前編で賑わいでいた場所は、「ばらの都苑」である。鉄工所と茶畑を営んでいる男性が、バラが好きだった亡き妻の供養のために始めたバラ園ということなのだが、一般に無料で開放され、さらに無料で静岡茶も振る舞われていた。
筆者は訪れるまで存在を知らなかったのだが、全国でも珍しいバラ園であるため、ちょっとした観光名所になっているようだ。
園内にはバラの香りが漂う。「トイレの芳香剤の香り!」「それは芳香剤の方が香りを真似ているんでしょ」と来場者がボケ・ツッコミをする場面も。バラ園の中には、バラだけではなく桃園もあり、金魚が泳ぐ池や鶏小屋もある。5月は丁度バラが満開で、比較的高齢の女性のグループが多いが、カップルや親子連れでも賑わっていた。
改めて周辺を散策すると、畑と工場のような施設が多い。自営業者、特にスクラップ業者が多いのは、伊勢原市上粕屋や川崎市麻生区早野と共通している。昭和38年の実態調査では自営業、とく農林業の比率が高いが、今でもそのような傾向があるようだ。
地区内は広々としていて、家屋が密集しているということはない。また、逆に人工的な感じもあまりない。
自民党の城内実衆議院議員のポスターがあちこちに見られる。
花川町交差点近くにある酒店。
静岡県で部落と言ってもピンとこないが、「北星会館」という、全国隣保館連絡協議会にも加入している立派な隣保館がある。
他の隣保館と同じく、法務省人権擁護局関連の冊子やポスターがある。しかし「ヘイトスピーチを許さない」のポスターは見られず、北朝鮮の拉致問題やいじめ問題のポスターが目立つ。また、筆者が他の隣保館では目にしたことのない、社会を明るくする運動のポスターがあった。
隣保館の図書室と言えば、同和関係の本が揃っているものだが、ここは普通の本ばかりだ。
…と思ったら、片隅にひっそりと申し訳程度にあった。
報告書には部落の地方改善、融和事業促進の功労者として北村電三郎の名前が挙げられている。小学校にはその胸像があるという。
住民によれば、報告書にある吉野小学校とは現在の花川小学校のことで、幸い胸像は敷地外からも見える場所にあるということだ。
周りに木があって見えにくいが、胸像を見つけることができた。
胸像の横に、電三郎の功績を記した、比較的新しい石碑がある。さすがに融和や同和といったことは書かれていないが、「風俗改善同盟会の設立」という部分から地方改善事業への貢献が伺える。
電三郎の師である平田直純、尋常小学校の好調であった青山市郎も村の教育への功績者として讃えられている。