屋の長屋になっていて、4部屋に分かれているのだが、多くの建物が住民によって写真のように様々な改造がされている。案内者によれば、中の壁をぶちぬいて部屋同士が行き来できるようになっているケースもあるということだ。

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案内者によれば、「同和地区でなければ、まずあり得ない光景」という。いや、筆者から見れば同和地区でもこのような公営住宅を見たことがない。45年前の水準ではそこそこの「文化住宅」だったのだろうが、そのまま放置され、老朽化して今の状態になったわけである。

団地の横には滑り台、ブランコがあるが、草が伸び放題で、子供がいる様子は見られない。この団地はもはや限界集落と同じで、数十年後には残っていないだろう。

バラックが並ぶ部落の光景が「差別の実態」として紹介され、あるいは改善された立派な住宅地が「事業の成果」として紹介されることはあったが、川端団地のような事例が紹介されることはまずない。

全国連からまた「糾弾状」が送られてきました

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以前、部落解放同盟全国連合会から「糾弾状」が送られてきたことをお知らせしましたが、去る7月19日にさらに文書が送られてきました。以下がその内容です。

全国連糾弾状第2弾.pdf

今回送られてきたのは「鳥取ループ・示現舎に対する抗議申し入れ書」(部落解放同盟全国連合会長野県連合会)、「糾弾状」(部落解放同盟全国連本部広島支部)、「鳥取ループ・示現舎への糾弾状」(部落解放同盟全国連合会中央青年対策部)、「「鳥取ループ・示現舎」による部落差別を徹底糾弾する!」(部落解放同盟全国連合会大阪・寝屋川支部)です。

中央青年対策部の文書以外は、記述が「部落地名総」に統一されています。また、本部広島支部の文書では、なぜか広島市福島地区が「西日本のなかでも有数の広さを持つ被差別部落」であることが解説されています。

全国連はむしろ部落の場所を積極的に明らかにするような活動をしてきた団体であるのに、なぜ全國部落調査の公開がそれほどまで気に入らないのか、理解が難しいところです。また、全国連中央役員の氏名、電話番号が公開されたことにお怒りのようですが、あれは私の仕業ではありません。全国連役員の情報などというマニアックなものをどこで調べたのか、私には知るすべがありません。

部落探訪(12)長野県北佐久郡御代田町馬瀬口下宿

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長野県の小諸市と軽井沢町の間に御代田町みよたまちという町がある。別荘地として名高い軽井沢町に比べれば知名度は劣るが、御代田町も浅間山の裾野の高原にあり、その風景と過ごしやすさは負けず劣らずである。

そんな御代田町だが、2006年10月3日、当時の人権政策課長が自殺するという悲劇があった。その原因は、部落解放同盟による人権政策課長への執拗な攻撃であったことが、当時の町議会議事録に記されている。

御代田町の茂木もてぎ祐司ゆうじ町長は共産党員である。しかも、既に3選目だ。なぜここまで共産党首長が長期に渡って続くのかというと、この町でのかつての同和行政があまりにも酷かったからである。

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筆者は御代田町唯一の同和地区であった馬瀬口ませぐちにやってきた。しかし、見たところ普通の田舎の集落である。急峻な崖のそばにあり、冒頭の写真のように浅間山がよく見える。昭和初期の記録では、戸数29、世帯数129とある。

2006年12月8日の町議会で、当時町議会議員であった茂木町長が、人権政策課長自殺の背景を生々しく語っている。

この同和事業に対する現在の町の対応は、まさに部落解放同盟の言いなりで、異常な状況、13年間、私が見てきて、最悪の状況だと。その最悪の理由の1つは、この問題にかかわった職員が次々と病気理由の長期休職、最悪の場合、退職まで追い込まれていると。それでそのときに町長はこうした事態に対して、職員を守る立場に立っているか私は疑問であり、どう責任を感じているかと聞いたが、回答はありませんでした。

具体的には1991年から2004年までの間に、町の同和行政の担当職員が4人療養休暇、1人が退職に追い込まれた。茂木町長は担当職員の状況を次のように語った。

これまでも部落解放同盟の事務所に日常的に職員が呼び出されている問題を、私は一般質問で何回か取り上げてきました。職員の方からの内部告発もあって、昼夜を問わずに関係する職員が呼び出されて、数時間にわたって、ときには深夜まで職員の個人的な欠点まで含めて、暴力的な言葉で責めたてられた。

そして、「暴力的な言葉」の具体例として出された、部落解放同盟から町長あてに出された文書の内容の一部が次の通りである。

この小僧の起案文書は、あまりにも人をなめている記述だ。1年間雑用をさせられて、物乞い的な契約金を望むほど、当方は安い組織ではない。この小僧は町民のために信義を尽くして公務を執行しているか。答えはノーだ。職場に通勤しているだけで、1,000万円もの所得があり、年に10万円もの灯油代を支給され、退職金は多額、厚生年金は生涯で、ほとんど仕事らしい仕事はしておりませんが、いかがか。この小僧どもが当方に対して信義を重んじて誠実に契約を履行しろなどとは、あまりにも身の程知らずな言動だ。今後、吐いた唾は身をもって清算することになるでしょう。

この「小僧」というのが人権政策課長のことである。この文書を作成したのが部落解放同盟御代田町協議会の書記長であった竹内たけうちいさお氏である。

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当時の状況の話を聞こうと、竹内氏の家を訪れた。竹内氏は在宅で、なおかつ「示現舎」の名前は知っていたものの、取材は断られてしまった。

課長の自殺後も、竹内氏の生活相談の報告書には「職員の責任を果たさずに、死んだときも迷惑をかけて、まことに不愉快だ。そして町職員は甘ったれ過ぎてはいないか。公務員としての自覚意識とはこんなものか」といった趣旨のことが書かれていたという。

また、当時は御代田中学校での生徒の発言をめぐって、解放同盟によって町に対する確認会が行われるということもあった。

その後、町長選挙に立候補した茂木氏は当選。解放同盟とは対立し、同和事業廃止を訴えてきた共産党の町長のもと、町政は一気に同和事業廃止へと進んだ。

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地区内にあった、駐車場となっている空き地。「当集会所利用関係者以外駐車禁止します」とあるが、集会所は見当たらない。ここには「御代田町同和教育集会所」があったのだが、既に取り壊されていた。

また、御代田町には「御代田町隣保館」もあったが、こちらは現在では「御代田町人権啓発センター」と名前を変えて、現在でも建物が残っている。町によれば、「人権啓発センター」という名前ではあるものの、実際は保健福祉施設になっているということだ。もとは同和事業の補助金で建設された施設だが、用途変更にあたって国や県に補助金を返還する必要はなかったという。

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少しだけ細い道が残されているが、部落という雰囲気は感じられない。典型的な長野県の農村の風景である。

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地区内には立派な白山神社があった。

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地区内には大きな家もある。特に空き地や廃屋が多いということもない。

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人材派遣会社と、し尿汲み取り会社があった。

既にこの地区では同和事業は必要ないように感じられた。


夏休み特別企画ポッドキャスト 「神社と賤民」

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夏休み特別企画として、示現舎では部落研究者との対談をポッドキャストとして配信します。今回の対談のお相手は、現役の民俗学者・神職の浅茅あさぢ先生です。このままお聞きになるか、ダウンロードしてポータブルプレイヤー等でお聞きください。約50分です。

ダウンロードはこちらから

部落と言えば、お寺(特に浄土真宗)がよく見られますが、特に東海・関東では神社(特に白山神社)もよく見られます。そこで、あまり話題に上ることのない、神道と賤民の関係について語っていただきました。

また、部落の起源について、神道と民俗学の見地からも検証します。

全国部落調査事件本格論戦が始まります

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現在、全国部落調査事件の舞台は3つの裁判所に分かれており、出版禁止の仮処分が横浜地方裁判所、ウェブサイトの削除の仮処分が横浜地方裁判所相模原市分、そしれ本案訴訟が東京地方裁判所に係属中です。

8月3日付けで、東京地方裁判所に以下の準備書面と証拠書類を提出しました。

準備書面-H28-8-3.pdf

証拠説明書-H28-8-3.pdf

原告(解放同盟)側の書面と合わせてお読みください。

主な論点を挙げます。

解放同盟側が「被差別部落出身者」を自称している点

「被差別部落出身者という身分は法律上存在しない」と示現舎側が主張していることがメディアで報じられましたが、この問題はもっと複雑です。

法律上存在しない理由は、「解放令」で穢多非人等の身分が廃止されたからです。「解放令」は明治4年に太政官布告の形で出されましたが、大日本帝国憲法が出来た時に法律として維持され、判例はありませんが理屈の上では日本国憲法下でも有効な法律です。

「被差別部落出身者」をどうやって判別できるのかという問題もあります。「被差別部落出身者」が「穢多非人等」の子孫であるとすれば、それを証明する法律上の文書は残っておらず、過去帳などで分かるのもレアケースと考えられるからです。よく戸籍で分かると言われますが、明治初期の壬申戸籍にも旧身分が分かるような記載はほとんどなかったと言われており、さらに、現在では壬申戸籍は公式には公文書としての利用が廃止された状態、つまり非行政文書という扱いになっており、なおかつ閲覧が事実上禁止されています。

ということで、先祖を調べて判別するということは不可能なので、その代わりに出身地で判別できるかというと、これも単純ではありません。「出身地」という概念もよく考えると曖昧であることが分かります。戸籍には「出生地」がありますが、現在の戸籍の記載は市区町村までで、しかも病院で出生すれば、病院の住所が出生地となります。また大阪で生まれて鳥取で育った水木しげる、東京で生まれて大阪で育った橋下徹、「出身地」はどこかと言われれば、それぞれ鳥取と大阪と言われますが、最初に住民登録された場所は大阪と東京であるはずです。

さらに、どのような基準で「被差別部落」と言えるのかという問題もあります。全国部落調査には、既に消滅した部落や、後に同和地区指定されなかった部落、都市化してしまった部落、単なる貧民窟であって穢多非人等と無関係な部落も含まれています。また、一般的な集落の名前と行政区画上の地名が一致していないケースはざらにあります。例えばA集落の自治会に入っているが、郵便物の宛先や住民票や自宅の登記簿上の住所表記はB集落であるという人は珍しくないと思います。

そもそも、なぜ裁判で「被差別部落出身者」を称する必要があるのかという問題もあります。一国民の立場でなく「被差別部落出身者」と言った方が有利になるのでなければ「被差別部落出身者」だと言う必要はありません。「被差別部落出身者」と言えば裁判官が恐れるのか、同情するのか、何らかの特別な権利を認めてくれるのか、ということです。

他にも問題はありますので、この論点は今後さらに追求することになるでしょう。

他の「部落」や「同和地区」の特定する出版物との関係

今回は、「部落」や「同和地区」の地名が列挙された出版物14点を証拠として提出しています。それらは、解放同盟の関係団体、関係者によって作られたものもあります。全国部落調査から特定の府県のデータを抜き出したものもあります。

ごく最近でも、去年「愛知の部落史」という、愛知県内の部落の地名が掲載された書籍が解放出版社から出版されました。

ということは、解放同盟は部落の場所が公開されることを問題にしているのではなくて、自分たちの気に入らない方法で部落の場所を公開されたくない、部落問題に関する議論を自分たちの思い通りにしたい、ということではないかと思われます。

解放同盟の出版物は、単に部落の地名が出ているだけではなくて、そこの保護者会が天皇誕生日に天皇制反対の催しをやっただとか、狭山同盟休園(狭山事件の石川一雄有罪判決に抗議して保育園を休園すること)をやっただのといったことが自慢げに書いてあるので、もっと強烈です。

「差別されない権利」について

解放同盟側の弁護士は「差別されない権利」というものを主張していますが、率直なところ弁護士自身も理論を整理できているようには見えません。

訴状には「被告らは私人であるため、憲法の規定が直接に適用されることはない」と書かれているのですが、その一方で「差別されない権利」の根拠が憲法14条第1項であるという趣旨の書き方がされています。憲法以外の法律等を根拠として挙げない限り、憲法の規定を直接適用することと何も変わりがありません。

「憲法の規定が直接に適用されることはない」というのは1973年の三菱樹脂事件の最高裁判決に沿ったもので、弁護士にとっては教科書的な理論なわけです。しかし、三菱樹脂事件というのは「就職差別をやってもいいですよ」と最高裁がお墨付きを与えた事件なので、解放同盟側の弁護士であれば「菱樹脂事件判決は間違いだ!」くらいの事は言って欲しかったと思います。

他にも論点はありますが、詳しくは書面の内容をお読みください。

また、もう一つの見どころは、次の口頭弁論でも解放同盟側が意見書の読み上げのようなことをするのか、ということです。リバティ大阪にからむ裁判でも、解放同盟はわざわざ準備書面を傍聴人に読み聞かせるようなことをしていると聞きます。多くの民事訴訟では、わざわざ書面を読み上げることをしないのが通例です。また「作文大会」をやるのか、訴訟の進行も見ものですが、これは実際に口頭弁論に出ないと体感できないので、ぜひ傍聴に来てください。

また、先立って横浜地方裁判所に保全異議申立てをしています。これは、出版禁止の仮処分の取り消しを求めるものです。経験上、部落問題がからむと裁判所は「結論ありき」で審理してしまうのですが、一方で出版禁止にからむ仮処分に対する異議申立ては慎重に審理されることも通例です。

今後、どのように裁判所が保全異議の審理をすすめるのか、仮処分で説明されなかった「仮処分を行った理由」をどこまで裁判所が詳細に説明するのかが注目点です。

保全異議申立書-H28-7-14.pdf

今後の日程は次の通りです。

8月29日 11:00 横浜地方裁判所保全係 保全異議に係る審尋期日(おそらく非公開)
9月26日 11:00 東京地方裁判所103号法廷 第2回口頭弁論(公開)

スマホアプリ日本姓氏語源辞典をリリースしました

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示現舎では、Androidスマートフォン向けアプリ、「日本姓氏語源辞典」をリリースしました。

Androidスマートフォンをお持ちの方は、Playストアで「人名力」で検索していただくか、こちらのページにアクセスしてください。

「人名力」運営者として著名な宮本洋一氏が全国の都道府県立図書館を巡り、約一万五千冊の文献により、約十万件の姓氏を調査しました。まさに、史上最大規模の姓氏辞典です。

Screenshot_20160818-161429

50音での検索はもちろん、都道府県・市区町村ごとに、それらの地域多い名字を検索できます。

Screenshot_20160818-161328

カテゴリ別の検索も可能。官報の帰化記録などをもとに、外国人由来の名字も調査しています。「名前が左右対称なら在日」といった、俗説を打ち破ります。

Screenshot_20160818-161353

漢字表記、または読み方で一発検索できます。今話題の名前を思いったたらすぐに検索してみましょう。名字の由来や分布の他、電話帳データをもとに推計した人口、順位も表示されます。アプリはオフラインでも使えるので、一度インストールすれば、あとはネットにつながらなくても問題ありません。

価格は1600円。収益の約半分は、書籍版・日本姓氏語源辞典の制作費用に充てられます。宮本氏のファンであれば必携のアプリと言えます。

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新・同和と在日文献の旅(1)「きょうも机にあの子がいない」

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「同和教育」というと、同和対策事業の時代に教育を受けた世代にとっては、学校で作文を書かされ、それが教師の位に沿わない内容だと延々と説得され居残りさせられるといった印象があるのではないだろうか。

しかし、同和教育は「福祉教育」から始まったものであって、第一の目的は学力保障である。それが「解放教育」「人権教育」と変遷して、本来の同和教育は見る影もなくなってしまった。

今回紹介する「きょうも机にあの子がいない」は1954年に出版された、高知県の福祉教員の活動記録である。

福祉教員が取り組んだのは、貧困家庭の子供の学力保証である。対象となった貧困家庭は、戦争で父親を失った家庭、そして同和地区の家庭であり、当時の状況は現在の貧困家庭の比ではなかったのだが、現在にも通じるところがある。例えば、当時の貧困家庭が次のように描写されている。

母は経済的観念は殆んどなく、そして、それが道徳的観念さえ失わせている。

何回か勤め先の女将の名をかたって、米屋その他の物品を借りて来た事か。生活扶助の金も、男との享楽に一夜にしてはたき、時折金がはいれば自分は勿論、時には学用品さえ十分にない子供達に対しても、少くとも食に関する限りは、ぜい沢のし放題をさせ、学校を休んでいる子供達をつれて、真っ昼間映画館へはいって悔ゆるところもない。好きな男の為には、一万円の前借をして自転車を買う意思はあっても、子供達の学用品は何一つ買い与えようともしないのである。

或る時はこんな事もあった。妹にかばんがないので、担任の女先生は、とぼしい教育扶助の金ではあるし、布切を買って縫ってやろうとしたところ、翌日子供が、「縫ったのでは駄目、女学生の持っているような手さげのよいのを買ってもらえ。」と母親が言ったとの事であった。勿論、子供もどうした母親の言葉を、当然の事のように、臆面もなく担任に伝えたという。

以前、生活保護家庭の金の使い方についてテレビや新聞の報道がネットで物議をかもしたことがあった。奇しくも、「子どもの貧困」に絡んでNHKが紹介した貧困女子高生「うららちゃん」の家庭の金の使い方がおかしかったので、再び物議をかもしているところである。

このような事を繰り返さないために、本当の貧困とは何なのか、先人はどのように取り組んだのか、理解することは欠かせないことだろう。

「きょうも机にあの子はいない」は国立国会図書館にも所蔵されていない貴重な本であるが、幸いにも2012年に復刻され、一般社団法人高知県人権教育研究協議会に問い合わせれば買うことができる。一冊1000円。

また全国連から文書が届きました

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部落解放同盟全国連合会茨城県連合会から「鳥取ループ・示現舎の差別敵対を糾弾する」という文書が届きました。7月25日付となっていますが、届いたのは8月10日です。

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「君たちは単に80年前の調査を復刻するだけだと言うが、それならなぜ現在の地名や「この地区に特徴的な苗字は○○」などと加える必要があるのか。答えて見ろ。」とあるので答えます。

現在の地名を加えるのは、その部落が現在どのようになっているのかを知るためには、現在位置を特定する必要があるためです。昭和の大合併、平成の大合併でかなり地名が変わってしまっているので、80年前の資料をそのまま読み解くことは困難です。

「この地区に特徴的な苗字は○○」についてはWikiサイトで誰かが勝手に編集して加えたもので、示現舎の関係者が直接加えたものではなく、加えるように提案したものでもありません。

しかし、著名な部落研究者の本田豊は、著書『被差別部落の民俗と伝承』の中で「部落史研究にとって、大きな課題であるはずの名字が、今日でもほとんどというか、全く研究されていないのは、なぜだろうか。とんでもないところの部落同士が同じ名字、というのは一体どこから来るのだろうか」と述べているそうです。つまり、苗字は部落史研究にとって学術的に重要な課題であるわけです。

実際に、北九州の部落に特徴的な苗字である「今浪」が滋賀県栗東市で見られることは、小倉競馬場、栗東トレーニングセンター、が部落産業でつながっていることの裏付けとなっています。また、『荒川の部落史‐まち・くらし・しごと』(現代企画室刊)に「東京の皮革産業の源流のひとつであり、三河島地区の「ふるさと」のひとつでもある滋賀県山川原・甲田地区」という記述がある一方で滋賀県山川原の近くにあり皮革産業が盛んだった川久保部落に特徴的な苗字である「姓農」が荒川でも見られることは偶然ではないと考えられます。

このように、苗字について考察することは部落史の研究にとって重要なことです。

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