去る3月24日、写真の書類が編集部に届けられた。厚さは15センチはあっただろうか、これは部落解放同盟と5名の「被差別部落出身者」により横浜地裁に申し立てられた「出版禁止等仮処分命令申立」の関係書類である。
事のあらましはこうだ。
3月22日に部落解放同盟と、執行委員長の組坂繁之氏ら5名が、示現舎に対して全国部落調査の出版禁止と、同和地区Wiki等の関連するウェブページからの情報の発信中止を求める処分命令申立を横浜地裁に行った。翌23日に解放同盟側はウェブページ関連の請求を取り消して、請求内容を全国部落調査の出版禁止に絞った。
そして、3月28日11時に横浜地裁で審尋を行うので、答弁書の提出と裁判所への出頭を示現舎が求められたわけである。
驚いたのは、申立書の中で、組坂繁之氏ら5名が「被差別部落出身者」を自称していること。なぜ、そのような事を裁判所に言う必要があるのだろうか?
今回の問題は、「80年前に財団法人融和事業協会が発行した出版物の復刻を止めろと」全く無関係な第三者が裁判所に申し立てたことである。部落解放同盟は財団法人融和事業協会とは関係なく、無論、示現舎と取引や契約関係があるわけでもない。
全国部落調査と部落解放同盟を結びつけるものは「部落」のみ。そこで、「「被差別部落出身者」である我々には、当事者としての権利がある!」ということなのだろう。
しかし、残念ながら組坂繁之氏らが「被差別部落出身者」であるという根拠を筆者は見たことがない。そもそも、解放令以降被差別身分は法律上存在していないし、その後の経緯から考えても、証拠となるものが残っているとは到底思えないのだ。すると、結論としては「被差別部落出身者」ということは、単に自称に過ぎないということになる。
結局のところ、その辺に歩いている見ず知らずの人が、いきなり「あの出版物は気に入らないから発行するな」と言いがかりをつけてきたのと全く変わらないのである。このような場合、裁判所は「当事者不適格」ということで却下してしまう。
また、「被差別部落出身者」を自称することで、裁判が有利に進むということを期待するのであれば、それは「えせ同和行為」ではないだろうか。出自によって人を差別してはいけないのだから、なにも「被差別部落出身者」を自称しなくとも、ただの一個人の立場で申し立てればよいだけのことである。
それを踏まえて、筆者は答弁書を作成した。
さて、横浜地裁に出頭し、審尋室に通されたところ、解放同盟側は代理人が3人、後ろに申立人のうちの2人と思われる人が控えていた。書類を提出したあと、やり取りらしいやり取りと言えば、裁判官と筆者の次の会話だけである。
裁判官「全国部落調査を、4月1日に出版するのですか?」
筆者「その質問に答える必要はないと思います」
さて、出版禁止の仮処分というのは本来はハードルが高く、特に今回のようなケースが認められることはほぼあり得ないのだが…今までの経験上、同和が絡むとしばしばあり得ないことが起こったものである。仮処分の申し立ては迅速に処理されるので、数日中には結果が出ることだろう。
参考のため、主な書類を掲載しておく。
出版禁止等仮処分命令申立書-H28-3-22.pdf
訂正申立書-H28-3-23.pdf
陳述書-H28-3-17.pdf