人権・同和・そしてアイヌ
札幌市議会議員の金子|快之«やすゆき»氏が、2014年8月に「アイヌ民族なんて、いまはもういない」とツイッターに投稿したことが物議を醸した。金子氏の発言には一部の人々が強く反発し、マスメディアはそれに概ね同調した。一方で金子氏の発言を強く支持する人もいた。しかし、大多数の考えは反対・支持のどちらでもなく、そもそもアイヌについて「知らない」「関心がない」ということだったのではないだろうか。
筆者は長らく同和問題を追求してきたが、同和に関連してアイヌというキーワードが時々見え隠れする。中には胡散臭いと感じざるを得ない事実もある。
その理由の1つが、2004年に鳥取県が県民に対して行った、人権意識調査のことである。意識調査には、このような設問があった。
「鳥取県内において「人々の意識」や「社会のしくみ」に差別や偏見が存在していると思うのは、次のどれですか。」
これは、いくつか提示された項目のうちに、当てはまると思うもの全てに「○」を付ける回答形式である。項目には「同和地区の人々」「障害者」「日本で暮らす外国人」など、この種の調査にありがちなものが並んでおり、その中に「アイヌの人々」があった。さらに、設問通り「人々の意識」と「社会のしくみ」で別々に「○」を付けられるようになっている。
驚くべきは、その結果である。「同和地区の人々」についてそれぞれ回答者のうち59.9%と25.4%が「○」を付けていたのはいかにも鳥取県らしい。しかし、「アイヌの人々」についての結果はそれぞれ11.7%と6.5%だったのである。
つまり、鳥取県民のうち11.7%は「人々の意識」の中にアイヌに対する差別や偏見が存在すると考え、6.5%は「社会のしくみ」にアイヌに対する差別や偏見が存在すると考えているということだ。
筆者は鳥取県の出身だが、そもそも鳥取県でアイヌを見たことはないし、どこにいるという話も聞いたことがない。念のため、調査を担当した鳥取県人権局人権推進課に聞いてみたが、やはり思ったとおりである。県も鳥取県にアイヌがいるかどうかは把握していない、アイヌに対する差別や偏見があると答えた人が、どのような趣旨で答えたのかも分からないということだった。これはいったいどういうことなのか。
「日本国内に差別があるということでは?」という言い訳は通じない。設問には、わざわざ「鳥取県内において」と書いてあるのだから。
県でさえ存在を把握していない対象にどうやって「差別や偏見」を持つというのか。差別や偏見以前に、アイヌとは何なのか具体的なイメージを何も持てないというのが大多数の県民の考えだっただろう。ましてや「社会のしくみ」とはいったい何のことなのか。そもそも、鳥取県の人権意識調査なのに「アイヌ」の項目が出てくることがおかしいだろう。
ただ、人権教育に熱心に取り組んできたという、とある小学校の教員から話を聞くうちに、その理由が分かってきた。人権教育、特にその中でも先鋭的な「解放教育」の中に、「知らないことは差別である」という考え方があるのだ。
つまり、アイヌに対する差別があると答えたのは、このような先鋭的な考えに染まった人が「鳥取県でアイヌが知られていないこと」が差別であるとして、「アイヌの人々」の項目に「○」を付けたのであろう。先の教員もこの説に同意していた。
なぜ選択肢に「アイヌの人々」が出てきたのか、これもちゃんとした理由がある。その答えは、アイヌが法務省が掲げる既定の人権課題の1つであるからだ。法務省人権擁護局が取り組む人権問題は定型化されており、アイヌの他には同和問題、女性、子供、高齢者などが掲げられている。時勢や地域性を全く無視して、国の方針を鳥取県がそのまま採用した結果、鳥取県なのに「アイヌの人々」が出てくるという、奇妙な回答項目が出てきてしまったのであろう。
「アイヌ→被差別者」ということが政府における既定事項である。世の中はそんなに単純ではないと思うのだが、官僚というのは、そう決まっていればそれを前提に動かざるを得ない。過去だろうと未来だろうと、北海道だろうと鳥取県だろうと「アイヌ→被差別者」なのである。こうして、悪い意味でのお役所仕事ぶりが発揮されることになる。本来は学問として客観的に検証されるべき事柄にまで、前例踏襲というお役所の論理が持ち込まれるのである。
2008年に国会で議決された、「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」はそうした動きに拍車をかけるだろう。そして、アイヌに対する理解が深まるどころか、タブー化して、大きなお金が動きつつも、一部の人しか関心を持たず、誰も全容を把握できないという同和問題のような現象がアイヌにおいても起こるのではないか。
筆者が「アイヌの人々」と直接接触を持つ機会となったのが、砂澤陣氏にツイッターでとある集会に誘われたことである。砂澤氏は、アイヌの子孫である有名な彫刻家、故・砂澤ビッキの息子ということで、この世界では知られた存在である。しかし、今ではアイヌに対する一番の批判者となっている。なぜそうなったのかは、また後で説明することにしよう。
集会自体は「中国人に北海道の土地が次々と買われている」という話で、その事自体は正直なところ我々はあまり関心はなかったのだが、気になったのは、砂澤氏から聞いたアイヌと同和の関係である。
アイヌ協会に同和地区出身者がおり、また、同和団体(部落解放同盟)の関係者がかなり関わっている。そもそも、北海道にも本州の同和地区とゆかりのある人のネットワークがあるということだ。
後者の点については眉唾ものであるし、あまり意味のあることとは思えなかったのだが、前者のことについてはかなり思い当たるところがあった。いや、政治的な動きに関して言えば、同和とアイヌに関係がないはずがない。しかし、具体的にどのような関係があるかという点については分からない点が多い。
しかし、問題の舞台は北海道。筆者にはまったくゆかりのない土地であるし、できることは限られている。そのようなこともあって、長らくこの問題を深く追求することはなかったのだが、「金子発言」のことがあって踏ん切りがついた。
2014年9月、筆者は北海道へ向かう飛行機の中にいた。我々の一番の目的は、実際にアイヌを見ることだ。まず現場を見ないことには「金子発言」をどうとも評価できないと思ったからである。
アイヌと「生活館」
アイヌはどこにいるのか? その手がかりとなるのが「生活館」という施設である。
生活館とは、全国的には「隣保館」と呼ばれる施設の北海道での呼び名である。とは言っても、隣保館さえ聞き慣れない読者も多いかも知れない。そこで、まずは隣保館について説明しよう。
隣保館は、本来はスラムなどの貧困地域に設置して、福祉事業を行う施設のことである。マザー・テレサがいる場所と言えばイメージしやすいだろう。英語では settlement house という。
戦前の日本でも、篤志家や宗教団体などが各地に隣保館を作った。しかし、戦後の高度経済成長により、日本から貧困地域が減ってゆくにつれ、本来の隣保館も減ってていった。settlement house でインターネット検索してみると、モノトーンかセピア色の写真がたくさん出てくる。本来の意味の隣保館は、ほぼ過去の施設なのである。
ただ、今でも生活困窮者の問題を抱える大阪の西成には民営の隣保館があるし、大阪水上隣保館など、当時の隣保館をルーツとする団体が今でも福祉法人という形で残っている。
一方、日本には「地方改善事業」と呼ばれる事業によって、行政によって設置された隣保館がある。これは主に同和対策事業のために設置されたものである。特に1965年の「同和対策審議会答申」により、同和対策が「国の責務」として位置づけられ、1969年に「同和対策事業特別措置法」が国会で成立したことから、以後15兆円とも言われる国費が、近世の被差別部落にルーツを持つとされる「同和地区」のために支出された。この潤沢な予算を背景に隣保館の数は爆発的に増えた。
2002年に国の同和対策事業が終了した後も、多くの施設に対して「隣保館運営費等」という名目で、運営費の3分の1が国費から支出されている。
行政によって設置された隣保館は必ずしも「隣保館」という名を冠しているわけではなく、地域により、人権センター、地域総合センター、民主会館といった名前が付けられている。いずれにしても、隣保館が同和地区のランドーマークとなっており、その場所を調べれば同和地区の場所をおおよそ特定できることは公然の秘密である。
筆者は、隣保館を所管している厚生労働省に、隣保館に支出されている補助金について取材したことがある。その時は、同和事業として設置された隣保館に支出されている補助金の総額の市町村別資料をもらったのだが、同時に厚生労働省の職員から、補助金が出ている隣保館は同和対策事業のためのものだけではないということを説明された。それはどういうことかと尋ねると、北海道にも隣保館があり、それは「アイヌの方々のために設置されたもの」ということなのである。
ということは、「実際にアイヌを見る」という目的を果たしたいなら、生活館に行けばよいということだろう。
また、そもそも事実上同和対策のために設置された隣保館が、なぜアイヌのためという目的で設置されたのかも気になるところだ。
蘭越生活館
とりあえず生活館に行ってみようということで、事前に千歳市役所に問い合わせ、新千歳空港に最も近いところにある生活館として紹介されたのが「蘭越生活館」である。
北海道での移動には自動車が必須である。空港近くでレンタカーを借り、千歳市の代表的な観光地である支笏湖に向かう道の途中に蘭越生活館がある。実は我々は最初、生活館を通りすぎてしまい、支笏湖の観光案内所で生活館の場所を聞いた。市の職員である観光案内所の人は、生活館と聞いた途端に「あ、アイヌの施設だね」という返事だったので、やはり地元でも生活館と言えばアイヌの施設として知られていることがうかがえた。
さて、隣保館というと、大抵入り口近くに「人権標語」が書かれたポスターがあったり、法務局の人権相談の案内が貼りだされていたりするものである。それから、地域の行事の案内や、解放同盟の強いところでは解放文化祭の案内が貼りだされているのが定番である。そして、玄関付近には解放新聞や解放同盟系の団体の出版物が置いてあることも多い。
筆者が最初に目にした生活館はどうかというと、玄関にアイヌのサケ漁のイベントの案内が貼ってあった。中にはアイヌの生活用具が置いてあり、壁にはアイヌ協会千歳支部の歴代支部長の写真が並べられていた。また、館内にはアイヌ向けの貸付金制度の案内チラシが置かれていた。そして、学習室にはアイヌ関係の書籍が置かれ、壁にはアイヌ語の基本的な単語について説明したものが貼られていた。
要は、同和事業で作られた隣保館の、同和をアイヌに置き換え、部落解放同盟をそっくりアイヌ協会に置き換えた感じである。ただし、同和が絡むと、どうしても「差別」というものが前面に出てくるが、アイヌについては「文化」ということが前面に出され、同和が持つ独特な「陰気なタブー感」といったものは少ない。
地元の喫茶店で食事をしながら、地元の方にアイヌについて尋ねてみた。これが同和の話題ならまずドン引きされるか、知らないと言われるかのどちらかだが、アイヌについてはそういうことはなかった。国連や国会の議決により先住民族として認められたこと、ソフトバンクのCMに出てくる犬がアイヌ犬だといったことが話題となった。
同和事業で作られた隣保館の近くには、大抵同和地区がある。では、生活館の近くにはアイヌ集落があるのか。地元の方の話によれば、そうではないらしい。
確かに、現在の千歳市蘭越周辺には昔アイヌが住んでいた。では、アイヌ集落(アイヌ語で言うところの「コタン」)が現存しているかというとそうではない。このことについて、北海道のあちこちで話が噛み合わないことがあった。
アイヌ集落が今でも残っているか? と聞くと「そんなものはないよ、第一、消防法に引っかかるから」といった答えが返ってくる。おそらく、我々が昔ながらの茅葺きの住宅を探しているものと勘違いされてしまうのだろう。
例えば「被差別部落はどこか?」と聞いたとしても、昔ながらのボロ屋が密集する部落を探しているとは思わないだろう。例えば、今は改善されて公営住宅が立ち並んでいるとしても、昔の被差別部落に由来する共同体や文化を引き継いでいるかどうかを聞いているのである。
現在の蘭越集落は、かつてのアイヌコタンを引き継いだものではない。ただし、アイヌの血を引く人が住む家は何軒かあるということだ。そのような状況なので、蘭越生活館は蘭越集落のアイヌのための生活館というわけではなく、主に千歳市全域のアイヌのための生活館である。先述のサケ漁のイベントも、千歳市とその周辺の広い地域からアイヌが集まって行われるという。
北海道のアイヌ全般に言えることとして、今ではアイヌが1つの集落で共同体を作っているということはあまりない。例えば、アイヌ協会の支部は全て市町村単位である(対して、同和地区における部落解放同盟の支部の多くは集落単位である)。
(次回に続く)