結局のところ、「アイヌの定義」とは?
さて、いよいよアイヌ探訪も終盤となるわけだが、未解決の問題が1つある。結局のところ、アイヌの定義とは何なのかということだ。
誰でも自分がアイヌだと主張すれば、アイヌになれてしまうのではないか。その1つの反証がアイヌ協会の入会基準である。
アイヌ協会を訪問し、アイヌの定義について尋ねると、次のように説明された。
「誰でもアイヌになれるというわけではありません。例えば、協会ではアイヌの地を引いているか、養子であれば1代限りというルールがあります」
そして、示されたのが次のアイヌ協会の入会申込書である。
アイヌ協会の説明と、申込書からは次のことが読み取れる。
まず、アイヌの定義は①アイヌの直系子孫であること、②アイヌの直系子孫の子であること、③①または②に該当する者の配偶者、この3つのうちの1つに該当することである。そして、それを証明する手段は、戸籍や信憑性のある文書、地元の人の証言等である。
現在の戸籍には「アイヌ」や「旧土人」といった記載はないので、いわゆる「アイヌらしい名前」の人が先祖にいるということが手がかりになる。また、先祖がウタリ協会の会員であったということも1つの証拠になる。先祖が著名な人物であれば、アイヌとして過去の新聞や書籍に記載されている可能性もあるだろう。また、旧土人保護法により土地を給与されたといった文書も証拠となるだろう。
いずれにしても、アイヌの定義は、文化や言語、国籍、コミュニティということではなくて、あくまで血筋なのである。
以前の記事、明らかに韓国系の名前のアイヌがいたという話に触れたが、注意すべきは仮にそのような事があったとしても矛盾はないことだ。例えば韓国人男性の金さんが、日本人アイヌ女性の貝澤さんと結婚したとする。その子供が金と名乗り、なおかつ韓国籍を選択し、韓国語を話していたとしても、血筋の上ではアイヌということなのだ。無論、そのような極端な事例は稀だとは思うが、制度上はあり得ることになる。
法律上のアイヌの定義はどうだろうか?
旧土人保護法が生きていた1986年、猪熊重二参議院議員が「「北海道旧土人」とは、何人を指称するのか。アイヌ民族を指称するものと理解してよいか」「右法律を適用するためには、当然に、「北海道旧土人」すなわちアイヌ民族とそれ以外の日本国民とを識別することが前提となるが、この識別の法的基準はどのようなものか」という内容の質問主意書を提出した。それに対して、当時の中曽根内閣は「アイヌ」を「ウタリ」と言い換えて「「北海道旧土人」とは、ウタリの人たちを指称するものである」「現在、北海道旧土人保護法の適用に当たり、ウタリの人たちであるか否かを識別する必要は生じていない」とそれぞれ答えている、
つまり、アイヌの存在を認めつつ、アイヌの定義については、定義する必要性がないとして明言を避けている。
旧土人保護法が廃止され、代わりにアイヌ文化振興法となった現在でも、法律上アイヌの定義は存在していない。その代わりに、アイヌ文化振興法には「「アイヌ文化」とは、アイヌ語並びにアイヌにおいて継承されてきた音楽、舞踊、工芸その他の文化的所産及びこれらから発展した文化的所産をいう」と、アイヌ文化が定義されている。
少なくとも現行法が予定しているのは。「アイヌの保護」ではなくて、あくまで「アイヌ文化の保護」である。従って、文化と血筋は別のものなので、本来はアイヌ文化の担い手であれば、アイヌの血筋を引こうが引かまいがどうでもよいはずなのである。
しかし、「アイヌ民族」に対する施策を実施しようとしている現在の政府は、アイヌの定義について責任をアイヌ協会に丸投げしているのが実情であり、法律は「文化」を保護する趣旨であるのに、施策は事実上「血筋」を基準としている点で、法律と施策のねじれが生じている。
筆者は、アイヌに対する政策は法律通りに「文化」を保護するのが正道だと考える。人間は天然記念物ではないのだから、「血筋」を遺すように強制できるものではないし、おそらく多くの国民は将来も見ることが出来ることを望んでいるのは、アイヌの血筋を引いた「人間」ではなく、変化しつつも細々と北海道に残っているアイヌの「文化」であると思うからだ。
(次回に続く)