徳島と言えば、全国でも行政の手の入った、いわゆる「同和地区」らしい光景が最も残っている場所かも知れない。今回探訪した不動東町は徳島県内でも最大の部落であるが、ここも例外ではない。
この部落はかつては「高崎」と呼ばれ、戦前の資料では戸数345、主な職業は獣肉行商と古物商とある。不動東町と名前を変えた今でも、現地を訪れると、かつての産業が今でも盛んであることが分かる。
目についたのがこの白い豪邸。ガレージには外車が何台も停まっていた。地元住民によれば、これは食肉業者の家なのだという。不動東町は徳島県の食肉産業の中心地である。ただし、食肉業に携わっているのは一部の世帯で、県内の食肉業者は藤原、長谷川、中山、前田という名字の家がほとんどを占めており、そのことは屋号からもうかがえる。
徳島県といえば日本ハムの創業地として有名であるが、日本ハムに関しては創業者は香川県の人なのだそうだ。
こちらは古物商。今で言うところのリサイクル業者である。いくつか、このような資材置き場があり、金属スクラップ等が置かれている。
そして、この地区には大規模な改良住宅群と市営住宅群がある。これらの住宅には、必ずと言っていいほど倉庫が付いている。駐車場には軽自動車が多い一方、ベンツやシボレー等の外車が目につく。筆者が訪れた時も、カマロが後ろからやって来たと思ったら、ニコイチ住宅の横のガレージにバックで入っていった。
同和対策最盛期時代と言えば、アメ車に乗った土建屋のおっちゃんが空き地で野焼きをするというのが原風景となっている筆者にとっては、ノスタルジアを感じる光景である。
市によれば、改良住宅と市営住宅は現在では空きが出れば入居者を一般公募しているという。つまり、制度上は徳島市民であれば誰でも入れる。
こちらは隣保館のある不動総合センター。
ここには、人権の碑があった。
四国三十六不動霊場のうち第13番に当たる密厳寺がここにはある。この寺の東側にある地区なので、不動東町というわけだ。
以下は地区内のパノラマハイビジョン映像である。マウスカードルをドラッグすると視点を変えることができる。また、スマホやタブレットであれば端末を傾けることで視点を変えられる。
以前市役所で働いていたという地元部落住民によれば、徳島では部落といえば「ガラの悪いところ」という意識が地区内外を問わずあり、それはなかなか解消されないという。公営住宅にしても、形の上では一般公募だが、現実には旧同和地区の住民でないと入りづらく、よそから人が入ったのは東日本大震災の被災者を入れた時くらいではないかという。
実際に「ガラが悪い」のかと言えば具体的なデータがあるわけではなく、筆者も特段それは感じなかったのだが、一方で確実に言えるのは、おかしな事があっても「同和地区だから」ということで見過ごされてしまう実態があるということなのだ。そのことが、同和地区を固定化させる原因になっている。
実際に、それを目で見ることができる場所に案内されたので、次回はそれをレポートする予定である。